阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2014年5月18日
「恵み溢れる聖霊の祝福」
使徒言行録10章1-48節

 人には「思い違い」ということがあるものです。ナビゲーションによって車を運転していると、今まで知っているのと違った道を教えているように思い、どうも違うと考えて、自分が昔通った道と思った道を行き、違ってしまい、初めて思い違いをしている事を知らされることがあります。私は生みの親とは3歳で死に別れました。4歳の時に新しい母親が面倒を見てくれるようになりました。その後、4人の弟妹が生まれ、6人兄弟になりました。第二次大戦が激しくなり、食糧難が続きました。食べ物の事、着る物の事で兄弟が争うようになり、悲しい毎日でした。そんな時、母親が心を痛めながら子供たちの面倒を見てくれたのでした。優しい、思いやりのある母でした。僻み心から小さい妹達をいじめたりすると、酷く怒られることがありました。その時には母親に対して、本当の親ではないからいつも怒るのだと反感をもつのでした。然し、成人して一人で東京に出て行き、悲しい事や、辛い事、苦しい事がある度に、母を思い出し、本当に優しい、思いやりのある素晴らしい母である事がひしひしと感じられるのでした。子供の時の母への反抗や、抵抗が悔やまれるのです。「思い違い」ということは悲劇です。
 イスラエルは、アブラハムを神様に愛され、選ばれた始祖として、信仰を受け継いできました。神様に愛されているという自覚は、様々な出来事の中で、いつも共にいて助け、支えて下さることを通して形成されて行ったのです。そして、飢饉という苦難を通して、確かになって行くのです。それがエジプトへの避難と解放の出来事であったのです。ヤコブの家庭内での、兄たちによる弟ヨセフへの親の寵愛への妬みが、ヨセフを悲劇的な別離へと追いやり、ヨセフは奴隷としてエジプトに売られて行くのです。然し、ヨセフは親から受け継いだ信仰によって、不思議な道が開かれ、エジプトの宰相の地位にまで昇るのです。そうこうしているうちにイスラエルで飢饉が起こり、ヨセフの父ヤコブは、兄たちをエジプトへ食料を求めに送りこみます。そこでヨセフと再会するのですが、ヨセフは彼等を赦し、やがて親兄弟をエジプトに迎えるのです。
そして440年の時が移り、ヨセフのことは忘れられ、イスラエルは異民族として人口が増え、奴隷階層としての彼等は疎ましくされ、多勢に恐怖をもったエジプト支配者は、イスラエルを苦しめ、弾圧するのです。その苦しみの中で不思議な経緯でエジプトの王子になったモーセにより、イスラエルは数々の奇跡をもって解放されるのです。そして、エジプトを逃れてシナイの荒野を神様に導かれて行き、やがてモーセは、シナイ山で神の示される、人が基本的に守るべき「幸せの約束」十戒を受けるのです。この出来事を土台として、イスラエルは神様の民としての自覚が確実なものとなるのです。しかし、いつしか愛され選ばれている自分を見失い、十戒を更に詳細に規定し、それにより生活していく事こそ、神の御心であり、守り通せると確信し、内面でどのような罪深いことがあっても、外側の生活だけに重点を置くようになるのでした。
そして士師の時代を経て、王国の建設がなされ、失われた契約の箱の奪還を通して、ダビデの時代に王国が確立し、エルサレムの信仰の礎になったモリヤの山に神殿を立てる土台を築くのです。そこに信仰の基礎となる第二の約束である神の国、神の王国の実現の基が備えられるのです。ダビデ王こそが救い主メシヤの象徴であり、やがて終わりの日にメシヤ、救い主が来られ、地上に神の主権でイスラエルの世界制覇の実現がなされると期待されるようになります。また、戒めを守るイスラエルの民、義人だけが永遠の御国に生きると理解されていったのです。
イエス様は、神の御子として真実の神様の御心を示し、教えるために人になられたのでした。然し、イスラエルの人々は、神様の御心である「戒め」が人の罪を教え、赦す愛の契機であるのに、偽善的な完全主義になってしまっていました。イエス様は神様の真実の愛と赦しを教え、様々な業をもって神の愛を証しされたのです。人々が神様の愛を理解せず、イエス様を死に追いやり、十字架に架けたのです。神であられるイエス様は、死んでも生きる、三日目に甦ると予告された通りに甦り、弟子たちに幾度となく会われました。やがて聖霊が下る時、「あなたがたにすべてのことを教える」(ヨハネ14:26)と言われたように、使徒言行録2章のペンテコステの日に、弟子達に聖霊が下り、十字架と罪の赦しの真理が明らかになったのです。弟子たちはそこでイエス様の真実の御心である神様の愛、十字架の出来事と復活の永遠の命、神の国を理解するのでした。
その後、エルサレムでは恐ろしい迫害が起こり、イエス様を信じた人々は散らされて行ったのです。ペトロも町々で福音を語り、祈りと癒しを通して主を証しし、ヨッファの皮なめしシモンの家に留まっていました。昼の12時ごろ、ペトロは屋上に上がって祈ろうとした。空腹を覚え、我を忘れたようになっていると、天が開いて大きな布に鳥や地を這うもの、獣が入っていた。「ほふって食べなさい」と言う声を聴くのですが、「(食物律法に)禁止されている物は食べません」と言うと、「神様が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」(使徒10:15)という事が3度繰り返されるのでした。今見た幻はいったい何だろうと思案していると、カイサリヤのローマの隊長であるコルネリウスが、天使の「ヤッファへ人を送り、皮なめしシモンの家にいるペトロという人を連れて来なさい」というお告げを受けていました。そこで三人の使いをペトロの元に遣わしたのです。丁度、ペトロが幻を見終わった頃、その三人がペトロを尋ねてきました。不思議な導きを感じたペトロは、コルネリウスの家に向かい、招き入れられるのでした。
 ペトロは開口一番、「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」(使徒10:28)ユダヤの律法では禁止されているのに、ペトロは聖霊の導きによって、一歩そのしきたりを越えるのです。神の御言葉を聴こうとしているコルネリウスの家の人々に、神様の真意を伝えるのです。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、イエス・キリストによって救われます。」と、イエス様の働きと、十字架と復活の出来事を語り、福音を告げていた時、コルネリウスの家族に、人々に、聖霊が下り、異言を語り、賛美するのでした。ペトロは大いに喜び、聖霊が与えられたのだから、水でバプテスマを受ける事を誰が妨げる事ができるかと言って、彼等に水のバプテスマを授けるのでした。
 やがて、エルサレムにペトロが行くと、割礼を受けているユダヤ人は、既に異邦人も神の言葉を受け入れたことを聞いていたので、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」(使徒11:3)と言って、ペトロを非難するのでした。そして、アンティオキアの拠点的な交わり教会では、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と、ユダヤから来た者たちが、主張するのでした。このような問題が起こり、使徒言行録15章ではエルサレム会議が開かれて、「それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。」という宣言がされたのです。ユダヤの伝統に配慮した取り決めであったことは間違いないのですが、福音に生きることは「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Tコリント10:31)とあり、あらゆる国の人々は「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4:21−24)この言葉にクリスチャンの生きる道筋が示されているのです。
 第一、カイサリヤのコルネリウスの家で、ペテロが福音を語り、聖霊が下った時、大きな教会の発展があったのです。ペンテコステの日に根本的な福音の土台が弟子たちに明らかにされたのです。第二に、ヤッファのシモンの家で、ペテロが禁食の律法から解放される幻を見て、律法を知らない異邦人が根本から解放されていることを示されるのです。第三に、カイサリヤのコルネリウスの家で、福音が語られ、聖霊が下った時に、世界の人々に福音が語られ、神の救いはすべての民に開かれていることが示さるのでした。神の福音は、世界の福音であり、恵みであり、祝福であることを宣言する出来事であったのです。「この方(イエス・キリスト)こそ、世界の罪を償ういけにえです。」(Tヨハネ2:2)そして最後に、イエス様が弟子たちに語られた言葉、「全世界に出て行って、全ての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)ということが果たされるのです。それは、聖霊が望む時に祝福の恵みとして実現するのです。今、そして明日の日も、救いと希望の福音に生き、伝えようではありませんか


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