2012年 8月19日 礼拝メッセージ 

「ノアの箱舟と希望の虹」
ヘブライ人への手紙11章7節

8月15日は太平洋戦争が終わった日です。「終戦記念日」として戦没者の犠牲を偲び、「平和」の尊さを思う時です。日本の国は世界の進歩と共に近代化に遅れじと西洋文明を取り入れて発展の波に乗ってきました。人類の成長と発展は、いつまでも終わることのない争い、侵略と支配の我欲の拡大の連続であったのです。強いものが弱いものを支配し、収奪する罪悪の構図の連続でした。日本は鎖国で一国天下泰平、奇跡的な270年を経て来ました。それは、極東の島国であったからですが、文明の開化は世界の闘争と略奪の流れに巻き込まれることになったのです。
創世記の6章にノアの物語が記録されています。その6章5,6節に神様の深い悔悟の思いがあります。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」とあります。存在と命の根源である天地創造の神は、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(1:30)と満足されているのです。そこには神の御心にそう完成、満足、喜びがあったのです。そして「産めよ、増えよ、地に従わせよ。…すべてを支配せよ。」(創世記1:28)と人に世界の営みを任し、治めることを命じられているのです。しかし、6章では「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(:6)人に任せられた世界は神様の思いとは遠い罪悪な現実となっていたのです。神様は創造を「後悔」されるのです。神様の悲しみは調和の破壊、完成の崩壊、道義の頽廃であるのです。
ノアの箱舟の物語は神様の悲しみと絶望の回復の教訓的な出来事でした。神が悲しまれる罪悪で混乱する時代にあってノアは「神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」(6:9)口語訳では「正しく、かつ全き人」(:9)であると訳されています。神様に完全に従い、その御心に生きた人であったのです。言換えれば、混乱と破壊の罪悪の世にも、神様の誠実を生き、神の思いを思いとして世の改善と平安を祈る人であったのです。どのような時にも神様に選ばれた御心に生きようとする人がいるのです。言換えれば、神様に選ばれている人であるといえます。神様は罪悪の世を改善するためにその救いの道を示す器としてノアを選ばれたのです。ノアに箱舟を建造するように命じられるのです。敬虔なノアは神様の御声に従います。その大きさが示されます。三階の構造で長さ3百アンマ(135m)幅50アンマ(22,5m)高さ30アンマ(13,5m)[1アンマは1キュピトで45センチ]でありました。神は完成の暁には、動物や鳥のつがいを入れて、家族をみな入れなさいと言われるのでした。勿論、食料も積み込むように示されたのです。箱舟は、単に水に浮く箱のようなものだと言われています。とてつもなく巨大な箱を建造するノアの行為は人々の目には奇異にみえたと想像できます。何のために、どうしてそのようなものを造るのか。人々が尋ねる時に、ノアは示された神様のメッセージを語ったのです。大洪水が来るという予告をするのでした。しかし、誰一人として信じようとはしなかったのです。箱舟が完成し、神様が言われたように準備をし終えて、一週間後に雨が降り、40日40夜降り続くと予告されたのです。そして、その時が来て高い山々は水で覆われたとあります。(7:19)そして150日たって水がようやく引き、箱舟はアララト山(5137m)の山上に止まったのです。40日経ってようやくノアは窓開き、その後約半年たって地は元に還ったのでした。その後、神様は告げられるのでした。「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。」(9:13−15)
このノアの出来事の教えるところは第一に、不法と堕落、犯罪と神様を否定する暴虐への警告であるのです。神を否定することは破滅を意味していることになります。最初に、日本が、世界戦争に巻き込まれる歴史の流れを指摘しました。明治維新の最大の課題は、外国の侵略であったのです。幕府が開国しようおが、開国は世界の趨勢となっていたのです。世界に目覚めることは“富国強兵”であり近代化はヨーロッパ諸国の植民地化をとどめることであったのです。“無主国家”と言って、国家としての国を守り、国を治める梯をなさない地域は、強国が支配してもよいという理不尽な国際慣例(法)であったのです。地域は、先手を打った国家が支配してもいいと言うのです。その勢力争いが連綿と続いているのが現実の世界であるのです。ロシアは中国に侵略し、朝鮮の支配をもくろみ、日本を視野に入れていたのでした。明治政府はその阻止を計りますが、先ず、日本は朝鮮に独立を促しますが、朝鮮の宗主国である清(中国)に援助を求めたために日清戦争になり、戦い勝利するのです。その後、日露戦争となり、植民地争奪競争でインドを征服している英国が、南進するロシアを牽制するために日本を援護する構図になり、ある意味でヨーロッパ強国の代理戦争の裏構図があるのです。ヨーロッパ諸国の対立に翻ろうされながら、それに追従する形で日本も中国大陸に遅れじと戦線を進めるのです。そして、第二次世界大戦では軍国主義と民主主義、共産主義の対立構図の中で軍国主義のドイツ、イタリヤと同盟を結び、悲惨な原爆の恐怖で終戦を迎えるのです。極東軍事裁判でインドのパール裁判官は、「米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産を無差別に破壊したとしてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした」のでした。日本軍の盲信的、自虐的な人命軽視をとどめる手立てとなったことも事実であるのです。これが神のない世界の悲劇であるのです。不法と堕落、暴虐は神様を忘れるところから来ることをノアの出来事は警告するのです。家庭においても、職場でも神様の御心である命を大切にしなければなりません。多の人のものを奪うことは破壊と混乱であることを示唆しているのです。そしてキリストの十字架による神様の愛と和解が平和の保障となるのです。神の愛は「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」(コリントT13:4−8)神様の愛のあるところには平和があるのです。
第二に、ノアの出来事のメッセージは、どのうな破壊や暴虐、堕落が起きようとも、空に「虹」を見るたびに二度とノアの出来事を繰り返さないと言う約束であるのです。「虹」は希望のメッセージであるのです。戦争と破壊、試練と悲惨の中でも生ける神様に立ち帰る機会であり、解決と救いのメッセージであるのです。人には、世をすべ治めるの能力を神様から給わっているのです。神不在の能力は破滅と堕落を警告します。「虹」は、また平和の約束であるのです。そこには神様の愛と忍耐、平安が約束されています。
第三に、聖書は世の終わりを告げています。人の生きる世は、不法や、破壊は繰り返されるという事実です。問題が尽きないのです。真実の神様に争(あらが)う知性や理性は、破滅と幻滅へと落ち込むことになります。動力源「を見出し、石炭を用い、石油が発見されてみちて機械が開発され電気を生みだす。やがて公害・自然破壊で温暖化が地球危機を予測し、クリーンエネルギーの原子力が普及する。たび重なる原子力発電所の事故でその恐怖が、3・11東日本の大震災、津波による福島原子力電発所の崩壊で放射能の恐怖を経験するにおよんで世界が、その危険と不安で頭を抱えているのが現実です。聖書の「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタイ24:35)が現実的な警告であることを実感するのです。ノアの箱舟の出来事で、神様は警告されているのです。真実の創造主なる神様が忘れられるおぞましい世界の最後の姿があるのです。いま、空を見上げて「虹」の出るのを見て神様の御心を見上げる必要があるのです。主イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28−30)ノアが箱舟を示されてその洪水の警告を逃れたように、イエスキリストは、全人類の罪悪による暴虐と破壊のために警告をされます。「神の国は近ずいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」(マルコ1:15)罪悪の根源に気づき、悔い改めてキリストによって示された神の愛に生きる時、そこに神の国が約束されるのです。「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(ヨハネT、4:12)「すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」(黙示21:20,21)

 

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