2013年 2月24日 礼拝メッセージ 

「人間を幸せにする愛の力」
エフェソの信徒への手紙3章14−19節

 人間は愛によって生かされます。人は命があるから命を維持する欲求を持ち、その命が豊かに実を実らせることを求めます。命を生かす中心的なエネルギーは「愛」です。「命」は人を生かす力です。その「力」には創造する力があり、破壊する力があるのです。意志する力こそ愛です。その愛が、人を幸せに生かす時に「命」が生きていることになります。
 真実の愛は神から出ると聖書は教えています。「愛する者たち、互いに愛しあいましょう。愛は神から出るので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(Tヨハネ4:7−8)神に救われたクリスチャンは、神様の愛に生きるようになります。神は、神を忘れ、神に逆らい、神に反逆してきた人間の罪の贖いをイエス・キリストの十字架で成し遂げて下さいました。その事実によって真実に人を「生きる」者にして下さったのです。これが神の愛の表れです。「神は独り子を世に遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに神の愛が示されたのです」(Tヨハネ4:9)キリストを信じることは、キリストの愛に生きることにほかなりません。「イエスはわたしたちのために、命を捨てて下さいまいた。そのことによって愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」(Tヨハネ3:16)と言われているのです。イエス様によって愛を知ったのです。だから、人として生きる事の喜びは、イエス様の愛に生きることにあるのです。
 第一ヨハネの手紙には、当時の宣教事情の中で、イエス様についての様々な考えがあって、イエス様は神であるのなら霊であって、実際には幻影であるとまことしやかに言う者さえいたのです。ですから第一ヨハネの手紙の4章は“真理の霊と偽りの霊”の論争があるのです。「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。」(4:2)イエス・キリストの霊は「真理の霊」(ヨハネ16:13)であるのです。霊こそ「命」であり、聖霊は神そのお方です。だから「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。」(Tヨハネ4;16)キリストを信じた時、聖霊は信じる人に内住されるのです。聖霊は真理の霊であってキリストの福音の命です。その命こそ聖霊なる神の中心であり、父なる神を表している「愛」即ち、「神の愛」であるのです。
聖書は「神は愛なり」(Tヨハネ4:8,16)と明記しています。
キリストを信じることは、愛に生きることです。だからこそ、「 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです」(Tヨハネ4:12)とあるのです。キリストの愛に生きるところに活ける神が実在されるのです。クリスチャンはキリストの愛に生き、成長し、実を結んで主が約束される幸せを築くことが大切です。
 第一に、神様の愛に生きることは、神様の言葉に生きることです。神様の言葉に生きることは、神様の言葉を愛することにほかならないのです。即ち、神様の言葉を信頼し、従うことです。神様を信じていなかった「以前」のような生き方、即ち、情欲に惑わされる破壊の生活、自己中心な快楽に振り回される無意味な生活など古い人を脱ぎ捨て、「心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4:23,24)新しい、清い生活とは神様の愛が生かされていることにほかならないのです。言換えれば、愛のきよめ、即ち、愛の純化こそがクリスチャンの祝福の基本的なあり方です。クリスチャンの“きよめ”はキリストによって示された神の愛に生きることです。
 第二に、神様の愛の“きよめ”の成長については、「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3:16,7)という聖書の言葉が教えています。「霊により、力をもって」キリストを信じる人には聖霊の臨在、即ち「活けるキリスト」を内住させる、それは、キリストの愛が命として息づき、キリストの命を持って生かされるということが示されています。聖霊に満たされるということは、正に活けるキリストの根本的な命としての神の愛の自覚的体験にほかならないのです。「心の内にキリストを住まわせる」(3:17)ことこそ「愛に根差す」ことです。クリスチャンは絶えず聖霊の満たしを待ち望み、求めることが大切です。
 第三に、「心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根差し、愛にしっかりとたつもの」(3:17)とされることです。それは、キリストを愛し、キリストの言葉に生きることであるのです。キリストの言葉としての聖書を熟読することこそ愛の実際の第一歩であるのです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉に聞くことによって始まるのです。」(ロマ10:17)み言葉を知ることは、キリストの御心を知ることになるのです。
 「 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」(エフェソ4:18,9)
 古い建物を建て替えるには、今まであったすべての物を取り除いてから新築の家の土台を築かなければなりません。土台については工夫が必要です。上に建てる建築物の規模により、構造を決め、見えない土台を築くことが不可欠です。「古い人を脱ぎ捨て、心から新たにされて」(エフェソ4:23)とあるように古い過去を完全に脱ぎ捨てることこそ大切なことであるのです。神様を信じていなかった過去、古い私に死にキリストに新たに生きる、そこに信仰の成長のすべてがかかっているのです。日日新たにキリストを見上げ、キリストの愛の実を結ぼうではありませんか。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤ2:20)
「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
(フィリピ3:13−14)


 

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