阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2014年11月30日
「良き訪れの知らせ」
Tコリント15章1-8節

2014年も残すところ一月となりました。本当に月日はあっという間に過ぎていきます。今日からアドベント(待降節)に入りました。クリスマス前の4週間、主のご降誕をお祝いする為の準備をし、心を備えていく期間です。
私たちは、大切なゲストを迎える前には、様々な準備をします。食事や宿泊の用意、掃除や足りない物の補充など、十分に考えて備えます。そこにはゲストを待ち望む、期待を持って待つという楽しみがあるのではないかと思います。アドベントの間、主をお迎えするための心の備えをしっかりとしていきたいものだと思います。
今日、神様から与えられている御言葉は、コリント人への手紙T15章です。この手紙はパウロが記したものですが、当時コリントの教会には様々な問題がありました。まず教会内に全く一致がなく、「パウロにつく、アポロにつく、ケファに、キリストにつく」などとそれぞれが勝手に言い合っていました。また、信者でありながら不品行を行っていたり、聖餐がまったくバラバラであったり、集会に於いても集会の秩序が保たれていませんでした。
それらの事に対してパウロが丁寧に的確に神の御心を示しているのがこの手紙です。まず、「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」(Tコリント1:10)と勧めています。この短い御言葉は、真に適切な言葉で、人と人との関係を良く保つための秘訣ではないかと思います。自己中心と、自己主張をしなければ一致できるという事です。それは、平和に幸せに暮らせるという事であると思います。
今日はTコリント15章をお読みしています。Tコリントの15章は「復活の章」と呼ばれていて、私たちに与えられている、救いの喜びと希望に満ちている個所です。様々な問題を抱えているコリント教会に、改めて「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません」と書き送りました。「福音」とは、良い知らせ、救いの知らせ、解放の知らせ、永遠の命の知らせ、イエス・キリストそのお方の事です。あなたが受け入れたこの救いの良い知らせを忘れてはいませんかと、語っているのです。福音(イエス・キリスト)を忘れてしまうなら、「信じたこと自体が、無駄になってしまう」と続けられています。信じた事が無駄になるなど、主イエスに申し訳ない事だと言わざるを得ません。
あなたの生活の中に福音は生きていますか?と、問われているのです。
主イエスは、全世界の贖いを成し遂げるためにこの世に来てくださいました。人は罪がわからず、自分の思う道に向かって生きています。それがなぜ危険かという事も知りません。「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。」(イザヤ53:6口語)とある通りです。「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある」(箴言14:12口語)。人間が考える事のできる正しさとは、自分の考え方です。正しさを互いに主張する所に争いが起きるのではないでしょうか。その終りはついに死に至るとは、悲惨な人生としかいいようがありません。
罪の解決がないと、命はないのです。主イエスがくださる救いの道を歩かなければなりません。
主イエスは人の罪を十字架で贖い、人に命を与えてくださいました。これが福音です。主イエスは、罪について「人から出てくるものこそ、人を汚す」と言われました。「つまり、人の心から、悪い思いが出て来る・・・・みだらな思い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚す・・」(マルコ7:20−23)と言われました。罪は心の中にあるのです。心の闇を持ちながら、多くの人は闇の内を歩んでいます。
福音とは、第一、「キリストが私たちの罪の為に死んだこと」です。キリストが命を捨てて下さらなければ、罪からの解放はありませんでした。「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」(Tヨハネ2:2)。罪の自覚と、主イエスの十字架の死をまず受け入れる事から救いが開かれたのです。
第二、「主イエスは葬られ、三日目に甦った事」です。コリント15章には、復活の主に会った人々がまだ存命であった事が記されています。復活の証人です。ケファ(ペトロ)、500人以上の人々に、ヤコブに、そして、パウロ自身も復活の主にお会いした事を証言しています。イエスがキリストであり、主イエスの十字架の死と復活を信じ、受け入れる、告白する、それが福音を信じる事なのです。
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」
(ローマ10:9−10)
           さらに、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と約束されています。罪許された人には復活の希望があります。死という未知の体験についての解決がされたのです。
今日、廣瀬牧師は、川崎中央福音教会の礼拝でご奉仕をされています。先週の日曜日には、廣瀬牧師が今日、川崎で御用をするなどとは夢にも思っていなかったのです。しかし、月曜日に佐藤昭雄師が急逝されたという知らせを受け、追悼礼拝のメッセージを依頼されました。二人とも神学校入学以前から、小岩教会に泊まり込み、訓練を受け、路傍伝道をし、同じ時に献身した同労者でした。一週間という短い間に、何と人の世はめまぐるしく状況が変わっていくのでしょうか。兄弟のように思っていた佐藤先生が召されてしまった事は大きな心の痛手です。しかし、主イエスの贖いを受けた者は、罪許され、永遠の命の中に今、生かされている者です。やがて、皆、地上での働きを終える時が必ずやってきます。しかし、福音を受け入れた者の体の死は、居るべき所を変えただけの事であって、依然として永遠の命の中に生きているのです。キリストが復活の初穂となられたように、福音を受け入れたすべての者は、「キリストによって、すべての人が生かされる事になるのです」。(Tコリント15:22)


何事についても、主イエスを信じる者は、嘆き悲しみ、途方に暮れる必要はありません。福音は命の光、力、希望です。主イエスが私の為、あなたの為、十字架で死なれた事、三日目に復活された事、そして今生きておられて共に歩んで下さっている事、これが福音です。
福音、イエス・キリストを語り伝えましょう。あなたの周囲に苦しみ、悩み、闇の中に呻いている人はいませんか?この方以外に救いはありません。
福音によって救われるのです。ゴスペルコンサートや、婦人喫茶は福音を伝えたいのです。
また、アドベント1週目の今日、改めて自らの心を思い返し、思い直し、悔い改め、主イエスをお迎えするにふさわしく整えられた心でご降誕をお祝いできるようにしようではありませんか。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」
(Uコリント5:21)

 ページのトップへ
  
2014年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ