2011年 7月10日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル 「収穫をめざす備え」
聖書箇所 詩編125編5―6節
刈り入れの秋を望む人は、春に田畑の手入れを怠たることは出来ません。豊かな借り入れは、十分な備えの上にあるものです。「涙と共に種を蒔く人は、喜びをの歌と共に刈り入れる。」(詩125:5)と記しているように時間と手間をかけて準備をするのです。
人生は繰り返すことは出来ません。長い人生には色々なことがありますが、嬉しいことや楽しいことばかりでなく、つらく厳しい試練の時もあります。しかし、かえって辛くて涙するときの経験が、むしろ新しい世界を広げ、一段と飛躍する機会になることが多いと言えます。長い一生のどのような時にも、生きる喜びと希望を失わないことが出来ればいいのです。「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フイリピ4:12−13)この聖書のお言葉が、神様を信じる人の境地であるのです。「鬼に金棒」と云いますが、如何なることがあっても、立ち向かう力(能力)があるということです。信仰の心を培うことによって勝利と喜びの刈り入れを可能とすることが出来ると約束しています。それには三つの重要な備えがあります。
その第一が、「キリストの言葉」を豊かに宿すということです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:5)キリストにつながる。結び合わせることは、キリストの言葉に留まることを教えています。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(ヨハネ15:7)キリストの言葉にすべての可能性を開くカギがあるのです。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」コロサイ3:16)
第二に、キリストの約束の言葉が実際の生活にみのるにはキリストとの交わり、霊的な交流があって初めて実が稔ることになります。「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」(ヨハネ14:12)「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ7:7,8)「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えられた」。」(ルカ18:1)このように祈ることがどのように重大なことであるかを示されている。祈りのあるところに希望の可能性が約束されているのです。
第三に、「キリストに繋がる」留まることはキリストを信じる人々、即ち、キリスト教会につながることを意味しています。「教会はキリストの体である」(エフエソ1:23)に記しています。聖書は「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(コリントT12:27)教会生活によってキリストの約束される祝福の実が結ばれることになるのです。教会でキリストを信じる人と共に祈り、神様の愛を分かち合う時に信仰の実は豊かに実ると約束しています。訓練は一時は厳しいでしょうが勝利の喜びには変えられません。
キリストの言葉を学び、いつも祈り、教会の礼拝を守って心を養い、真実に神様の愛の実を結ぼうではありませんか。

 
【今週のみことば】
ヨハネ14:13
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」
 


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