2012年 3月4日 礼拝メッセージ 

「キリストに生かされる祝福」
マタイによる福音書14章22−33節

人は順風な時には悩む事はありません。満足な気持ちでいられるときには心配はいりません。仲間や同僚の間での複雑で困難な問題、また金銭問題が絡んだりすると、人間性が浮き彫りにされることがある。関わりたくないという気持ち、友達だから一緒になんとか解決しようとする気持ち、複雑な感情に振り回されることになる。一人の人間であれ、集団の人たちであれ困難や試練に直面すると解決するために団結するものです。何もない時にはお互いがばらばらであっても、困難を共にする気持ちになれば一つになって事に当たることになるものです。
16世紀にドイツで起こった宗教改革は、ルターは教会から独立して新しい宗派を作ろうとしたのではなく、教会の罪の赦しの教えについて、贖宥(免罪符)を買うことで天国に行けるという事が、果たして聖書が教えていることなのかという疑問から始まったのです。勿論、それまでにウイッテンベルグの大学で聖書を教えながら、現実の教会の在り方が決して聖書に基づいていないことに気づいていました。いまから500年前には聖書はブルガーダ訳と言ってヒエロニムス(4世紀に人)が訳したラテン語の聖書で、聖職者や学者しか手にする事が出来ず、一般の人々は目に触れることもできない時代でした。聖書をそれぞれの国の言葉に翻訳することは固く禁じられていたのです。活版の印刷がその頃、グーテンベルグによって開発されたのです。ルターは法王庁から指弾され、ウオルスムスの国会で告発されるのです。そして有罪になりながらも「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」という有名な言葉を残しています。ザクセンのフリードリッヒ選帝候はルターを逮捕し拉致したのでしたが、事実はルターを保護し匿(かくま)ったのでした。そこでルターは聖書をドイツ語に翻訳しました。その時、輪転機が開発されて聖書が印刷されるのです。その後、ルターを支持する諸侯が起こり、庶民が初めて聖書を読むことが出来、聖書の真理から当時の教会の悪弊を改革するようになるのです。伝統的なカトリックの教会に抵抗する人たちとしてプロテスタント(抵抗する人)という教派が生まれたのでした。
この宗教改革を一口で表現すれば、「聖書を土台とする教会」ということが言えます。聖書に基づくのですが、聖書は選民イスラエルが辿って来た歴史によって神様が人類の救いを啓示されている記録です。それは神の言葉であるのですが、人間の罪や過ちも記録されています。それを理解するのは解釈によるのですが、聖書はイエス・キリストの救いを中心に神様が御心を表しておられるのです。だからキリストの出来事、福音を通して聖書が理解されなければならないのです。
今日のみ言葉はマタイよる福音書14章の22節から33節で、5千人以上の人たちを五つのパンと二匹の魚で養われた後、イエス様は弟子たちを舟に乗せて、先に向こう岸に行くように指示されたのでいた。群衆を解散させてイエス様は一人退き、祈るために山に登られたのでした。その後の出来事です。夕方まで祈られたのですが、湖は時化(じけ)になり逆風で弟子が乗っていた舟はまだ岸近くでうろうろしている状態でした。夜明け頃になってもおさまらず、弟子たちはどうしたことかと悩み考えあぐんでいたのです。その時、イエス様は湖の上を歩いて彼らのところに近づかれたのです。弟子たちはまさかイエス様だと分らず幽霊ではないかとおびえて、恐怖のあまり絶叫するありさまででした。イエス様はすぐに声をかけて「安心しなさい。わたしだ。」と言われたのです。ペテロは、ホッとして思わず「わたしも水の上を歩ませて下さい。」というのでした。主は「来なさい。」と言われ、ペテロは水の上に足をおろし、イエス様を目指して歩き始めたのです。この時のペテロの気持ち、現実に水の上を歩いている。何と言うことだろう。不思議な経験も横なぐりに吹きつける風が気になり、一瞬ふと下を見ると怖くなると同時に水に沈みかけた。彼は「主よ、助けて下さい」と思わず叫んだのでした。主は手を伸ばして捕まえ「信仰の薄いものよ。何故疑ったのか。」と言われて、二人が船に上がると不思議なことに風がやんだというのです。これを見ていた舟に乗っていた弟子たちは「イエス様、あなたは本当に神の子です。」と言い、イエス様を拝んだと記しています。
第一に、この記録から学べることは、イエス様が5千人をわずかなパンと魚で養われた奇跡の時、弟子たちはそのパンを配りながら、人々に対して得意になっていたでありましょう。イエス様に仕えることの幸せ、弟子であることの誉れ、きっとイエス様がこの悲劇的なユダヤの国さえも救うお方であると思ったに違いありません。そのことが終わり、イエス様は、弟子達と分れて祈りに入られます。弟子たちだけを先に舟で送りだされるのです。何故、弟子達だけを送り出されたのか。将来、弟子たちだけで宣教に出すことを思い、その行く手に起こる経験を見越してこの出来事を理解することが出来ます。喜びと満足後、言葉に言い表わすことのできない恐怖と不安が彼らを覆うのです。進みたくても進まない。おそらく、舟を漕いでいたのでありましょう。一晩中、明け方頃までです。絶望と諦めの中で主は「波」の上を歩いて近づかれるのです。人が「波」の上を歩くことは考えられない。どのような時にも、人間が考えられない方法で主は、近くにいて下さることを教えるためであったのです。主は言われます「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)主が共におられることこそ、すべての解決の希望であるのです。苦しみと逆境の中でこそ「主は共におられる」ことが深く理解でき、力となることを教えているのです。イエス様を信じることは「主が共におられる」事の経験であるのです。
第二に、古来教会は、イエス様が朝まだき、湖を歩いて弟子たちに近づかれている姿こそ「復活のイエス様」を表していると言い伝えてきています。イエス様を「幽霊」としてしか見えない。信じていても、現実は、それは違うと言うようでは信じていることになはならないのです。弟子たちは人が水の上を歩くとは考えられないという確かな経験に立った認識でいた時、現実ではない異次元の出来事が起こっていると感じ、恐怖でおののいているのです。神様は、人の認識を越えて見えない導きの中で不思議なことをされるのです。先日、三浦綾子読書会で「天の梯子」という祈りについての随筆集のような本を読みました。その終わりの方の章で「神は生きている」という章があり、伊藤栄一という牧師先生の経験を載せてありました。戦前のことですが、伊藤先生は防府の教会の牧師でしたが、神様の召しに従って中国への伝道に導かれたのでした。教会で発表し餞別をもらいました。当時30円の給料であったと言うのですが、信徒の方々に50円をもらい、その中にお医者さんがいて交通費を別に出してくれたというのです。その時、困った人にお金をあげて49円の借金が教会会計にあったのです、そこで49円の借金を返しておきたいと思い、その餞別の50円から49円を返したのです。1円ではどうにもならないので行くのはやめるとは言えず、さりとて日頃から「神様は必要を満たして下さる」と言っていた手前、もう何ともならないなーと考えあぐんでいたのです。しかし、み言葉に立って祈り、神様は生きておられると信じて、出発当日駅に行ってみると信徒の人々が見送りに来ていて、さらに30円の餞別をくれたというのです。そして汽車に乗り終着駅で降りると知人が見送りにきて、15円くれたというのです。当時関門トンネルはなく、舟で門司に着くと、二人の知人が見送ってくれて、包みをくれました。それが2円ずつで4円ありました。合計何と49円です。先生は奇跡であると感激して泣きました。神は生きておられる。弟子たちは、「神様には何でもできる」と聞かされて、信じていると言いながらも海の上を歩くイエス様を恐怖としてしか見ることが出来なかったのです。主イエス様が「わたしである」と語られた時、我に返ったのです。み言葉がイエス様によって語られる時、「神には何でもできる」と経験的に理解したのです。祈りこそは活ける主をいまに経験する恵みです。
第三に、弟子たちは、イエス様とペテロとが船に上がられると風がやみ凪いだのを見て感動したのです。イエス様が神であられなければ出来ない事をお示しになったのです。「本当に、あなたは神の子です」と告白するのです。弟子たちは人々がイエス様は預言者だ、偉大なる教師だ、いや、メシヤだと言う風評を聞いていたので、実際にみ業と教えを聞きながら確信にまでいっていなかったように見えます。しかし、この出来事でハッキリと「神の子」救い主、メシヤであると確信するのでした。イエス・キリストの教えとみ業、出来事を通して聖書が神様の御旨を知る道であるというメッセージがあるのです。“聖書のみ”に立ち、信じ、生きることこそ真実にクリスチャンの生きる命の道であるのです。聖書、イエス様の十字架と復活のメッセージこそ信仰の基礎であるのです。
ハレルヤ。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、
また永遠に変わることのない方です。」(ヘブル13:8)

 

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