阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2014年2月2日
「祝福を結ぶ第一歩」
フィリピの信徒への手紙3章12―16節

クリスチャン・ドクターとして長寿(102歳)現役を続けておられる日野原重明先生は、「日々の目標や夢、ビジョンを持つことは健康の一番の秘訣です。」と言っておられます。勿論、医学的な観点から日常の食生活の節制や、体重の管理なども注意されていますが、何と言っても日々の生活に目標や夢、ビジョンを持って生きることが健康に生きる長寿の心得であると言われているのです。キリストの教会にはキリストの再臨まで終わりはありません。一人一人の信仰の成長が、教会の成長に繋がってきます。キリストの教会のゴールは、イエス様が言われているように、「御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(マタイ24:14)ということにつきます。教会の使命の第一は、「福音を全世界に宣べ伝える」ことです。全世界に福音が伝えられる時こそ、新しい新天新地の再創造の時であり、キリストの再臨の時を意味しています。その前提としてクリスチャン一人一人がキリストの救いの喜びを生きる事と、それを証しする事が大切です。福音とはキリストの十字架の犠牲によって現わされた神様の極限の愛なのです。犠牲を払って人を救って下さる愛であるのです。クリスチャンは神様に愛されている自分に気づく事であり、その愛に目覚め、神様の愛に生きる事が神様を信じることであるのです。この神様の愛が人の平安であり、平和となり、希望となるのです。ですから「神様の愛」に生かされている事によって、「神の愛」、福音が伝えられることになります。「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(Tヨハネ4:12)キリストにあって神様に出会い、神様の愛によって愛し合う交わりこそ、キリストの教会であるのです。キリストの教会は、神様の臨在される愛の交わりであると言っているのです。神様の愛による救いによって神様の愛が生きている交わりが生まれ、「福音」、即ち、神様の愛の救いが伝えられるのです。実際にはクリスチャンであっても弱く、迷いやすく、ある時には過ちを犯すこともあります。しかし、その弱さ、罪深さを悔い改めることによって、十字架によって罪赦され、神様との交わりを回復されているのです。フィリピの3章の12節に、「既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」とあります。「既に」キリストに捕らわれていて、しかし、「未だ」自分の内には弱さをもち、悪い習慣や罪を犯しやすい自分がいるのです。イエス様によって神様の子として生まれ変わり,キリストの言葉に導かれて生きるのです。ですから、使徒パウロは、エフェソの信徒への手紙で、「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません・」(4:22−24)と言っています。新生したクリスチャンは、聖別された新しいキリストにある愛の生活を目指して成長するのです。「わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。」(フィリピ3:13)キリストの救いによって神の子とされているのであって、正に「捕らえられている」、神様の子としての身分、立場が保障されているのです。だから「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13,14)キリストを目標にひたすら神様の愛に生きる喜びを求めるのです。その愛の現実こそ、人々がキリストに出会い、神様の愛を分かち合う喜びであるのです。キリストの愛の交わりの拡大、成長こそがキリストの教会に与えられている目標なのです。その愛の交わりの拡大が世界宣教にほかなりません。イエス様は、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28:19,20)と言われたのです。日野原先生が、「日々の目標や夢、ビジョンを持つことは健康の一番の秘訣です。」と言われていますが、わたしたちの教会にはキリストにあって目指す目標があるのです。「健康」は生活と活動の基本です。
第一に、教会の一人一人のクリスチャンが、神様の愛に生きる喜びに満たされることです。キリストを愛するとは、人と共にその愛に生きることなのです。クリスチャンは、イエス様を愛することに徹底する、御言葉に徹底して生きること、それがすべての目標であるのです。イエス様を愛することは、イエス様の喜びに生きることであり、その喜び、即ち、福音に生き、福音を伝えることにあるのです。人々がイエス様を信じ、救われる時に喜びが満ち溢れてきます。
第二に、福音の喜びがあるところに、新たな目標が生まれます。福音による目標は、教会の成長です。教会の成長こそ、教会の喜びの成長であると言えるのです。それは主の御言葉にある「全世界に福音を伝える」こと、そのことによってこの世は完成の時を迎えるのです。今年も宣教総会を迎えます。信仰の原点に立ち返って福音を大胆に伝えるビジョンを祈り待ち望みましょう。
第三に、今、宣教の目標を目指して新しい年度を始めようとしています。ゴールを目指す為には第一歩から始めることになります。会堂に会衆が溢れるように祈ります。少子高齢化の進む地域で、教会の未来を背負う青少年伝道にビジョンを持ちましょう。高齢者の憩いの場として教会が充分に生かされるように祈りましょう。ゴスペルコワイヤの歌声による宣教成果のために祈りましょう。「心の伝道」宣教活動が多くの実を結ぶように祈りましょう。キリストの愛が教会の全ての活動の源となって聖霊に満たされ、信仰の一致を持って実現しよう。
イスラエルが約束の地カナンにはいる為の第一歩は、ヨルダン川を渡ることでした。40年荒野を彷徨し、ようやくたどり着いた時、最後の試練が待ち構えていました。そこで3日間野営をして、指導者ヨシュアは祈りました。そして主の御心を告げたのです。祭司が「契約の箱」を担いで進み、人々は2千アンマ(約900m)の距離をおいて従えというものでした。そして人々に聖別することを求めた。神様の御心にかなうようにその御力が現わされるように待ち望んだのです。ヨシュアは、神様が生きておられることを今までモーセを通して荒野で証しされてきたように、主はあなたがたと共にいて下さることを証明されるというのです。「契約の箱」が祭司たちによって担がれ、ヨルダン川に足を踏み入れた時に、川は上流にせき止められ、川底を歩き始めたのです。そして川の中ほどで立ち止まる間、人々は渡ることが出来たのでした。(ヨシュア記3章)約束の地カナンへの第一歩、その目標に達するために神が共にいて下さる奇跡を経験したと聖書は記録しています。神様の御言葉により「契約の箱」を担ぐ祭司の第一歩が、道を開いたのです。神様を信じる信仰にはビジョンが与えられます。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(フィリピ2:13口語)神様を信じる信仰は、愛のビジョン、目標が生まれるのです。そのビジョンは実現に至ると約束しています。
神様の言葉を信じ、神様の言葉を前進にして一歩踏み出す時に、試練や困難の川はせき止められるという教訓があるのです。神様のお言葉を第一にする信仰こそ「聖別」の意味です。そこに健康な教会の成長の姿があるのです。ここに祝福を結ぶ秘訣があります。ハレルヤ

 

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