2013年 元旦礼拝 礼拝メッセージ 

「人を生かす希望の光」
イザヤ書40章27−31節

 3年半前に民主党の政権が実現した時、国民は大きな希望と期待を持ちました。やっと民主党になり、年金の崩壊現象、巨額な建設国債の累積負債、憤懣やるかたない沖縄の基地問題が解決し、子育て支援、コンクリートから人へ、基地の他県移転が実現するという希望も、鳩山内閣の宇宙人的迷走で短期に終わってしまいました。派手に行われた仕分けによって出て来る筈の財源も思うように出ず、おまけに東北大震災で原子力発電の崩壊という大混乱となり菅内閣も退陣、代わって野田首相、依然として経済的なデフレ不安の混迷が続き、経済施策として理解されない消費税に執着する。二院のねじれで政局は安定せず、「近いうちに解散」を律儀に実行して自爆的敗戦となる。自民党が圧勝する、しかし、国民の複雑な選択である。安部内閣は国民の信託に応えることが出来るのだろうか。国は確かに沈滞と格差に陥り、大資本の流通構造による小売商店の疲弊、円高の貿易萎縮、技術の流失、少子化による高校、大学の消失など問題は山積みである。日本は沈滞と崩壊という不安と閉塞感に覆われているは事実であろう。しかし、おさまらない政情不安の中にも、自民党がかつての大きな過ちから再生しているという望みも見える。安部首相も体調不調による退任という経験を現在のチャンスとして積極的に進もうとしている。
 日本は、世界が歴史で経験したことのない成熟した資本主義経済の状態になっている。道行く人が倒れ、食べる物なく、住む家もなく、一面焼け野原、これは68年前の日本の社会であった。小さな島、資源のない島に一億の人が住んでいる。そこにどのような希望があったのであろうか。どのような苦難も日本にとっては新しい希望のチャンスであると言って良い。 不安と問題が山積しながらも、円高であるのは国際的に日本の評価が高いからと言える。日本はあらゆるものが満ち足りている。買うものがないのが現状であるのです。お金がないのではないのです。イノベーション(新しい製品)の開発こそが購買を引き出すことになる。スマートフォンなど新機種が出ると人は並びます。TPP(環太平洋経済協定)などは可能性を開く貿易の道であるといえる。無条件関税撤廃がどのような国でも国はあり得ない。商売には駆け引きが不可欠である。技術経済立国で資源のない国は国際交流こそが繁栄の道である。そして世界と共に繁栄を共有出来ることになる。農業界がネックであるが、農業政策を現在の資本主義社会に適合する道を開くことが大切である。日本の新しい品種のコメ、果物など農業バイオの世界は先端を行き、実績を世界にすでに知らしめている。
安部首相のデフレ脱却政策の情報だけで市場は反応して株価は上がり、円安が進み始めている。インフレもデフレも行き過ぎの混乱と停滞は注意する必要がある。そこで経済は生き物といわれるのである。ともあれ個々の家庭が平穏であり、生き生きとした充足感に満ちた幸福がもとめられるのである。いまEUのギリシャやスペインなどの経済崩壊現象や世界に電子器具の先端をシェアーすると言われながら、韓国の海外資本の依存度とシビアな格差の悲劇は深刻な国民の苦難となっている。如何なる事情になろうともみ言葉に導かれて進む時にこそ道が開かれる。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントT10:13)
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも。海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」(詩篇46:2−4)
 主の約束は「耐えられないような試練と共に、それに耐える逃れる道を備えて下さる」というのである。また、「苦難の時、必ずそこにいて助けて下さる」という。そこで「どんなことがあっても決して恐れない」と断言するのです。
 イザヤは言うのです。「私の裁きは神に忘れられた」と「何故言うのか」、「すべての造り主である、決してあきらめない、疲れない、その英知は測り知れないのだ」と。(イザヤ40:27−28)。主は、疲れた者に力を与え、どのような時も「主を待ち望む者は新たな力を得る。弱ることなく、疲れない。」と告げられている。
 ヤコブの家族が飢饉のためにエジプトに移住して4百年がたとうとしていた。その子孫は増加してエジプトの恐れるところとなった。彼らを弾圧する政策がとられ強制労働を課して虐待した。しかし、イスラエルの人々の数は増えて行き、エジプト人は嫌悪した。イスラエルの苦しみと不安は嘆きと呻きとなった。「神は彼らの嘆きを聴き…神はイスラエルを顧みて、御心に留められた」のである。神はすでにモーセを備えて彼らを救われる。
 この聖書の記録は正に「苦難の時、必ず、主はそこにいて助けて下さる」ことの基礎になっていると言える。また2章の24節にあるように「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約、即ち、約束であるのです。信じる者にそれは力となり、恵みとなって証しされるのです。「信じる」ことこそ「祈る」、叫びの声であるのです。
ですから、神様への「願い」を明確にして、「主を待ち望み」大胆に祈る1年を始めようではありませんか。何を願うのか。どこを目指すのかを明らかにして「主を待ち望み」大いなる主に、大いなるビジョンを祈ろうではありませんか。

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
(イザヤ40:31)

 

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