2011年 8月28日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル 「確かな言葉の幸せ」 
聖書箇所 ヘブル人への手紙11章7節
 奇妙な日本語を話されるテレビの人気者で世界的地球惑星物理学の学者であり、地震学の権威者である東大の教授ロバート・ケラ―先生は「地震は予知できません」と云っています。過去の経過から地震の起こることを予測する研究がされているようで、関東・南海震災の予告は随分前から予測して対応がされているようですが、一方では全く予測できず、地震はないとさえ云われていた阪神大震災は突然起こりました。かっては天気予報はなかなか当たらなかったようです。近来は衛星からの情報で地球の観測が進み、当るようでありながら洪水の被害の予測は確実にすることは果てしなく困難なようです。また、様々な経済事情の予測は投資や流通貨幣事情を左右するものです。予測、未来の情報は損得の欲望をからませながら悲喜劇の世情となります。
 未来に起こることを確実な情報として予測できるとしたら、今日、現在に何を準備し、何を備えるべきか、何をなすべきかを考え、手を尽くして対応することになります。そこで「確かな情報」、「確かな言葉」を得ることが大切になります。この度の東日本大震災は自然災害であると共に、現代の先端をゆくエネルギー科学の原子炉の溶解事故の災害を誘発しました。神に与えられた自然の恵みに生かされている事を忘れるときに、自然を自己充足のためにのみ追求し、利用することになります。近代科学の発達は戦争を動機にして進んできたと言えます。効率的な大量虐殺の兵器、核兵器は平和利用に転嫁されてかぎりなく生活の利便性と幸福感をもたらしながら、その破壊力の恐怖との同居であるということです。死を孕んだ幸福、破滅を孕んだ平和、その偽善的罪性が正に東日本の災害で写しだされているのです。そしてその現実理解から新しい真実の神様の約束される未来を学ばなければならないのです。
旧約聖書の創世記6章から8章には有名な「ノアの箱舟」の出来事の記録があります。この記録が教えている教訓は「神の愛と確実な神の言葉」であるのです。ノアの物語は人々が神様を忘れ、悪の限りを行い「神は天地創造を後悔され、心を痛められる」ことから始まります。創世記6章5、6節に「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」とあります。そして誠実無垢に神様の御心に歩むノアを見てその家族を通して神様の御心を示されるのです。神様は、この罪悪の世を清算し、世界を蘇らせるために大洪水を起こされるから長さ135m、幅22m、高さ13mの船を造り、あらゆる生きもののつがいを取り入れるように命じられました。ノアは神様の洪水の警告に従い、古代には想像を絶する巨大な船を黙々と家族と一緒に建造したのです。それは長い間、幾年もかかる大仕事であったのです。やがて完成し、神様のお言葉通りに生きもののつがいをおさめると予告されていた通りに雨が降り始め40日40夜降り続き、地上は水に覆われ、高い山を覆った。やがて雨が止んで水が引き150日後に箱舟はアララト山上に止まった。(アララト山は現在のトルコ領で高さ5135m)この伝承の洪水が想像を絶することが解るのです。40日たって幾度となく、カラスや、鳩を放ってやがて二十日以上経ってオリーブの葉を鳩がくわえて来て水の引いたことを知るのでした。やがて地はすっかり乾きもとにかえったのでした。神様は、ノアと家族を祝福し、創造の初めの祝福を告げ、二度とこのような洪水を起こすことはない。(創9:11)虹(にじ)を見るならばわたしの約束を思い出すように云われるのでした。(創9:13,16)
この伝承の教訓は第一に、ヘブル書に云われているように「信仰によってノアはまだ見ていない事柄について神のお告げ」に従ったことです。信じることは、信頼することであり、信頼は言葉を守り、従うことにあります。ノアは災難や試練を解決する、救うために神の言葉に従ったのです。人々はノアが巨大な船を建造しているのをいぶかり尋ねたことでしょう。ノアは、神の予告を語り、その難を逃れるように語ったに違いありません。(Tペテロ3:20)日常的に神様を信じることなく不敬虔な人々は、ノアの行動と言葉は不可解で、愚かでしかなかったのです。「確かな言葉」を信じられない不幸がそこにあるのです。神様は困難な中にも逃れる道を備えられるのです。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Tコリント10:13)
第二に、ノアの箱舟は、如何なる時でも神は愛なる方として希望の扉を備えて下さる事を教えています。二度と壊滅的なことは起こさないと約束されていると共に人生終わりの空しさ、死で終わる絶望と虚無から目覚めさせる予告として記録されているのです。正に、ノアの箱舟こそはキリストの救いの道を予告する出来事であったのです。ノアが信じて従い、船の戸をあけて救いの道を示したように、人生の死を越えて永遠の命の希望へとキリストがすべての罪責を十字架で滅ぼし、復活の約束の事実を約束されたのです。この「確かなキリストの言葉」に生きる時、現実の試練を克服できるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)ハイデルベルグ信仰問答の26問の「(天地の創造主、父なる神を信じる。と云う)とき何を信じているのですか」という問いがある。その答えの一端に「どのような不幸さえも、わたしの益として下さることを。疑わないことです。」とあります。(ロマ8:28)神様を信じること、神様と共に生かされる平安が、死後の永遠の命であるだけでなく、問題の多い現実をも永遠の命に生きる、神と共に生きることを証しして下さる恵みであるのです。
 第三に、ノアの時代の罪悪な社会を神様は見過ごしにされえなかった。言換えれば、人間の生きる社会はしばしば神なき社会となる。悪は人の世に根付いていると言えます。しかし、神様は「愛」であり、ノアに救いの道を示されたように救いの箱舟としてキリストの救いの道を示されているのです。ノアが選ばれて救いの箱舟を通して神の使命を果たしたようにクリスチャンは現代のノアの箱舟である神の家族の箱舟、キリストの教会が何をしなければならないか、また、教会、神の家族の使命を自覚して、キリストによって現わされた福音、神の幸せの約束を人々に伝えなければならないのです。その神様の愛を分かち合う時に神の国を現実の中で経験することになり、永遠の命を生きる人とされます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
(ヨハネ15:16,17)
 


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