2013年 7月21日 礼拝メッセージ 

「イエス様の流された涙」
ヨハネによる福音書11章28−37節

 日本は世界で最も長寿の国で知られています。WHOの2013年の統計によれば、世界の平均寿命が男女で72歳であり、日本の男女平均寿命は83歳で世界の最高値です。世界で男女最短寿命の国の平均年齢は、47歳だということです。平均寿命の短い国は、戦争や飢饉や経済的な貧しさがあるかもしれません。長生きは文化のバロメーターと言われます。しかし、日本が世界一の長寿国であっても、認知症の人が450万人、その予備軍が400万人という現実があります。生きることが苦痛になり、死を待つことを願う高齢者が増えているのです。そして全ての人に「死」は例外なく、確実に訪れるのです。お金があってもなくても、能力があってもなくても、財産があってもなくても、人は「死」を迎えるのです。生きる孤独、生きる苦痛、生きる悲しみの中で死を望むことは絶望を意味します。哲学者ハイデッカーは、人間とは「死に至る存在である」と言っています。それによれば「人は絶望の存在」といえるのです。死という人生の厳粛な終わりを、孤独と悲惨で迎えることは、生きる上で常に「不安」がついて回ることになります。ヨハネによる福音書の11章には、イエス様と親しくしていた3人姉弟の話があります。イエス様がエルサレムで人々に教えを語られてから、ヨルダン川に沿ってガリラヤに帰ろうとされていたところでした。洗礼を受けられたあたりに来ておられたのです。その時、エルサレムの東約3キロにある小さな村、ベタニアのラザロが病気になっているという知らせがイエス様に届きました。イエス様はラザロとその姉たちを愛しておられた。イエス様はラザロは病気であるが死ないといわれ、そこに2日間滞在された。それからイエス様はユダヤ(ベタニヤ)に行ってラザロを見舞うと言われた。弟子たちは、ユダヤから帰ろうとして道半ばに来たところで又戻ることになるし、ユダヤではイエス様を迫害しようと待ちかまえている人たちがいるのに、又そこへいかれるのですかと言うが、主はラザロを愛しておられたので戻って行かれることになったのです。イエス様がベタニヤに入られた時、ラザロが葬られて4日が経っていたのです。姉のマルタはイエス様が来られたと聞き、迎えに行きました。彼女は「イエス様、あなたがここにいて下さったらラザロは死ななかったでしょう。」と言うのでした。しかし、イエス様は「あなたの兄弟は“復活”する」と言われるのです。マルタはすかさず、「死んで後の日に、世の終わりの時に神様を信じている人は甦るという教えは信じています」と言うのでした。しかし、イエス様は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」と言われるのです。マルタは「主よ、あなたは世に来られるはずのメシヤであるとわたしは信じています。」と言うのでした。マルタは、こう言いつつもマリヤを呼びに行き、マリヤは早速、村はずれのイエス様がおられるところに行くのでした。マリヤも同じように「主よ、ここにいて下さったら、ラザロは死ななかったでしょう」と泣くのでした。同じように一緒に来たユダヤ人たちも泣くのでした。イエスは「どこに葬ったのか」と言われ、人々はイエス様を墓に導いた。“イエス様は涙を流された”のでした。イエス様が涙を流された個所の前の33節には、「心に憤りを覚え」られているのです。その後の38節にも「再び、心に憤りを覚えて」墓に来られるのでした。人々にはイエス様を信じる信仰がありながら、イエス様を迎えていながらも、イエス様を信じていることの意味が分かっていないという悲しさに憤りを表しておられるのです。このイエス様の流された涙の意味を理解することによって、自分自身の信仰の真実を学び、イエス様の御心である失われることない「命」、時が過ぎ、如何なる変化があろうとも過ぎ去ることなく、変わらない「永遠の命」に生きる希望を見出すことが出来るように教えられるのです。 
第一に、イエス様の「涙」は、弟ラザロの死にマルタとマリヤが悲しみ、戸惑い、嘆いている姿に同情されている涙でなく、この解決しえない死の悲しみから解放するイエス様の命の言葉を信じて、理解していないことへの悲しみであるのです。だから、イエス様は「心に憤りを覚え」られているのです。25節で「わたしを信じる者は死んでも生きる」(:25)と言われているのです。死を克服する「復活の命」の意味を充分理解していないマルタやマリヤが、イエス様の言われる真意を受けとらないで繰り返し嘆く姿に、心に憤りを覚えられたのです。イエス様の涙は、いくら言ってもイエス様のお言葉の真意を理解しない、姉妹のあわれに涙を流されたことでもあります。マルタは、イエス様が「あなたの兄弟は復活する」と言われたことは、未来の世の終末において起こることであって、現実の死とは関係がないように思っていました。しかし、イエス様は「わたしを信じる者は死んでも生きる」と言われるのでした。この後でイエス様は墓に入って祈られるのです。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」(11:41,42)この祈りはラザロの甦りの奇跡を通して「イエス様がメシヤ、救い主である」ことを教える為であったのです。幾度となくイエス様はマリヤやマルタに神様の御心を教えてこられたのでした。如何なる時にも「神様は活きて信じる人の祈りに答えられる」ことを示してこられたのです。実際にラザロは墓の中から甦らされたのです。しかし、ラザロは死から甦る奇跡をうけるのですが、やがて年老いて死んでゆくのです。聖書はラザロのその後の出来事を記録していないのです。確かに、イエス様を信じて様々な超自然的な出来事を経験することがあります。癒しの出来事、経済的な思わないような祝福を経験することがあります。しかし、すべては過ぎ去っていくのです。主は言われます「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(:25−26)と言われるのです。死ぬことは肉体の死であり、変化であるのです。しかし、肉体の変化があっても「生きる」命、変わらない命、変化しない命こそ、イエス様が示される、「永遠の命」であるのです。この命の実在は、やがて時と共に新しい再創造の世界で新しい存在、人格として再創造されるのです。新しい存在こそ「神の国」であるのです。イエス様を信じることは「永遠の命」に生きる、いや、生かされることにあるのです。 だから、イエス様を信じる人は「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ4:11−13)と告白できるのです。 イエス様はこのような信仰の奥義を教え、祈り、導きながら、信仰の真実の教えを悟らない人々への、憤りが憐れみの涙となったと言えます。
第二に、イエス様は、ラザロの死に直面して、人の死の絶望的な悲しみに涙されているのです。この涙は、死に終わる人の空しく、儚い人生を生きる人々のやるせないあり方を悲しまれたのです。命と存在の根源者であり、愛と慈しみに満ち溢れた神様を見失っている人間、おるべき所を忘れ、即ち、神様を信じない事によって起こる人間の悲惨な現実、これこそ「罪」の根源であり、世界と生活の破壊の姿であるのです。神から離れて、神としてふるまう人間の悲劇に、こよなく怒りと悲しみを持ってイエス様は「涙」を流されているのです。その罪の結果である死に打ち勝つ道としてイエス様は人類の罪の贖罪として十字架に道を歩まれたのです。
「キリストこそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(Tヨハネ2:2)「しかし、今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ロマ6:22−23口語)
第三に、マリヤとマルタは、悲しみの時「主よ、もしここにいて下さったら」と異口同音に嘆いたのです。主は弟子たちに最後に言われています「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」(マタイ28:20)と。涙を流されるイエス様は、共にいて下さるのです。或る時には、疑いの森をさまよう時、孤独にさいなまされる時、行先がわからないようで息詰まる時、「主は共にいて下さる」のです。そして言われます「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい」(ヨハネ14:1)と。「 死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩篇23:4)主を信じる者には、「あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27口語)生きることへの勇気と希望、死に対する平安、永遠の命の動かない信仰が生み出すクリスチャンの祝福であるのです。

 

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