2013年 8月18日 礼拝メッセージ 

「共におられる神」
詩編46篇1―12節

 詩編は150編で編纂されています。旧約時代、約6世紀に渡って編纂されてきたと言われています。詩編は「魂の糧」と言われるように信仰によって詠んだ詩であるのです。著者は預言者や王、様々な人々の詩で成り立っています。詩編は色々な視点で歌われていますが、4つに分類されます。その1、神様への賛美、2、神様への感謝、3、個人的な嘆き、4、神様への嘆きに分けられます。そこにはモーセの五書を基本にした信仰の告白があるのです。神様が創造の根源であり、すべてのものを支配され、知恵と秩序の創造者、人の生きる規律の基礎を与えていると告白しています。代表的な19篇には「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくてもその響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。…主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。」(詩篇19:1−5、8−9)これは正に信仰の告白であり、賛美の元になっていると言えるのです。そして神の恵みは混とんとした歴史の中にいつも生きて働き、136編では、神の民イスラレルの歩みを守り、救われた経緯を慈しみと恵みを通して感謝し、賛美しているのです。
 その中心的な趣旨は、「主が共におられる」ということに尽きるのです。今朝の聖句は詩編の46篇ですが、その8節と最後の12節は「万軍の主は我らと共におられる」です。詩編23篇の中心の句に「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」(詩23:4)とあります。また、121篇には「主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。」(詩121:5)
このように「主が共におられる」という言葉は、150篇の中では数回ですが、全ての詩の中には「主があなたと共におられる」ことを言い表している事で一貫していると言えます。46篇は混とんとした中に秩序を回復される。主は、「夜明けと共に、神は助けを与えられる」(:6)闇夜とは見通しのできない、希望のない、出所が解らないような混沌の中で不安と恐れと困惑の交差する現実を表すのです。しかし、朝は、間違いなく日が昇るように、「神様の助け」(:1)は必ず再来するのです。だからこそ「わたしたちは決せて恐れない」(:2)と宣告できるのです。9節からは主は成し遂げ、圧倒され、勝利を勝ち取り、主は「力を捨てよ」と言われます。主の御心に反抗し、混乱と破壊を持って人を破壊する闇の力への圧倒的な勝利の宣言であるのです。或る聖書学者は、この詩は祭儀的様式として理解するのです。確かに、神様は、平和の主として、秩序の回復を約束し、回復されるのです。そこには平安と安全が裏付けられ、その実現の革新が希望となるのです。
詩編46篇は、ルターの苦難に立った時の愛唱の句として知られています。有名なルターはこの詩編を元に「み神は城なり、盾なり」(聖歌233)を作ったと言われています。当時のヨーロッパは、全ての人々がクリスチャンでキリスト教の千年の王国の時代とさえ言いえている時代いでした。教会と信仰生活は組織化されて、信仰による恵みによって救われることから、いつの間にか善行によって救われることが教えの中心に成っていました。アウグスチヌスの「人の体は心で思い、行動するように、この世の中の教会が心で、世の中を動かすのは教会である」という考えが伝統となっていました。教会の権威者としての教皇を中心にこの世が動かされていたのです。その当時は聖書は主だった教会にしかなく、一般庶民は聖書を持っていないので読むことが出来ませんでした。それをよいことに当時、11世紀ごろより習慣となっていた「贖宥符」という「罪が赦されるお札」が、天国に行くための罪の赦しのために売られるようになっていました。16世紀の初頭、ドイツのアルブレヒトはマクデブルク大司教位とハルバーシュタット司教位を既に持っていた。さらにアルブレヒトは兄のブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の支援を受けて、選帝侯として政治的に重要なポストであったマインツ大司教位も得ようと考えた。(主教は所領地の王)という野心家が、本来、司教位は一つしか持てなかったが既に2つの司教位を持っていながら、もう一つのマインツ大主教の位を望んで、皇帝を選挙する選帝侯への野心を持っていました。アルブレヒトはローマ教皇庁から複数司教位保持の特別許可を得るため、多額の献金を行うことにし、その献金をひねり出すため、フッガー家(アウグスブルグの財閥)贖宥販売権を担保に膨大な借金をするのです。それは自領内でサン・ピエトロ大聖堂建設献金のためという名目での贖宥状販売の独占権を獲得し、稼げるだけ稼ぐというものでした。こうして1517年、アルブレヒトは贖宥状販売のため、販売して歩く修道士を派遣したのです。丁度、ルターは、修道僧でしたがウイッテンベルグ大学の教授をしていて、学者として聖書を研究していました。その頃、ロマ書の講義をしていました。この町に贖宥販売のテッツエルという修道僧が来て、教会で説教をして贖宥を人々に勧めたのです。「罪の赦しを頂くためにあなたの献金を捧げなさい。チャリンという音こそ天国の鍵が開く音である」と雄弁に語り金銭を集めたのです。そのことはルターの耳にも入り、聖書の中にそのようなことは書いていない。庶民は聖書を読んでいないので知らない。何ということだろうと憤慨するのです。その時、ローマ書を講義しているルターは、「義人は信仰によって生きる」(ロマ1:17)の言葉を示されて、当時、学者が自己の意見を表示して問いかける習慣に従って、シュロス(城)教会の門に95ヶ条の信仰宣言を貼り出しました。人々は大きく影響を受けました。それが学術論文でラテン語でしたが、すぐにドイツ語に訳されて当時、丁度、活版の印刷機が発明されて全ドイツに知れ渡りました。
多くのルターの賛同者が起こってきました。ルターは教会が分裂することは願っていなかったのです。しかし、時が過ぎルターは続けて3つの書物を出します。それは「ドイツ貴族に与える書」、「教会のバビロニア捕囚」、「キリスト者の自由」でした。教会制度や、聖書に根拠のない習慣、制度や行いによって義とされるのでない、信仰によってのみ義とされることを訴えたのです。当初は教皇の不謬権(間違いのない)への侵害として禁止を勧告されたのですが、ルターは自説を曲げることはなかったのです。色々な経緯を経て遂にルターの所説に対する喚問の国会がウオルスムスで開かれたのです。ルターに著作の主張を取り消す意志はないかとの尋問に、「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。(たとえウオルスムスの城壁の瓦が悪魔となったとしても)私はここに立つ。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」と言ったのです。その後、ザクセンのフリードリッヒ侯の庇護を受けてアイゼナハのバルトブルグ城にかくまわれ、聖書をドイツ語に翻訳するのです。そして今日の教会の基盤である「信仰による義認」「万人祭司」「聖書のみ」という教理が新しい教会の石杖となったのです。
ルターは不安と孤独、国外追放の恐怖の混沌の中で詩編46篇を諳んじて、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」(1−4)繰り返し告白し「活ける主は共にいて下さる」ことを確信したのです。私たちの生活では様々な試練や課題が覆い、迷い、苦悩することがあります。如何なる時も「主が共にいて下さる」という信仰の革新が、闇のような混沌の中でも、「主が共にいて下さる」という実際的な体験の中でこそそれは現実的な力と希望となるのです。イエス様は、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)と言われています。また、「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」(ヨハネ12:46)正に、イエス様は光としてとして父なる神、創造主である愛なる神が、人を現実に愛しておられる証しとしておいでになったのです。イエスは、「わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。」(ヨハネ14:8−10)と言われています。聖書は、イエス・キリスト、即ち、「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)と言われているように、主イエスこそ「神が共におられる方」神そのお方です。言換えれば、聖書で一貫して語られているメッセージこそ、「共にいて下さる神」を証ししているのです。イエス・キリストはその生涯をもって人々の真実の救いの希望として神様の愛をお示しになったのです。自己を犠牲にして人を罪の闇から救いだす希望となられたのです。その究極の犠牲こそ、神様の愛です。どんな「苦難の時にも、必ずそこにいまして助けて下さる」(詩46:1)愛なる神であるのです。聖書の全体のメッセージこそ「共におられる神」です。そしてそのイエス様によって神の愛が示され、父なる神の真実を表されたのです。その神様の愛こそ、人を生かす希望であるのです。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(Tヨハネ4:9)主イエスは「世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」(マタイ28:20)という最後の言葉を残されたのです。
 先週の礼拝では新山兄が、初めて「証し」をして下さいました。松山の裕福なホテルの息子として生まれ育てられたのですが、中学の時、非行に走り、触法の行動で警察に逮捕されながら、故郷から隔離することを条件に釈放され、東京の私学日大付属校に行くことに成る。やがて自炊で一人の生活ながらも真面目に勉強に打ち込み、高校を最優秀成績で卒業し日大の理工学部に入り、成績も上位に着けて一流建設の大林組に入社できる。故郷では、あの子が「どうして」と言って驚いたというのです。入社をして暫くすると「結核」であることが分かり、入院をするのです。全快して還ってくると、会社ではインドネシヤに派遣の辞令が出るのです。結核などの病気にかかると海外駐在は出来ないのに、不思議なことが起こりました。そしてインドネシヤに7年にいるうちに、リナさんと出会って結婚を申込むと、OKの返事でした。しかし、リナさんはクリスチャンでした。お父さんがジャカルタのインマヌエル教会の牧師でした。そこで初めてキリストに出会い、信仰を受け入れ洗礼を受けるのです。その教会はクリスチャン名をつける習慣で「インマヌエル」という洗礼名をもらったと言うのです。インマヌエルの意味もわからなかったのですが、後で、「神共にいます」という意味であると知り、本当に自分は「神様が共にいて守られてきた」と実感したと言うのです。別れたお母さんと長い間、事情で会えなかったのですが、お母さんに会うことが出来たのです。涙の再会から2週間後にお母さんは亡くなったのです。お母さんは息子に会うのを待っていたのでしょう。いつも「主が共いて下さる」不思議な恵みの導きでした。
 「主は共におられる」ことこそ信仰の力、希望、慰めであるのです。イエス様を信じた時、自分の生涯は「主が共にいて下さっている」ことが実感として深く深く心に恵みとして自覚されたのでした。ハレルヤ

 

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