2012年 7月29日 礼拝メッセージ 

「人を生かすキリストの愛」
ヨハネによる福音書13章1−15節

暑い夏です。日本の暑さは格別に蒸し暑いです。蒸し暑いのは汗が出るので不愉快になります。その時は汗を水で流し洗い落とすことが最善の道です。適切な対応をしないと熱中症で命を失うことさえあるのです。生きることの激しさを実感します。熱中症は注意をすれば助かると言われます。
わたしたちの人生にも様々な出来事があり、人生の試練の選択に戸惑い、苦しむことがあります。昨日、三浦綾子読書会がありテーマ図書「千利休の妻たち」を読みました。上、下巻の単行本で600ページぐらいになります。読むと言うよりは読んできてお互いの感想をまとめて発表し作品を味わうのですが、人それぞれの受け止め方があります。千利休が堺の商人でありながら茶道の道に入り、それを大成させ、権力の渦に巻き込まれて悲劇の死を迎えます。利休の人生は、夏の蒸し暑い中での茶室という世界で、涼風に心を思いを寄せる求道者の世界に思えます。「千利休の妻たち」と言っているように多くの女性を囲うと言う女性観、恋愛観を巡って男の性と罪悪感を原罪の域にまで問い、人の罪深さを示し、その中で利休が求める茶道、彼は茶道は宗教であると言いつつその道を切り開いていくのです。言換えれば、罪深い自分を知りながらこそ、茶の道に逃げるようにさえ見えるのです。現実はそのままで茶道の道を究めつくそうとするのです。
お茶は平安時代に日本に来て嗜好品より薬として重宝がられていましたが、栄西や道元が抹茶をもたらし、禅宗の広がりの中で精神修養の要素を持って広がるのです。利休の師である武野紹鴎の師である田村珠光は一休和尚の弟子であり、「人間の成長」を茶の目的として茶と向き合う人の精神性を重んじるようになるのです。禅の道に従い、自分を内証し、狭い空間で同じ思いで茶を飲む道から狭い茶室となるのです。このような教えから利休の師武野紹鴎は「不足の美」―不完全だからこそ美しい−という考えに至り、華美を慎み、簡素化と精神的な充足を求めて「侘び」の境地にたどり着くのです。利休は,師の教えをさらに進め、茶道具だけでなく、茶室の構造、点前の作法、茶会全体の様式、茶器、掛軸の全精神を表す「水墨画」を選びました。そして茶道を極限まで削ると言う総合芸術に集大成したのが利休でした。「侘び」とは何か。「正直、慎み、偽らざること」と教えられるのですが、利休の現実は妻にはいえない多くの女性を囲っていました。関係している“りき”がキリシタンになり、モーセの十戒で「姦淫を犯すことは罪である」ことを教えられ、利休との間をないものにしようとします。利休は清楚を求める茶の道を思う時、彼は素直にその気持ちを受け入れます。やがて正室は逝去し、利休はりきを正妻として受け入れます。そのような中、利休は聖餐式に出会います。その時、一つの茶椀を回し飲みする様式に心打れるのです。身分も、性別、家も、貧富も関係なく神の子どもとしてキリストの血である「葡萄酒」を飲みまわす。人間はこうでなければならないとやがてその様式を茶道に取り入れて行きます。また、「狭き門より入れ」の聖書の言葉に触れ、「どのような人間でも謙遜になり、この世のものを捨てて門をくぐるのでなければ天国に行けない」というみことばに利休は感動し、その精神を茶の作法に取り入れました。すなわち茶室に入る入口を狭くして、どのような位の人でも茶室に入る時は人間として無になって茶の道に入ることを求めるのです。このようにキリスト教の様々な様式が茶道の道に取り入れられていったと言われています。利休は人間のあるべき理想を求めていながら、現実は自分の罪深さに苦しんでいました。そんな利休に妻のりきは順々とキリストの救いを語るのでした。大徳寺の山門の寄進をした返礼で寺は利休の木像をその二階に置いたのです。それがきっかけとなり利休は切腹を命じられるのです。そのほかにも様々な確執の要因はありますが、利休は有力大名の助命嘆願の要請を受け入れず、静かに完成された茶を煎てて命を断つのでした。
利休は禅の道に始まった茶の道、自分を見つけ人の道を求める悟りの道をその道に終りが見えなかったのです。りきと娘のぎんを通してキリストの贖いと天国、完成された人のいる場を見出したように「死ぬことは天主(デウス)様のところに行くこと」に至るのです。
罪に生きる現実から我を救わん者は誰ぞ!
「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」(ロマ8:14,25)
と使徒パウロは確信を持って言っています。
ヨハネによる福音書13章には、イエス様の洗足の話があります。これはイエス様の最後の晩餐と言われる弟子たちとの別れの愛餐の前にイエス様が弟子たちの足を洗い拭かれるという出来事です。イエス様が使命の完成として自らしなければならないことを弟子たちが理解できないでいることを予期しておられます。弟子たちが迷うことなく使命を自覚できるようにと言う思いで弟子たち足を洗おうとしておられるのです。1節には「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」と記されています。「この上なく愛し抜く」とはある注解書によれば「完全に」「最後の瞬間まで」愛を貫き通されたと言う意味であると解説しています。そして、食事の席から立ち上がり「上着を脱ぎ」とあります。上着を脱ぐとは、イエス様がやがて「命を捨てる」と言うことを暗示しているのです。「脱ぐ」はテセーミと言う言葉が使われていて、ヨハネ10章11,15節には命を「捨てる」と言う意味に使われているのです。
イエス様は手ぬぐいを腰にまとい、弟子たちの足を洗い、その手拭いで拭き始められたのです。ペテロの所まで来ると「主よ、私の足を洗って下さるのですか」イエス様は「私のしていることは、今あなたには分るまいが、後で分るようになる」と言われるのでした。「後でわかる」それはキリストが十字架にかかり、甦る後であると言うことです。だから今は分らないだろうけれども、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。実際、ペテロは最もイエス様を愛し、側近としてお仕えしている自負心であるのです。弟子が師の足を洗うのなら分る。しかし、先生が弟子の足を洗うことは絶対あり得ないのです。ペテロの常識が覆されて、イエス様が足を洗わないなら関係がないとさえ言われているのです。
ここで教えられなければならない第一のことは、ペテロは確かに「あなたのためなら命を捨てます」(:38)とも言うのです。自負心があるのです。しかし、裁きの座でイエス様を知らないと言ってしまうペテロでした。この洗足の時点のペテロはイエス様を信頼しているのですが、イエス様の御心をわきまえていないのです。イエス様の福音、教えは十字架のメッセージであったのです。自分の弱さを自覚し、罪を認識して謙遜になる時、神様の犠牲としての十字架の言葉、贖いの趣旨が生きて来るのです。ペテロにとっては師は仕えられる人であって仕える人であってはならないのです。正にそれは常識であるのです。イエス様は「あなたがたの間では、偉い人は、仕えられるのでなく、仕える人になりなさい。」(マルコ10:45)と言われています。千利休はその茶道の極意の中で「師であっても、茶会の客は主である」と言うのです。師は仕える境地です。それは「謙遜」の極みであるのです。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6−8)自分の思いの中でイエス様を理解するのでなく、イエス・キリスト、しかも十字架のキリストの言葉(コリントT1:8)の真意に生きることは大切です。
第二に、ペテロは、「わたしの足など絶対に洗わないでください」(:8)といいます。この「わたし」と言っていることは、他の弟子の足を洗っても「わたし」の洗わないで下さいと言うのは「他の弟子と私は違う」と言う強調しているのです。そこに優越、どうして「私の足を洗ってもらっていのか」と言うのです。ここで教えられることは、私達、一人一人は、個に世の中の思いに流され、生きる価値観が固まってしまっていることが往々にしてあるのです。千利休が自らの茶の道の中で人のあるべき理想を求めながら、世情の権力やしがらみ、また自分の心の偽善性に翻ろうされながら、真実の道を罪の赦しと平安の道をキリストに出会って「わたしも天国に行けるかのう。」と言う問いに「謙遜になって懺悔をすれば行けます。」と言う“りき”の言葉に求めた道を妥協しないで死を迎えたのでした。
キリストに足を洗われことが、究極の神様の愛を表しているのです。感謝。


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