阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2015年4月26日
「世界の平和と救いの実現」
使徒言行録14章19−28節

  弟子たちは、主イエスが約束された聖霊のバプテスマを受ける事によって、明確な主イエスの贖いと復活の事実に目覚め、永遠の命の真理を確信する事ができました。その信仰にたって交わりができ、それが教会の誕生となったのです。その信仰の交わりの中、奇跡ともいうべき無私の献身が人々の心に芽生え、所有物を捧げて共同生活が始まったのです。日々仲間が加えられたのです。モーセの伝統に反するイエス運動は、保守的なユダヤ人から弾圧を受け、迫害されるのでした。それでも弟子たちは勇気をもって福音を語りました。モーセと神を冒涜したとの偽証で逮捕された弟子の一人であるステファノの弁明に、人々は返す言葉もなく感情的になり、憎悪し、批判し、迫害するのでした。そしてとうとう石で打ち殺すのでした。この殉教をさかいに迫害の嵐は吹きあれ、キリストを信じる人々はエルサレムから散らされて行きました。そして、シリヤのアンティオケアまで逃れて教会が生まれ、そこではじめてユダヤ人以外の人々にも福音が語られて、世界に福音が広まる起点になるのです。もちろん、それ以前に10章では、ペトロがヤッファの革なめし職人シモンの家から、聖霊の導きによってカイサリヤのローマの百人隊長コルネリウスの家に導かれ、弟子たちに与えられたような聖霊降臨を経験するのでした。ペトロは、ユダヤ人は異邦人との同席を許されていない事を思い悩むのですが、聖霊の導きで百人隊長の家に赴くのでした。
聖書の記録にはいちいち残ってはいないのですが、弟子たちはエルサレムの迫害から北はアンティオケア、海岸ではカイサリヤ、おそらく南では北アフリカ方面まで逃れ、そして福音を伝えていったと思われます。
アンティオケア教会での奉仕後、聖霊に促されてバルナバとパウロはヨハネを同行してセレウキアの海岸からキプロス島に渡るのです。そして、島の西側を通過してパフォスの港から小アジア(今のトルコ)のベルゲに渡ったところでヨハネはエルサレム帰るのでした。そしてピシディア州の奥地にあるもう一つのアンティオケアの町でユダヤの会堂に入って、伝道を始めるのでした。そして、次の町、イコニオンでもユダヤ教の会堂で福音を語るのです。そこで、多くのユダヤ人やギリシャ人が導かれるのですが、その後、反対するユダヤ人が、様々な邪魔をし、深刻な迫害が生じるのです。パウロたちはその地方の東のリストラの町で伝道すると、生まれながらの歩行障碍者(歩けない)が癒されるという事が起こり、町中が感動して、しまいには「この人は神である」と言うのです。ついにはゼウス神殿の祭司までが雄牛と花輪を運んできて犠牲にしようとするのです。パウロは真実の創造主なる神を語り、人々を思いとどめさせ、福音を語るのでした。しかし、アンティオケア(ピシデァヤ州)やイコニオンから、パウロやバルナバを憎悪するユダヤ人たちがやってきて、人々をたきつけて、パウロに石を投げつけるのでした。とうとう彼は意識不明になったのです。しかし、奇跡的に回復し、来た道を引き返し、信仰の熱心な人を町々の教会の長老に任命して、多くの人々を主にお任せするのでした。そして、アンティオキアに帰り、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださった」事を報告したのでした。(使徒14:27)この伝道の記録から、初代の諸教会がどのようにして形成されてきたかを見る事ができるのです。神様が約束のメシアを遣わされ、無限の愛と永遠の命を与え、人を生かし、希望と平和を示されるのに、イスラエルの律法体制による権力構造から覇権争いが先行して、それが全く見えなくなっていて、弾圧となり、イエス様を十字架につける結末となったのです。そればかりでなく、イエス様に従う人々へ迫害となって、弟子たちは都エルサレムから追放されるのです。
第一に、この追放された人々、弟子たちは、住み慣れた都からの逃走、家族の離散の苦難の道をたどったのです。しかし、その離散こそ、主イエスが「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と言われた言葉の出発点であったのです。弟子たちはこの世で生きる全ての術(すべ)を失い、神様以外に頼るもののない現実の中、イエス様の語られた言葉を思い返し、それが生きる希望、支えであったと言えます。イエスは、「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18−20)この言葉がパウロとバルナバには現実であったのです。
上海での開所式礼拝の報告がありました。林家の立派な住まいに椅子が並べられ、ピアノもあるのです。そして8人の人々が集いました。これから様々な戦いがあります。それはクリスチャンの霊的な内面的な祈りの戦いです。初代の人々の戦いを思えば恵まれているのです。阪神チャペルでも祈りました。そして教会の責任を持っている人々を送り出したのです。初代のクリスチャンの歩みを学び、常に「主は共におられる」、これこそが祝福の根源である事を覚えようではありませんか。
第二に、パウロやバルナバはアンティオケアの教会の人々に送り出されたのです。その根本的な動機は聖霊の導きであり、働きであったのです。そしてアンティオケアでは祈り続けたのです。パウロたちが伝道の報告をする時、主の業と栄光を聞かされ、苦しく、辛い不安と、迫害の反面、主が守り、助け、導き、教え示して下さった事を喜んだのです。晴代師、松木姉、坂西姉は林兄の無錫の工場も見学しました。それは大きくて活力のあふれた工場で、林兄の事業に大きな主の栄光を見せられたのです。由佳師は事業家夫人という立場だけではなく、上海での多くの日本人の救いの為の使命を与えられたのです。真実の人の幸せ、神様の真実の救い、一つしかない道の為に生きようと献身の決意をしたのです。それは阪神チャペルの祈り答えでもあります。アンティオケア教会が、パウロとバルナバの宣教の祈りの基地として用いられた様に、上海チャペルの働きが実りの時、そして新しい種まきの時となる為に祈り続けなければなりません。祈りこそ勝利の鍵であることを信じましょう。
 第三に、パウロやバルナバが、祈りの教会アンティオケアで報告したように、晴代師、2人の姉妹たちが、上海で吸った空気、見た街角、出会った人々との交流、主への礼拝、賛美と祈り、聖餐の恵み、その報告の中から喜びと祈りの新たな課題が与えられるのです。特に由佳先生の為に祈らねばなりません。伝道者として、人の苦しみを共にする牧会者として、魂への配慮が行き届くように祈ろうではありませんか。祈りの教会こそ思い合う教会であり、助け合う教会であり、一つの教会、家族教会であるのです。キリストに繋がっている一つの肢体、一つの命に生きる天国の家族です。上海で一人でも多くの方々が導かれて救われるように。そして、阪神チャペルにおいても人々が導かれリバイバルの恵みの花が咲くように。そして祈りが世界宣教へいつも繋がって祈る教会であるように。いつの日も、どんな時も、初代の教会を原点に、学び、習い、その奥義を習得する教会であるように。
「 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
(テモテU4:1−2)



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