2012年 12月2日 礼拝メッセージ 

「待ち望むクリスマス」
ルカによる福音書2章22-38節

 生きるということは、何かを「待つ」ということにつながっているようです。食事を待つ。仕事が始まるのを待つ。給料を待つ。試験を待つ。試合を待つ。出産を待つなど日々の生活は《待つ》の連続であり、さらに人生において《待つ》ことを考えると、その最後は《死を待つ》ことに終わるのではないでしょうか。
 「待つ」ことは期待することにつながり、或る時には育児のように愛情と忍耐が求められ、親の生甲斐ともなります。喜びと挫折、思案と戸惑いの中に「待つ」ことが人を支え、勇気付けることになります。しかし、その「待つ」ことが希望でなく、絶望で終わるとしたら、果てしなく空しいものになります。
 考えてみれば「待つ」ことの連続である人生は、日頃意識しなくても「死を待って」生きているのです。太宰治の「待つ」という4ページの小さな小説があります。太平洋戦争の時代に20歳の一人の娘が毎日、買い物に行く帰りに駅に行って「待つ」という設定です。生きることは待つことの連続であるけれど、「待つ」こと、即ち、「生きる」ことの意味を問いかけているといえます。
「いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。…それではいったい、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸をおどらせているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。」(「待つ」太宰治著)
 この作品は太宰治の自己告白であるようです。何を待つのか分らない日々、誰ともコミュニケーションの取れない孤独、誰かを待っている、何を待っているのか分らない、でも待っている私、このような私ですが「覚えておいてほしい」。私を忘れないでという思いがあるようです。それは「待っている人を求めている」ということで終わっているように考えられるのです。
 大阪大学の前総長であった倫理哲学者鷲田清一さんには「待つ」という哲学的な著書がありますが、その中で「《待つ》は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということはでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらにない。ただし、そこには偶然に期するものはある。あるからこそ、何の予兆もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で《待つ》は今までここでの解決を断念した人に残された乏しい好意であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追い詰められた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる。この希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。」とあります。「待つ」ことはこの世に、信頼に裏付けられて希望となると言うのです。しかし、追いつめられ、失望することによって信頼を見失うような世の中では「希望」は「失望」しか予感できない。だとすれば「希望」しないことが最後の希望となると言うのです。「希望」がない「待つ」は空しいと言えるのです。現実の人生が「死を“待つ”人生」であれば、聖書のコレヒト(伝道の書)の言葉がいう「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。」ということになります。
 クリスマスの4週前から教会では待降節(アドベント)、即ち、キリストの御降誕を「待つ」時となります。商店街や百貨店では飾りやイルミネーションをつけてキャロルを流します。病院でもスーパー銭湯でも、駅でもクリスマスツリーを飾るのです。そこには客足を「期待」する商売があり、お祭り気分で人を誘う「期待」感があるといえます。客を「待つ」、売り上げを「待つ」、愉快に楽しみを「待つ」のでありましょうが、クリスマスは「待つ」に値しない、希望のない人生に、真実に「待つ」に値する「希望」をあたえる幸せな時であるのです。
 イエスがお生まれになってから、両親はモーセの律法に従って神に捧げるためにエルサレムの神殿に行きました。その時エルサレムにはシメオンという人がいて、イスラエル民族が慰められるのを「待ち」望んでいました。彼は聖霊に満たされた預言者であり、主が遣わされる「救い主メシア」に会うまでは死なないと聖霊によって告げられていたのです。丁度、シメオンが神殿に入って来た時に、イエス様を抱いて両親が入って来たのに出来くわし、イエス様を抱きかかえ、神様を称えて言うのでした。「私は、お言葉通りに“この日、救いを見ました”。神様が約束された救いの光です。これは、神に選ばれたイスラエルを越えて全世界の人々の救いの光としてお生まれになったのです。そして、イエス様は人々の反対を受けて人々の救いのために苦難を受けられるのです。人々の隠れた罪深い心を露わにし、神様の恵みを証しされるのです。」と予告するのでした。シメオンの死は記録されていません。しかし、“救い主に会うまで死なない”ということは、イエス様の御降誕の事実に出会い、その意味を確かにできたことを喜んだのです。
 その時、神殿にはもう一人の女預言者アンナがいました。この人は若い時に寡婦になり、神殿で祈り、常に断食して夜も昼も神に仕えて、聖書の約束通り、救い主メシヤがおいでになると語っていたのです。イエス様が両親とおいでになると祝福して、この方こそ神様の約束の救い主メシヤであると告げたのでした。
イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)イエスは死の呪いを克服し、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25,26)と言われているのです。正に、クリスマス、イエス様の御降誕は、「死の解決」を与え、「死を待つ」人生から、「永遠の命」に生きる光を明らかにされたのです。
 太宰、即ち「空しく待っている人」の心の闇に光を与え、死を越えた希望をもたらすのです。永遠の命の道、光の道、希望の道、喜びの道をクリスマスは約束する日であるのです。



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