阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2016年11月6日
喜びなさい
使徒言行録5章41―42節

 
救い主イエス・キリストの御名を崇め、礼拝できる幸いを心から感謝します。今年も残すところ2か月となりました。今月27日からはアドベントに入ります。一日一日を大切にし、主イエスに仕えていきましょう。
さて、使徒言行録によれば、ペンテコステの日に誕生した教会は大変祝福されたのですが、同時に厳しい迫害が起きてきました。
人が救われ、癒されるといった神の御業があると、また、迫害も起こるのです。5章の12節以下では、使徒たちによって多くの奇跡がなされたという記録があります。病人が癒され、多くの男女が主を信じたのです。そして、その数が増え続けていきました。
ところが、主イエスを十字架につけた人々、大祭司や律法学者たち、サドカイ派の人々は「妬みに燃えた」(使徒5:17)とあります。そして、使徒たちを捕らえて投獄してしまいました。ところが、奇跡が起こりました。真夜中に天使が牢の戸を開けて、彼らを外に連れ出し、「この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(使徒5:20)と言いました。
そこで、使徒たちは夜明けには神殿の境内で福音を伝えたのです。
牢から出されて隠れるのではなく、すぐに公の場所で御言葉を伝え始めました。最高法院では、使徒たちを出廷させようとしたのですが、牢に彼らはおらず、しかも牢には鍵が掛かっているし、番人もいたので、何が起こっているのか不思議に思い惑ったのです。
 使徒たちは神殿の境内にいて、民衆を教えていると知らせる人がいたので、守衛長たちが再び彼らを捕縛しました。
 最高法院に引き出されて、主イエスの名によって教えてはならないと命令したのに、なぜその教えを広めるのかと尋問されるのですが、使徒たちは、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、この事を証ししておられます。」(使徒5:29−32)と証言しました。最高法院は使徒たちを処分する権力を持っていました。しかし、使徒たちは人ではなく神に従うと宣言したのです。そして、主イエスの十字架と復活を、「この事実」として語り、罪からの悔い改めによる救いを証ししました。自分たちは「この事実の証人」であると、はっきり語りました。
 使徒たちは、主の命令である「福音を伝える」という事を第一に考えていました。ペンテコステの出来事以後、かつて主イエスが語られた御言葉をしっかり思い起こし、信じて進んでいくようになりました。
主イエスは、十字架の贖いと永遠の命を保証されました。主は、「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネ5:24)と、言われました。「はっきり言っておく」とは、真実を告げるという意味で、口語訳聖書では、「よくよくあなたがたに言っておく」と訳されていて、最も大切なことを伝えておられるのです。使徒たちは、主イエスを信じ、その御言葉に従う者は、現在永遠の命に生かされているということを、心の底から信じ受け入れていました。これが力になっているのです。
永遠の命を確信している者は、何をなすべきかを心得ています。せっかく牢屋から逃れたのだから、隠れていようとは思いませんでした。直ちに宣教を始めました。
復活の主について聞く者には様々な反応があります。パウロが伝道旅行で初めてマケドニアに渡った時、フィリピで紫布の商人、リディアと出会いました。彼女はパウロから福音を聞いた時、「注意深く」聞いたとあります。(使徒16:14)それは、非常に関心をもって聞いたという事です。そして、主を受け入れ、家族と共に洗礼を受け、マケドニア伝道の初穂となりました。
使徒言行録23章以下に、総督フェリクスという人が登場します。彼はローマ人でしたが、妻はユダヤ人でヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ一世)の娘であると言われています。エルサレムでユダヤ人指導者たちに逮捕されたパウロは、暗殺の危機にあって、カイサリアの総督フェリクスの許に護送されて行きました。パウロはエルサレムの最高法院でも、カイサリアのフェリクスの法廷でも、福音を語りました。
大祭司アナニアもカイサリアまでやって来て、あくまでもパウロを告発し続けました。アナニアは、パウロの事を「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間で騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の首謀者であります」(使徒24:5)と訴えました。
パウロは、自分は訴えられるようなことをしたわけではなく、主の復活について話しただけであることを弁明しました。フェリクスは、かつて奴隷でしたが、あらゆる手段を用いて総督にまで上り詰めた人でした。妻と共にイエス・キリストとその教えについてはかなり良く知っていたのです。パウロを呼び出して御言葉を聞くのですが、正しさ、純潔な生活などについて聞くと、恐ろしくなってしまいました。自分がそのような生活をしていないことが良く分かっていたからです。教えを知ってはいるけれども、結局悔い改めることはありませんでした。パウロに、「また適当な機会に呼び出すことにする」と言い、度々呼び出しましたが、やはり悔い改めの機会を持つことはありませんでした。パウロを呼び出す動機も、ただ話を聞きたいだけではなく、パウロからお金をもらうことを目的にしていたのです。ローマの総督が囚人からお金をもらいたいとは、フェリクスの人品がよくわかるエピソードです。2千年後の私たちにも不名誉な事が知らされてしまいました。聞くことは聞くが、また教えについても理解するが、悔い改めをせず、信じない人の姿を見ることができるのです。フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、その後2年間もパウロを監禁したままにしておきました。
フェリクスを通して、悔い改めようとしない人の典型的な姿を見ることができます。
使徒5章に戻ると、ガマリエルという人の仲裁で、使徒たちは鞭打たれた後、伝道を禁止されて釈放されます。しかし彼らは、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」(使徒5:41)ました。そして毎日神殿や家々で絶えず教え続けたのです。
さて、主イエスの御心は、宣教によって人が悔い改め、罪が許されて永遠の命を持つことです。リディアのような人ばかりではありません。伝えても信じようとしない人が多いのです。だからといって、伝道しなければ人は救われません。伝道して、苦しい思いや嫌な思いをすることがあるかもしれません。しかし、先に救われたクリスチャンが伝えなければ誰も救われることはないのです。
主イエスは、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」(マタイ5:11−12)と教えてくださいました。反対され、迫害され、投獄され、殉教し、そのようなことを続けて福音は全世界に宣べ伝えられました。それは大きな喜びであって、天では計り知れない報いが備えられているのです。義の冠、栄光の冠が待っているのです。喜びを持って主イエスをたたえ、救いを信じて宣べ伝えていきましょう。
クリスマスコンサートの案内ができています。今から家族や友人、知人、すべての人に喜びをもって主イエスを伝えましょう。私たちの福音の種が大きな実を結ぶことを心から信じて喜びと感謝を捧げましょう。


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