阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2015年4月19日
「福音の平和と安心を世界に」
使徒言行録11章19−26節

  長い間祈りの課題であった中国の邦人伝道の道が開かれるようになりました。聖書を神の言葉と信じ、キリストの贖いと永遠の命の希望に置く福音の宣教です。二十数年前、林成利兄、由佳姉は中国語に興味をもって外国語学校で共に学び、神様の導きで結ばれました。その後、中国との貿易の会社で働くのですが、様々な試練の連続でした。栗やタケノコを中心に輸入する会社に勤めていたのですが、当初は梅田の地下街で「天津焼き栗」を販売する業務に着くこともあって、大きな苦労があったのではないかと思います。やがて現地に買付に出向く業務にも従事するようになるが、そうこうするうちに電気器具を交易する商社に転身する事になり、やがて北京駐在員として派遣され、家族と共に移住する事になる。さらに上海に支店を開設するようになり、上海で業務を始める。中国語が堪能になり、ビジネスの幅を広げて実績を上げるが、現実の様々な問題が続き、仕事を変えたいという思いに苦悩が続いた。当時上海では、国際的なクリスチャンの集いがヒルトンホテルで開かれており、そこに出席するようになる。やがて、様々な教会の日本のクリスチャンが集まるようになり「イエラエ」と言う名称で集会がもたれるようになる。その交わりを通してクリスチャンの神戸板金の藤谷社長と出会い、新しい建設機械の製作事業に導かれ、やがて無錫に現地制作所を設立することに貢献し、今は、現地の総経理(社長)として用いられている。林兄姉は「イエラエ」の交わりを通して多くの人々に福音を伝えてきたのです。多い時には数十名になったのですが、経済事情の変化で帰国者も多く、超教派の性格からしばしば見解の相違もあって、長い間続いた交わりを終息させる事になるのです。林由佳姉はかねてより宣教に使命を感じ、宣教者として訓練を受けようと決意していたのですが、この機会に献身して中央聖書神学校を卒業し、母教会の上海宣教の伝道師として現地で宣教を継続する事になりました。そして、今日、「上海チャペル」の開所式を行う事となり、阪神チャペルセンターから廣瀬晴代師が開所司式者として遣わされ、教会役員松木姉と、坂西姉が群れを代表して上海に行っています。
 主は様々な機会を通して宣教の道を開き、福音を語る機会を与えられます。林兄姉は中国の社会事情の中で邦人への宣教に徹し、やがて中国の方々にも福音を分かち合える時が来る事でしょう。現在、中国は発展の過度期にあり、様々な試練が継続する時期でもあるのです。中国の安定のために、そして成長のために、福音の約束する平和と安心が実るように祈らねばなりません。心を失った経済発展は悲劇です。新しい時代の真実な「神の国」の実現こそが求められているのです。我らの祈りは「御国が来ますように」です。真実の平和と生きる希望としての永遠の命こそが「安心」であるのです。
上海チャペルがリバイバルの小さな発火点となるように祈らなければなりません。社会的には林兄姉は事業家として大きく成長し、実績を残してきています。さらに多くの人々の救いの事業のために用いられん事を祈らねばなりません。
 この上海チャペルの開所を記念して、大きく宣教に用いられたアンテオケの出来事に学び、共に祈る時としたいと思います。聖霊降臨の後、弟子たちは活けるキリストを大胆に語り教会が建て上げられた。初代教会には多くの人々が弟子たちに従って仲間に加わり、共同生活を始めていた。日々の分配で仲間のやもめたちが軽んじられていると、ギリシャ語を語るユダヤ人,おそらく離散した地方のユダヤ人の集団から、ヘブライ語を話す地元のユダヤ人に苦情があったので、使徒たちは食事の世話のために、知恵と霊性に満ちた人を選んで奉仕に当たらせようとして、ステファノを始め、6人を選びました。神の御言葉はますます広まり、弟子の数を増していったのです。ステファノは神の恵みを語り、祈って人々を助けて癒し、不思議なわざを行うのでした。そのころエルサレムでは、かつてローマ帝国の奴隷であったが解放されてユダヤに帰り、悲しみと屈辱の中でよりユダヤの伝統と信仰を固守する人たちや、ディアスポラ(離散した民)、ユダヤ人の熱心な者たちが、ステファノがイエス様の福音を語る事に反発して議論したが、ステファノが知恵と霊によって語るので太刀打ちできず、神を冒涜したと偽証して大祭司や律法学者に告訴するのでした。ステファノは信仰の父アブラハムから始め、イスラエルの歴史を通して神様の救いを堂々と説教するのでした。この苦難の中でもステファノは天を見上げ「天が開いて、人の子(イエス様)が神の右に立っておられるのが見える」と言うのでした。人々は叫びながらステファノを都の外に引きずり出し、一斉に石を投げつけ処刑してしまうのです。ステファノは「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫び、眠りについたのです。
この事をきっかけにエルサレムでは大迫害が起こり、使徒以外の主を信じる人々は遠くに散らされるのです。当初はユダヤ人以外には福音を語らなかったのですが、キプロス(地中海の島)の人々や、キレネ(リビヤの町)の人々がアンテオケでギリシャ語を話す人々にも語りかけ、そこに教会が設立されたのです。やがてエルサレムから信仰の人、バルナバが遣わされ、その後、パウロが加わって教会が成長していくのでした。ここで初めて主を信じる人々がクリスチャンと呼ばれるようになるのです。
 ある時、礼拝し、断食していると、聖霊が「バルナバとサウロをわたしの仕事に当たらせるために選びなさい。」と告げました。人々は断食して手を置いて祈り、宣教に送り出すのでした。このアンテオケ教会の祈りこそ、世界宣教の最初の祈りであると言われるのです。アンテオケはエルサレムから500キロも離れています。主イエスが「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と言われた言葉が現実となったのです。
 学ぶべき第一のメッセージは、宣教は神様の恵みを知り、確信する事から始まるのです。生けるキリストの生命である聖霊が、根本的に人格的に改変するのです。何にも代えられない恵み、その救いに入れられる喜びが、どのような試練も、迫害も、苦しみも忍ぶ事ができ、乗り越え、勝利する力に満ちあふれるのです。宣教する決意、宣教する確信が与えられるのです。
 第二に、宣教に送り出される恵みです。「祈られる」パウロとバルナバ、祈ってくれる友、祈り続ける人々に支えられて宣教は進むのです。祈りなくして宣教は進まないのです。かつてアメリカのオレゴン州のアルバニーのアッセンブリー教会に行きました。教会の墓地に機関車の絵が掘り込まれた石の墓標がありました。我々の教会を設立したジョンストン先生のお墓に行った時の事です。ハリエットさん(ジョンストン夫人)から、この人が尼崎の教会のために献金を送ってくださったのですと聞かされました。オレゴンの原野で汽車を運転しながら祈ってくれた人がいたのです。記録にもない人です。しかし、この人の祈りが確かに私たちの信仰に流れていると思ったのです。宣教は祈りの結果である事を忘れてはなりません。
 第三に、パウロとバルナバは聖霊に告げられて送り出されたのです。聖霊はイエス様の霊です。キリストの臨在を実感して、活ける神の言葉を語り、神の言葉に導かれる、活ける神様を証しする器として用いられるのです。福音は、やがてローマ帝国を覆い、ヨーロッパに根差し、世界に拡大するのです。その宣教の根はアンテオケの世界宣教の祈りに始まることを忘れてはなりません。
 いま、上海で祈りが捧げられています、それは阪神チャペルでの祈りの芽が萌え出したのです。主の言葉を改めて聴こうではありませんか。

イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
(マルコ16:15−18)



 ページのトップへ
  
2015年の礼拝メッセージ
  
他の年の礼拝メッセージへ


トップページへ