阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2016年1月10日
「この時の為に」
エステル4章10−17節 

 エステル記は、ユダヤの女性エステルが活躍したことを記しています。聖書は折々に女性が用いられている事を記しています。ルツはダビデの祖先であり、イエス様の祖先でもあります。エステル記は、ペルシャを背景にしています。この時代、ユダヤ人は、ペルシャ国内のあちらこちらに離散して住んでいました。この時、ユダヤ人に対して、偽りの訴えがされて、全ユダヤを全滅させてしまおうとする陰謀が企てられました。ナチスによるユダヤ迫害は有名ですが、はるか遠くエステルの時代にもこのような事があったのです。当時の王、クセルクセスは、ハマンという人を引き立てて、高い地位に付けたのですが。王宮の役人は皆、ハマンにひざまずいて敬礼しなければなりませんでした。しかし、エステルのいとこであり、また養父となっていたモルデカイは、ハマンに敬礼をしようとはしませんでした。ハマンはこれを非常に不愉快に思い、憎むようになり、ユダヤ人であるモルデカイをだけではなく、ユダヤ人を全滅させる計画を練ったのです。ハマンは王に、国には独自の法律をもっていて、国の法律に従わない民がいて、そのままにしておくわけにはいきませんと直訴(じきそ)し、彼らを根絶させる勅令を求めました。反乱を起こす可能性のある民は滅ぼさなければならないし、その費用もハマンが持つと言っているのです。その結果、12月13日にユダヤ人は根絶され、財産は没収されるという、恐ろしい知らせが全国に発布されました。個人的な憎しみと恨みを全民族撲滅へと広げたのですから、人の心の思いはとてつもなく罪深いものです。ところが、モルデカイは、かつて王暗殺の計画を知る事となり、エステルを通じて未然に防いだことがありました。さて、ユダヤ撲滅という王の勅令が出された事を知ったモルデカイも、全国のユダヤ人も、衣を裂き、粗布をまとって苦悩に満ちた叫び声を挙げました。衣を裂き、祖布をまとうとは、悲しみと悔い改めを表します。衣と共に心も裂いて呻いたのです。
ハマンの計画は着々と進みましたが、モルデカイが荒布をまとって王宮の前に留まっている事を知ったエステルは、使いを送って事情を聴きました。モルデカイはハタクという名の召使に事の次第を詳しく語ったのです。そして、王妃であるエステルが王の元に行き、寛大な処置を嘆願するよう求めました。しかし、いくらモルデカイの願いとはいえ、この国には厳格な掟があり、王からの召しがないのに、勝手に王の前に出る事は禁じられていました。たとえ王妃であろうと、死刑になってしまうのです。ただ、王が好意をあらわし、金の笏を差し伸べれば例外とされました。
エステルは、日頃王からの好意は得ていたのですが、丁度その時、1ヶ月ほど王からの召しがありませんでした。今出かけていく事に非常に不安を覚えたのです。そのことをモルデカイに告げると、モルデカイは、「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるに違いない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」(エステル4:13、14)とエステルに伝えました。
エステルは決心し、スサにいるユダヤ人に断食するように伝えるように、そして自分も侍女も断食してから、定めに反する事ではあるが、王の元に行くとモルデカイに伝えました。「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(4:16)と心を決めたのです。
心を定めて王の元に行くと、王は機嫌良く金の笏を差し出し、エステルの希望を聞くと言ったのです。エステルの、王とハマンを酒宴に2度招待する事を受け入れられました。ところで、その夜、眠れなかった王は、日誌を読み上げさせていました。そこには、王の召使が暗殺を企んだ時、モルデカイがそれを知らせて未然に防いだという記録が記されていました。その時モルデカイは、何も報いを受けていなかった事が判明しました。そこへハマンがモルデカイを処刑しようとやって来たのですが、皮肉な事に王はハマンにモルデカイに栄誉を与える方法を相談するのです。自分の事だと誤解したハマンは、王の服を着せ、美しい衣装で装わせた王の馬を準備し、貴族にそれを曳かせて、都の広場でその人を馬に乗せ、「王が栄誉を与える人はこのようにされる」と、触れさせてはいかがかと提案しました。王の服を与える事はあっても、普通は着る事は許されなかったのです。最大の名誉が与えられました。王はその提案を受け入れ、ハマンに馬を曳かせモルデカイの栄誉を触れさせました。
ハマンにとっては最悪の事態となってしまいました。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」(Tペトロ5:5)とある通りです。その後事態は急展開し、ユダヤ人に対して企てられた陰謀が暴かれて、ユダヤ人の危機は免れました。この危機を免れた事を記念してユダヤ人はプリムの祭りを守るようになったのです。
エステル記には一度も、神、祈りという言葉はでてきません。しかし、見えざる神の御手がすべてを導いておられるという、「摂理」について深く教えている書物です。摂理とは、私たちの人生と生活のすべてに神の支配と導きがある。神が導いておられるという事です。自分で生まれようとして生まれてきた人はいないでしょう。いつどこで、どのように生まれてきたのか、自分で選んだわけではありません。出生そのものが不思議です。深い神の摂理によって生まれてきたのです。そこに私たちが存在している意味があります。エステルが王妃に選ばれたのは、神の摂理によります。「この時の為」だったのです。先に王宮に遣わされ、同胞の危機の時、王に働きかける事が出来る地位につく事が出来ていたのです。神の救いのご計画です。エステルが黙していたなら、救いは別のところから起こされる、しかし、あなたもあなたの父の家も滅びると、モルデカイは厳しい言葉をエステルに伝えました。あなたが遣わされたのは同胞の救いの為なのです。勇気を持ちなさい。神の救いを求めなさい。語りなさいと決心を迫りました。祈りと断食の末、勇気をもって王の前に出たエステルは、救いに用いられたのです。
私たちは、なぜ今そこに置かれているのでしょう。自分で選んだのでしょうか。たしかに職場も家庭も自分が選んでいるかもしれません。しかし、すべてに神の見えざる御手があって、人生が築かれている事を覚えなくてはなりません。神はあなたにご計画をもっているのです。その神の計画を悟ろうとしないなら、神の計画は他の人に与えられる事になります。
私たちは、試練や危機を覚え、苦しむ事が多々あります。様々な問題に悩み苦しむ事があるのです。しかし、今、神が与えられている課題と取り組むことを避けてはならないのです。エステルは最初恐れました。しかし祈りの内に王の前に出る事を決心したのです。もしためらうなら、神は他からそれを担う人を起こされるでしょう。私たちは用いられる機会を失うのです。もし、主イエスが十字架をためらわれたら、私たちの救いはありませんでした。その時、その機会に、主イエスは勇気をもってゴルゴタへと進んで下さいました。今、魂の救いが必要な人々が大勢います。その人々の為に何ができるでしょうか。全ての答えである主イエス。唯一の真の神キリスト。神の摂理に目を開かせ、人生の意味を教えて下さるイエス・キリストを語る事なのではないでしょうか。私たちが、今そこにいるのは決して偶然ではありません。神が遣わされたのです。そこに私たちのしなければならない事が必ずあるからです。
私の遣わされた目的な何でしょうかと祈りましょう。私が今直面している問題の意味は何でしょうかと祈りましょう。意味のない人生や苦しみはありません。神がおられる事と、救いを体験する為のものだという確信を得られるでしょう。戦わなければ勝利はありません。私たちが信仰によって行動をおこし、口を開くなら神の御業があらわれるのです。神は常に共にいて下さいます。
今年、勇気と信仰をもって主イエスを語りましょう。必ず御業が現れる事を確信して祈ろうではありませんか。

「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(Tペトロ2:9)



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