2012年 5月27日 礼拝メッセージ 

ペンテコステの日教会成立記念日
「試練を克服する鍵」
ロマの信徒への手紙5章1―5節

今日は「ペンテコステの日」です。古来、教会では「ペンテコステの日」を教会の成立、誕生日として記念します。26日には三浦綾子読書会の主催で旭川から三浦綾子文学記念館の特別研究員である森下辰衛先生を迎え「三浦綾子文学特別講演会」と27日午後は「ウインディ・ゴスペル・コンサート&メッセージ」の特集を御影の名誉牧師杉本俊輔先生を迎えて行います。皆で祈り、皆でポスターを貼り、ビラを家ごとに、また、駅前で配り、地域には新聞折り込みを広く入れて知らせました。先ず、伝道することです。私たちの所属するアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は1914年に設立され、その前年、1913年にS・Fジュルゲンセン一家が日本に宣教のために上陸した記念すべき年であるのです。来年は、日本でペンテコステ信仰が始まって一世紀を迎えます。父君C・Fジュルゲンセンは1934年没し、軽井沢に日本の土となった。大正、昭和の太平洋戦争の間、自由がなくなり、弾圧と閉鎖と続き、宣教師たちは帰国した。戦後、マリヤ・ジュルゲンセン先生一家は再び、宣教のために来日し、ちりぢりになったペンテコステ派の諸教会の13の群れが一つとなって国家に統合されたキリスト教からいち早く自立して、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッドとなります。今年で63年、全国、沖縄から北海道まで全国220の教会となっています。世界では約200国以上の地域で広がり、特にアジヤ、アフリカ、南米大陸では爆発的な教勢が伸びている約5200万人の会員を擁するに至っています。同じ流れにあるペンテコステ派、カリスマ派の流れでは5億人を越えるメンバーになっているのです。
「ペンテコステ派」は、新約聖書の原点に帰る教会を出発点としています。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使1:8)と主イエスが最後に弟子たちに語られた約束が、「ペンテコステの日」に成就したのです。ペンテコステの日に120人の弟子たちが、祈っていると突然、激しい風が吹いてくるような音がして、祈っている一人一人に舌のような炎が現れ、聖霊に満たされて、“霊”が語らせるままに他の国々の言葉で語り出すのでした。この不思議な経験を通して使徒ペテロはみ言葉に導かれて「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。」(ヨエル2:1)を示し、これこそ「約束の聖霊がイエス様によって注がれたのである」(使徒2:33)と宣言するのです。そして、イスラエルの民が、イエス様を十字架に架けてしまったが「イエス様を、神の主、メシヤ、即ち、キリストとされたのです」(;36)だから「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(:38)と言うのです。人々は、この言葉を聞き、3千人の人々がキリストに従ったのです。この出来事を通してキリストの弟子たちの教会が誕生したのでした。
聖霊を受けるという経験を通して、第一に、この経験によって「イエス様がキリストである」ことを自覚的に理解したということです。人間の罪深さをキリストに出会って自覚でき、心の内面的な現実の罪深さを知らされるのです。そこで初めて自分の罪業の深さに悔い改めて、罪を告白し、キリストの十字架の贖いを受け入れて神様との平和、神様との交わりを回復するのです。それはキリストに表されえた神の愛、神様の恵みです。使徒パウロは「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ロマ5:1,2)と言っています。「神との間に平和」を得ているのです。平和、それは交わり、交流であるのです。神様との断絶は、罪ある対立です。深い、越えられない溝、それが罪であるのです。しかし、この罪が除去されました。キリストの十字架の血の犠牲によって払いのけられたのです。「互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(ヨハネT1:7)交わりの回復は罪を認め、悔い改め、赦すことによって開かれるのです。弟子たちは、このキリストの贖いの福音を自覚したのです。
第二に、十字架は罪の代価であったのです。もしそれが代価で終わるとすれば、空しい敗北です。しかし、イエスはその死から甦り、復活されたのでした。空しさを打ち破り、復活の勝利を示し、人は死で終わるのでなく、永遠の命へと導かれる約束をキリストが証しして下さったということを聖霊を受けることによってペテロは明らかにしました。ペテロはハッキリ言います「神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」(使徒2:24)活けるキリストが共にいる自覚を告白しています。
第三に、このような福音の自覚は、キリストにあって弟子たちを一つにしたのです。イエス様は最後に祈られました。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」(ヨハネ17:21−23)。“完全に一つになる”と言うことは、福音を信じ、キリストを受け入れ、神の愛を自覚して生きることにほかならないのです。それは「キリストを体」(コロサイ1:24)即ち、教会の成立意味することなのです“主イエス・キリストを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根をおろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、溢れるばかりに感謝する”(コロサイ2:6,7)ことになるのです。
第四に、ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは、その後、3千人が救われ、みんなが使徒の教えを聴き、交わりのパンを分け合って祈っていると奇跡が現れ、恐れが生じてきたのです。「美しの門」の前で物乞いをしていた歩行困難な障害者をペテロとヨハネが、祈り癒す出来事から多くの人々に福音を語るようになり、なんと5千人もの人が救われたのでした。(使徒4:4)この事が再び、律法学者や祭司たちの顰蹙(ひんしゅく)を買い、迫害が酷くなり、恐怖と試練が襲うことになるのです。しかし、聖霊を受けた弟子たちは、どのような犠牲をも厭わないで福音に生きることになるのです。彼らはどのような困難な中でもキリストに愛されている喜び、全能の神の力を賛美し、宣教が進められていくのです。
“キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられて、「神の栄光にあずかる希望を誇り」にするのでした”。それだけでなく、「苦難をも誇り」として宣教の道を進むのでした。ローマ帝国の強大な体制がイエス様の福音によって変えられるのには300年の歳月が必要でした。それは「聖霊によってキリストの愛が彼らの心に注がれていたからなのです」(ロマ5:5)
今日、如何なることがあってもイエス様の福音は、真実に信じ、聖霊を待つ望み、聖霊に従う人々によって伝えられて行きます。イエス様は世の終わりまで私たち共に歩まれると約束されているのです。(マタイ28:20)
ペンテコステの教会は初代の教会と同じ道、聖霊に満たされ、聖霊に従い、イエス様が命令された「全世界」に出て行って(マルコ16:15)福音を伝え、福音のためにはどの様なことでもできる教会であるのです。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
(コリントT、9:22,23)


 

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