阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2014年6月15日
「人の絆と生きる力」
コロサイ人への手紙3章12-17節

 人の幸せの土台は家庭にあります。男女が出会って結ばれて家庭が生まれます。世間では男女の出会いを縁と言います。縁は「ゆかり」「つづきあい」「関係」という意味があるようです。縁とは人間の思いを越えた不思議な力があって、結ばれると言われます。聖書は縁という不確かなものでなく、天地創造の存在と命の源なる神様が、結び合わせて下さる人を備えておられると教えています。「創造主は始めから人を男と女とにお造りなった。…それゆえに、人は父母と離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人は別々ではなく、一体である。従って神が結び合わせて下さったものを、人は離してはならない。」(マタイ19:4−6)この御言葉は、神様を信じて初めて解る真理です。男女の出会いは神様の導きによるのです。現実には男女がお互いに好意を持って結ばれるのですが、神様を信じる信仰を持って教えられる時に、神様の導き、「関係」をそこに見る事が出来るのです。神様が出会わせ、結ばれたという事が解る時、「神が結び合わせて下さったものを、人は離してはならない。」という事が大きな絆の保証となります。聖書には宿命や運命という、どうにもならない人生の見方はありません。人の人生が「運命」や「宿命」というように、決まっている、どうする事もできない見えない帯に縛られているような人生であれば、「諦め」が肝心になるのです。仏教では、因縁や宿命と言って因果報応の考えで、前世の因縁が、現世の結果となる事になります。「諦め」は希望の放棄です。希望がない事は絶望です。キエルケゴールは、「絶望とは死に至る病」という有名な言葉を残しましたが、聖書には「彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて信じた。」(ロマ4:18)という言葉があります。また、「キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ロマ5:2−5)ともあります。どんな時にも希望を失わないという事を、神様を信じて生きる人には教えられ、与えられているのです。神様を信じる事は、神様に愛されている事に気付く事に他なりません。家庭は神様の導きで男女が結ばれて造るのです。ですから神様に結ばれた家庭は神様の喜ばれる家庭となります。そこに家庭の幸せの土台があります。その幸せの土台は「絆」です。
家庭というものは、お互いに嗜好も、趣味も、性格も、様々な癖も異なる、今までその存在すら知らなかった男女が新たに営みます。その違いを越えて共に一つの家で生活し、家庭を築き上げていく為には、夫婦の「絆」がしっかり結ばれて、どんな時にも解けない事が大切です。結婚してもこんな筈ではなかったと、気持ちのすれ違いに我慢が出来なくなることもあります。現在、日本では1分29秒に一組が離婚していると言われています。どのような「絆」で結ばれているのかが問われています。
 信仰による家庭は、神様の「絆」で結ばれた家庭です。住まいや生活用品は大切です。然し、最も大切なのは「心の絆」によって結ばれる事です。神様を信じる事は神様を愛する事であるのです。
今朝のテキストであるコロサイの信徒への手紙3章12節には、第一に、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのです。」とあります。神様を信じる事は、神様に愛されている事に気付き、神を愛するように生きる事にほかなりません。
お互いがはじめは見えるところによって好意を抱き、色々と考えて愛が芽生えると言えましょう。然し、人の心の中は何を考えているかは見えません。互いに幸せになると信じる事によって、愛の決断をするのです。「愛」は「信じる」事であると言われます。信頼の無い愛は、愛ではありません。お互いが神様に愛され、神様を信頼している事により、お互いが同じ神様を信頼している事が明らかになるのです。神様の愛によって生きる事が二人の「絆」になります。そこに神様の「絆」の保証が確かにされるのです。
 第二に、神様の愛に生きる家庭は、神様の愛が「絆」であるのです。絆は約束であり、約束は信頼、それを守る事によって互いの絆となります。その絆こそ神様の愛であるのです。愛し合って生きる事なしに家庭の幸せはありません。続けて聖書は、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、――憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」(コロサイ3:12−14)と教えています。神様による「絆」は神様の愛によって築かれる家庭を意味します。人の愛ではなく、神様の愛が家庭の土台であり、骨組みです。色々なデザインはそれぞれの人の好みです。骨組みと土台は見えません。然し、家の強度の基礎は土台であり、骨組みです。詩編の作者は、「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい。」(127:1)と言います。神様の愛によって建てられる家であるのです。憐れむ心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、忍耐し、赦し合う、そしていつも主イエスが十字架でご自分の命をも犠牲にして赦しを示された、その愛が家庭の絆の基礎となって家が立てられる時、そこに示された神様の愛が「人を完全に結ぶ帯、絆」となって家庭の幸せの保証となるのです。
 第三に、その結果としてキリストの約束される「平和」がそこに与えられるのです。「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:15)キリストの平和が、夫婦の心にある時にこそ、キリストに会って「一つの体」となるのです。神様にある真実の平和が、お互いの心を一つにするのです。思いも一つ、願いも一つ、希望も一つ、生きる価値観、生きる目的が一つになる時に、そこに平和と平安が生まれるのです。
 どのような立派な家に住んでいても、贅沢な食事を囲んでいても、きらびやかな盛装を楽しんでも、争いと憎しみ、欺瞞と憎しみがあると、真実の平安、平和、安心、安らぎはないのです。神様に愛されている喜び、神様を愛する恵み、感謝にあふれた日々。神様の愛に結ばれる幸せこそ家庭の宝であり、家の土台でなければなりません。
そして最後に、その土台がいつも強固に、骨組みがいつも損傷の無いように神の言葉、聖書の言葉をもって心を養うべきです。神の愛に生きる喜びによって、感謝にあふれて家庭を育て、築き、守りたいものです。
その為には「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」(コロサイ3:16)という御言葉を日々の心の糧にしようではありませんか。
誰にも神様は見えません。然し、わたしたちが愛し合う中に神はおられると教えられているのです。「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(Tヨハネ4:12)神のいますところこそ、神の国です。家庭が神の国の平和と感謝と喜びに満ち溢れますように!!! どんな人生の試練に会っても神様をを信じ、希望を失わないことこそ、真実の幸せであるのです。
主を褒め称える賛美がささげられる素晴らしい家庭が打ちで建てられますように。婚約が豊かに実を結びますように。



 ページのトップへ
  
2014年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ