2011年 12月11日 礼拝メッセージ 
「クリスマスの星を訪ねて」マタイ福音書2章1-12節

第三アドベント 12月11日メッセージ
「クリスマスの星を訪ねて」マタイ福音書2章1-12節

起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。
― イザヤ60章1-2節 ―
  クリスマスを迎える第三アドベントの聖日を迎えました。主の御降誕を待ち望みながら、主の御心を学び、心を整えることは素晴らしいことです。東方の博士の来訪の物語はクリスマスに備えるメッセージが語られています。口語訳では「博士」と訳されていますが、共同訳では「学者」となっています。実は、原文では「マゴス」(μάγος―magos)となっているのです。この言葉は「マジック」の言語となった言葉です。2千年昔のオリエントの国々をめぐる物語として、様々な伝承が伝えられているのです。また、この物語の文章から推測して様々なエピソードが伝承されています。
 この物語は「クリスマスの3人の博士」で知られていますが、聖書には3人とは書いてなくて、黄金,乳香,没薬の3つの宝物とあるから3人の博士となったといわれています。ある伝承では有名な「もう一人の博士」(アルタバンの物語)として知られているのです。
 マタイの福音書はユダヤの人々のために書かれたと言われてきていますが、キリストの降誕の記事で異邦人が出てくるのはこの箇所だけです。何故、わざわざ異邦人の物語が、それも占星術の学者達がどのような繋がりで救世主の降誕にたどり着いたのか、クリスマスを巡って不思議な神様の御心を見ることが出来るのです。
 3人の博士はユダヤから東方の国ということから、メソポタミアやアッシリア地方の人だとか言われています。異邦の国から何故、博士たちが星を辿って旅に出たのか不思議に思われているのです。しかし、紀元前6世紀ごろに東方の国バビロニヤにユダヤは支配されて、滅亡に遭遇し、多くの指導者を中心にバビロンへ捕囚されたのです。やがて70年後、ペルシャのクロス王によって解放され、帰国を果たして試練の中で神殿を再建して中間期時代を迎えます。捕囚されたユダヤ人は、異境の苦難の中で事あるごとに祖国の創造主を礼拝する純潔を守り、伝承されてきたユダヤの律法を伝え、また預言者の様々な預言の伝承を残し伝えたのです。ユダヤの民はイザヤ書も重要な伝承として、来るべき救い主メシヤがお出でになることを希望とし、よすがとしていたのです。悲しく、苦しい、捕囚から解放された後、ユダヤ人が70年の間に残した多くの伝承や預言の言葉を、彼らが去った後も異邦の人々の間のどこかにか、救い主来臨の伝承が残り、それが世界の人々の救い主の来臨の伝承となって伝えられていた。どのようになってもなくならない「闇」「暴虐」「不条理」な罪多き世を嘆いていた人々もあったであろう。夜空に異様に輝く不思議な星に人々は注目した。天体を研究し、星を占う学者は、文献を調べるうちに、「ひとつの星がヤコブから進み出る。」(民24:17)というユダヤに古く伝わる救い主メシヤの出現の預言に出会い、小躍りしたに違いない。仲間の人々と共に確認し、確かに西に向かって進む星を見て星に従い、予告されているユダヤ人の王に会いに行ってみようと決心したのです。
 はじめから全てが分かっていた訳でなく、ユダヤに着くと「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と、王宮を訪れます。それを当時のユダヤの王であるヘロデが聞いて内心仰天するのです。ヘロデは伝統的なユダヤ人ではなく、イドマヤ人であった。陰惨な王位継承権争いでのし上がり、ローマの支持を得て権勢を誇り、狡猾な政策で大王とまで呼ばれていた。彼は、幼少とはいえユダヤの伝承の王、メシヤが生まれたと聞くと、喜びでなく危惧に振り回されるのであった。彼は祭司長や律法学者を集め「メシヤの降誕」を伝承している文書を調査させると、ミカ書5章1節「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」から、それはベツレヘムであることが分かった。すぐさまヘロデは家来に命令するのでなく、密かに博士たちを呼び寄せて、確認をさせ報告するように言ったのです。そして、その確認によってベツレヘムの二歳以下の嬰児を皆殺しにするという事件が起こるのです。
 神様の御子キリストがお生まれになった陰で、ヘロデ王によって計り知れない人間の暗澹な罪悪を凝縮した出来事が起こっていたのです。
 ここでクリスマスの喜びと共に、その喜びのゆえに起こる悲しい出来事の現実がメッセージとして記録されているといえるのです。一言で言えば「神は現実の人の世には邪魔である」ということが出来る。クリスマスと共に多くの幼児が犠牲になるのである。恐怖と嘆きが伴なう出来事が何を表しているのだろうか。イエス様が歩まれる道、人々の罪を背負い、人を救うために苦悩される生涯である。その極限が終わりの十字架の道である。この出来事を通して、初めて人は、自分の罪悪を認識できるのです。今、私たちはクリスマスを迎えるためにこのヘロデの悲しい罪悪を、罪悪と自覚しない愚かさから目覚め、十字架を思い、救い主を迎える準備をしたいものであります。
 3人の博士たちはベツレヘムにたどりつき、厩に寝かせられている幼子イエスに出会い、王、メシヤとして神の御子を礼拝します。黄金、乳香、没薬の宝物をささげて献身を表すのです。黄金は王を表し、乳香は祈りに用いられる香り、没薬は死の時に用いられる香油であるのです。それはキリストの生涯を表すものでものです。しかし、最近の研究者によれば博士、マゴスは占い師であって、貴重な宝のような没薬などを持って人々にまじないの祈祷をして迷いや病気を癒やす人々であり、まじないを書く時の塗料に貴重な没薬を入れて書いていたというのです。その貴重で、また、それで生活を支えていたかもしれない大切なものを捧げたのです。言い換えれば、王の王、主の主、神の御子なるキリストに出会い、その御心の前に自分を投げ出し、過去の生き方を捨て、新しい献身を告白したともいえるのです。ハレルヤ。古来から占いは禁じられていたユダヤで、異境の占い師を通して救い主の御降誕を記録することは、その占いの間違いを明白にし、まことの神の恵みを人々に知らせるために語られているメッセージであるのです。三人の博士は、ここで救い主と出会い、新しい道、永遠の命への道に踏み出したのです。
 クリスマスを迎えるにあたり、この教訓を新たにして喜びの恵みを褒め称えようではないか。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
イザヤ書9章5節



 


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