2012年 7月1日 礼拝メッセージ 

「人を生かす回心の道のり」
使徒言行録9章1―19節

人には、一人一人のそれぞれの人生の歩みがあるものです。「人生は人との出会いで決まる」とよく言われることです。私は、仏教に熱心な環境の中で育ちました。祖父は、彫刻をし、仏像を刻む人で、浄瑠璃の人形を作り、操る人で、父は、画家でありました。幼い時は21日になると弘法さんに祖母に連れられて行きました。戦争が激しくなると共に家族は京都の裕福な生活を整理して島根の石見の海岸の田舎町に疎開しました。
そこで中学生の時、受け持ちの先生に誘われ、「おしるこ」につられてある家庭のクリスマスに出席したのが、キリストの集いに出た初めてのことでした。この集いを世話している人が、私と仲の良い同級生のお兄さんでした。この人は痩せこけて見るからに弱弱しい人でした。物静かで、綺麗な声で賛美歌を歌っていました。木崎さんと言います。この町には教会はなく数ヵ月に一度、今市から牧師さんが来られていました。いつも木崎さんが、何人かの人と共に集いを持ってお話をされていました。
この方は、町はずれの松林の中の畳三畳ほどの小屋で一人生活されていました。子供たちはヤギのおじさんと言っていました。(山羊を飼って乳を絞って生活している)。この人の弟である私の友達は、近くで大きな家に家族と一緒に住んでいました。木崎さんは小学生の時に結核にり患してしまったのです。当時、結核は恐れられ、その村落では3家族が全滅すると言う悲劇が襲っていたのです。木崎さんは一室に閉じ込められ、友逹も来ない、家族も近寄らない、お母さんだけが介抱する中で、ある時、家にある「主婦の友」の雑誌を開いていると「新約聖書10銭、旧約聖書15銭」と言う広告が目にとまり、「どうして古いのが高くて、新しいのが安いのか」といぶかりながら、新約聖書を手に入れ読んだのです。孤独と苦悩の中で「わたしは世の終わりまであなたと共にいる」という言葉に引き付けられて、神様が共にいて下さると言うことに安らぎを感じて、「インマヌエル、アーメン」を唱えるようになるのです。そして、当時、すでにできていた「結核救済法」で、貧乏でも入院できるとことを町医者に勧められ、松江の日赤病院に行くことになるのです。付き添いもなく子供一人が、日赤病院に来たので病院は驚いたと言います。しかし、入院できてベットに横たわり聖書を読んでいると,診察医から「あなたはクリスチャンですか」と聞かれた。何も分らず聖書を読んでいると言うと、その先生は聖書のお話をしてくれたのです。この先生も付き添いの看護婦さんも松江聖公会のクリスチャンであったと言うのです。これを機会に導かれ木崎さんは洗礼を受けます。やがて、関西で有力な神学者として多くの人々に影響を与えていた橋本鑑の書物に触れ、称名「インマヌエル・アーメン」の真意に触れて、木崎さんの生涯は「主は、共におられる・アーメン」に支えられ、宣教の生涯に導かれ用いられる人となるのです。
1948年、私は高校を卒業し、大学を目指して東京に出ることになります。木崎さんは、私を見送りに来て、小さなポケット聖書をくれました。それには「賀川豊彦」のサインが入っていました。「東京に行ったら、教会に行きなさいね」と優しく手を握ってくれました。そしてやがて教会に導かれ、イエス・キリストの福音に出会い、罪悔い改めて救われ、召しを受けて伝道師になる決意をし、神学校に入学が決まると、田舎から木崎さんは古い「黒崎幸吉の新約聖書注解全書10冊」を送ってくれました。これは、私の「宝」です。私は、関西学院大学で印具教授と出会い、そこで、橋本鑑の訓話を聴きました。そして印具先生も称名「主、共にます。インマヌエル・アーメン」と出会うのです。
使徒パウロは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソ1:3,4)と不思議な召命の人生を振り返っり、確信を持って告白しています。
使徒パウロは、小アジアのキリキヤのタルソで生まれ、生まれながらのローマの市民権を持つ、離散ユダヤ人であったのです。年若くしてエルサレムの律法学者ガブリエル門下に学び、律法に精通し、伝承によれば哲学者セリカとも交流があったといわれる秀才でした。離散ヘブル人であるがゆえに幼少のころよりヘブル人としての薫陶を受けて育ったのです。エルサレムで起こったイエス様の働きが、伝統的な律法の精神と反すると断定し、ステパノの宣教を聴きながら、彼を殺害するべしと、その処刑の現場で成り行きを見守っていたのです。彼は、クリスチャンの捕縛隊の首領としてシリヤのダマスカスに大祭司の勅許状を持ってでかけるのです。その途中、パウロは、天からの光が輝き照らし、打ち倒されたのです。「サウロ、サウロ、何故、わたしを迫害するのか」と言う声を聞くのです。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと「私は、あなたが迫害しているイエスである」と言う声が聞こえたのです。目が見えなくなったパウロはみ声のままに町に入るのです。神様は、ダマスコにいるアナニヤに語りかけられました。パウロはユダの家であなたに祈ってもらい、目が癒される幻を見ているから行けと言う言葉を聴きます。アナニヤが尋ねてパウロのために祈ると、目からうろこのようなものが落ちて見えるようになるのです。アナニヤに主は、「パウロは全世界に出って行ってわたしの名を告げる人になる」「目が見えるようになり、聖霊に満たされる」と言われていると告げるのでした。サウロは洗礼を受け、使徒としての働きを始めるのです。不思議な導きの経験の中でイエス様に出会い、使命を受けて、その生涯を殉教の死に至るまで歩むのです。使徒パウロは、聖霊を受けて「活けるキリスト」を当時の世界、ローマ帝国の全域に福音を伝え、キリスト教の土台を築いたのです。福音に抵抗し、弾圧する彼であるのですが、「天地の創造の前から予定し、選んでいて下さった」主の恵みを褒め称えているのです。
回心は、聖霊の恵みの働きであるのです。生まれながらにして人は、自我の奴隷となり、自分で生きている自負心が、自分を見失わせ、創造主なる神様の語りかけを拒むことになるのです。パウロが不思議な経験を通して「活ける主イエス」に出会い、その使命を自覚できたように、人にはそれぞれ違う経験の中で神様の声を聞く機会があるのです。木崎さんは、病床の中で孤独と苦悩の中で「インマヌエル」なる神様に出会い、用いられたのです。石見の僻地に今は、立派な教会がたてられています。聖霊の恵みを思い、一人一人の生涯を今日まで支え導いて下さったことを感謝し、与えられた日々を聖霊に従い多くのも実を結ばせて頂こうではないか。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:16,17)

主の恵みは、人を救うために、聖霊は「先行的に働き」恵みによって心の窓が開ら開かれるのです。そして聖霊は「効果的に働い」て悔い改めに導き、イエスを主と告白して罪赦されるのです。その信仰は聖霊によって「実際的に働き」日常の生活に聖霊の恵みを実らせて下さり、さらに、聖霊は「習慣的に働き」、豊かな実りとしてクリスチャン品性と福音の宣教、生活の祝福の実として結実させて下さるのです。

福音に生きる喜び、「これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ロマ8;37)と告白できるのです。感謝。

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