2012年 2月19日 礼拝メッセージ 

「信仰の種と祝福の実」マタイ14章13-20節

日ごとのテレビの報道番組では、社会の動きなどに対して批判やあら捜し的な否定的な評論が多く、世情はそれを反映して悲観的に反応する傾向があります。政治家への信頼と尊敬は失われ、国会の質問も国家の安定や国民の本質的な幸福についての討論でなく、末端の上げ足とりのような議論が多いのです。夢と希望を求めて挑戦する姿勢は失われている悲しい現実があるのです。乳幼児への虐待、生きる意欲を失ったニートの若年層から壮年層までの増加、高齢者への虐待、欺瞞的な道徳心を失った経営者の増加、巨万の財力を幾重にも仕組みを変えて巨額の増殖を夢見るマネーロンダリングの崩壊、そして無縁社会、孤独社会、家庭崩壊から無葬式文化、直葬(病院から火葬場),散葬(墓地の否定)の激増、自殺者の増加の世情であるのです。満ち足りた物質社会、最先端の車が走り、スーパーには衣食が溢れ、便利な電気製品、過剰な娯楽電波などの中で、不安と困惑、戸惑いが覆っているのが今の世相であるのです。
熟乱した資本主義世代の崩落現象とも言えるのです。本来、資本主義のあり方は、聖書の原点に帰る16世紀の宗教改革運動のカルビンの教えに基づいていると言われています。カルビンによれば富の蓄積は神様の祝福であり、クリスチャンの品性である勤勉、誠実の実であるのです。そして神様を愛し、人を愛する愛によって生きることにより繁栄するとします。勤勉と誠実は富を生み、富は一人のものでなく、共に生きる人間愛によって他の人のために用いるためにあるのです。環境の変化がどのようなものであれ、人間の心の荒廃が家庭の崩壊となり、社会の混乱と破壊となるといえます。
マタイによる福音書の14章にはイエス様が数千人の人々を5つのパンと2匹の魚で養った出来事が記録されています。この記事は4つの福音書に記されています。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、この物語に先立ってガリラヤの領主ヘロデによる洗礼者ヨハネの処刑の出来事が記録されています。ヘロデはその処刑に咎めを感じ、イエス様が洗礼者ヨハネの生き帰りであるという恐怖心を持ち、イエス様に憎しみと反感を持っていました。それを聞いてイエス様は舟に乗り、人里離れた淋しいところに退かれるのでした。(13節)。領主ヘロデの憎しみと反感は、イエス様たちにどのような迫害を加えるのか分らない状態であるのでした。また、過ぎ越しの祭りが近づいていたので、都に上ることも考えられていたのかもしれません。(ヨハネ6:4)しかし、当時の総督ピラトはユダヤ人の反乱を恐れ、祭りで集まるユダヤ人を迫害していると言われていました。このような苦境の中にあって人里離れた淋しいところに退いて祈ろうとされたと思われます。しかし、多くの人々は、イエス様を岸伝いにどこまでも追いかけて来るので船を下りて深く憐れみ、病人がいるのを見て癒されるのでした。夕暮れになってきたので弟子たちは「時間も過ぎました。ここでは人里離れて食べるものがありません。帰れば自分で買いに行って食べるでしょうから、人々が帰るように云って下さい。」と言うのでした。時間が過ぎたとは、おそらく夕食の時間のことを言っているのであって、夕方6時頃であるのです。イエス様は「そうすることはない。あなた方が彼らに食べるものを与えなさい。」と言われるのです。弟子たちは戸惑いました。どうしたらいいのか分りません。ヨハネ伝ではそこにペテロの弟アンデレが「ここに5つのパンと2匹の魚を持っている少年がいます。これではどうにもなりません。」と言っています。おそらく、イエス様が突然、舟に乗って移動されたのであわてて追いかけたので食べる物を準備することもできなかったのです。差し出された少年のパン5つと2匹の魚、弟子たちはこの少年の差し出した食事をイエス様に報告するのがせい一杯であったといえます。しかし、イエス様は「それを持って来なさい」と言って、天を仰いで「賛美の祈り」を捧げ、パンを裂いて人々に分け与えられたのでした。全ての人は満腹し、残ったパンくずは12の籠一杯になったのです。
第一に、この物語の教えている事は、試練や危急の時、イエス様はどのように行動されたかを示しているのです。「人里離れて退かれて」いるのです。領主ヘロデの偏見と敵視、総督ピラトの反乱防止の鎮圧政策の危急の間で、今まさに洗礼者ヨハネの処断の悲劇に直面されているのです。23節には群衆を解散させてから、「祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただ一人そこにおられた。」と記録されています。それはパンの奇跡のあくる日になるのです。祈るために退かれているのです。主は、祈りの中で父なる神様の御心を新たに覚え、福音の使命を確信されているといえます。どのような時にも神様との交わりの中で新しい使命の自覚と、その命を新たにされているのです。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦、苦難の時そこにいまして助けて下さる。」(詩46:1)
クリスチャンの信仰の原点はイエス様が祈って下さっている事にあるのです。「人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(ヘブル7:25)
第二に、その祈りの前に、多くの人々が、それも男の人が五千人いたと記されています。女と子供も当然いたのですから数千人の人々がいたのです。その人たちがイエス様を慕い、多くの苦悩を持った病人たちが癒しのみ業を求めて来ているのです。ガリラヤ湖を舟で行かれる方向を見ながら群衆が追いかけるのです。この様子を見てイエス様は岸に上り、彼らのために祈られているのです。主イエスは、如何なることがあってもそこに求める人、癒しを願う人がある限り、そこに留まり、痛みを理解し、苦しみを共にし、祈られるのです。病の人のために祈ってはならないと決まりがあっても、苦しむ、悲しむ病の人を見過ごしにされないのです。当時のユダヤの律法解釈では安息日に仕事をしてはならないのですが、イエス様は「律法のために人があるのでなく、律法は人のためにある」(モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。ヨハネ7:25)とその律法の心は神の愛である事を示されたのです。
第三に、5つのパンと2匹の魚で数千人の人々が満足するまで食し、その落ちこぼれた屑が、12の籠に溢れたのです。この奇跡に与った人々は神様のみ業に驚嘆し、主の偉大さを賛美したといえます。感謝と喜び、感激が野山にこだましたのです。奇跡は手品ではありません。そこにはイエス様を求める群衆がいました。彼らは何事もさておいて主イエスの言葉と祈りを求めていたのです。主は迫害の危急の中で退かれようとしていたのです。その危急の中で食事を想定して行動する状態ではなかったのでした。愛なる神は生きておられる。その危急の中で起こる困窮を神は助けて下さるという愛のメッセージが、その奇跡の出来事であるのです。インマヌエル“主は共におられる”そのメッセージこそが与えられた奇跡であったのです。今日も祈る時、インマヌエル活ける主は共にいて下さることを経験できるということが、祈りの恵みであるのです。
第四に、5つのパンと2匹の魚を差し出した少年は、ある解釈によれば幼い子供ではなく、少年と理解され、差し出したパンはヨハネ福音書の6章では大麦のパン(:9)とあります。普通、パンは小麦で作るものであり、当時、大麦は、家畜の餌であったと言われています。この少年は、貧しい少年であり、ある解釈によると奴隷の少年であったと説明されているのです。貧しい、無きがごとき者の差し出した小さな善意には、主イエス様のみ言葉に対する全幅の信頼が現わされているのです。そのイエス様のみ手に差し出した信頼の捧げものが限りない祝福として実を結んでいるのです。私たちはしばしば、自らを過少評価してしまうことがあります。しかし、主のみ手に差し出すささやかな信仰の決心が最大の祝福の実となる事を教えています。
現実の変わりゆく世相が、いかに厳しく、困難であり、また試練の中にあっても、この恵みのメッセージによって信仰に生き、主を信頼するように目覚めなくてはなりません。ハレルヤ。

 

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