阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2016年12月25日
「良き訪れ」
ルカ2章8-20節

 きょうは、2016年最後の聖日となり、またクリスマスをお祝いする礼拝となりました。今年一年の感謝とともにクリスマスをお祝いしたいと思います。
昨日は皆さんとクリスマスイブを祝い、幸いな時を持つことができて感謝でした。来会された方々が今後も主イエスと結ばれますよう、祈り続けたいと思います。
 クリスマスがなぜ12月25日とされたのかはいろいろな説がありますが、一年中で一番日が短くなる冬至(とうじ)が過ぎて、一日一日と日が伸びていくことと併せて、暗闇から光へという意味で制定されたという説が一般的です。ですからクリスマスは主イエスの誕生日というより、救い主が人となられてこの世に生まれた事実を記念し、祝う時と考える方が妥当であると思います。
 クリスマスには、クリスマスカラーと言われて、プレゼントには赤と、緑、白の包装紙やリボンが使われます。緑に金の縁取りがしてあるリボンも美しいものです。緑は一年中色が変わらない常緑樹の緑であり、永遠の命を表します。赤は主イエスが十字架で流された贖いの血、白は罪からの清め、また金色は王の印である黄金を現すのです。クリスマスツリーが一般的になったのは、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターがクリスマスイブの礼拝の帰りに森の木々の間に輝く星々の美しさに感嘆し、これを子供たちのために家の中に再現しようと木を運び、ローソクで飾ったのがはじめと言われています。その後、ドイツの移民によってアメリカに広まっていったのです。日本にキリスト教が伝来したのは1549年ですが、1552年に山口で、宣教師によってクリスマスのミサが執り行われたという記録が残っています。その後禁教となった為、1873年(明治6年)、キリスト教解禁になるまで表立ってクリスマスを祝うことはありませんでした。そして、終戦の1945年以後、クリスマスは世の中の行事の一つとしてとらえられ、商業施設などの華やかな飾りつけやツリーで師走の様相となっていきました。
 クリスマスツリーも、救い主到来とキリストの救いを表すものであり、この本当の意味を多くの人々に知っていただきたいものです。
ユダヤのベツレヘム近郊の野で、羊飼いたちが夜通し羊の番をしていると、天使が現れて、「恐れるな、わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:10−12)と告げたのです。
そして、突然この天使と共に天の軍勢が加わって、賛美の声が高らかに上がりました。羊飼いたちは急いでベツレヘムへと向かい、乳飲み子を探し出し、何もかも天使が告げた通りであったことを人々に知らせたのです。
 これがクリスマスの出来事でした。美しく整えられ、飾られた部屋があるわけではありませんでした。家畜小屋で、ベビーベッドではなく飼い葉桶に救い主は眠っていたのです。権力者が祝いにやってきたのではなく、貧しい羊飼いたちがやってきました。
天使のメッセージは、「民全体に与えられる大きな喜び」についてでした。すべての人に与えられる大きな喜びです。
神はナザレの敬虔なおとめマリアを選ばれて、主の母上とされました。彼女はヨセフと許嫁でしたが、まだ結婚はしていませんでした。彼女の許に天使ガブリエルが遣わされ、聖霊によって身重になり、男の子を生むことを告げられました。マリアは大変戸惑いましたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と言って受け入れました。夫となるヨセフも天使に示されて、マリアの胎に宿っている子は神の聖い霊によるものと確信し、マリアを迎えました。ガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムまでは120キロ位の距離があります。皇帝アウグストゥスの命令によって、人口調査のために出身地に戻らなければならずに、ダビデの家系であった二人は、登録のためベツレヘムに戻ったのです。マリアはベツレヘム滞在中に出産しました。そこで、メシアはベツレヘムから出るという預言が成就しました。
キリストの誕生により、全世界が大きな喜びを与えられました。救いの喜びです。救いとは、神から遠く離れていた者が神の許に帰ることです。罪のために神から離れ、滅びに向かっていた者が、方向を変えて神に戻ることです。
落語界の大御所であった、露の五郎兵衛という方がおられました。クリスマスコンサートなどに何度も来ていただいた、菅原早樹さんのお父さんで、関西落語協会の会長をされた有名な方です。ご本人もこの教会で証ししてくださいました。落語家と教会というのはなかなか結び付かないような気がしますが、不思議な神様の導きで早樹さんが救われて、献身され、牧師夫人となられ、熱心に祈り、導かれたのです。一方お父さんの方はかねがね自分はいつも命拾いしていると考えていました。子供のころ戦争で機関掃射をうけて、間一髪助かったこと。事故や大きな病気をして、危ない所を何度も助けられたこと、本当なら命がないようなところを何度も助かってきたことを、「命拾い」してきたと自覚していました。その中で、「もしかしたら、わたしを生かしているものは、イエス・キリストという神なのではないか」と考えて、聖書をしっかり読むようになったのです。そして、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ10:25)この御言葉によって、わたしは死んでいたのに生きたのだと、信仰を告白されたのです。奥さんと共に娘さんの教会で洗礼を受けられて、教会生活に励まれ、さまざまなところで福音宣教の働きをされました。
永遠の命に生かされることを喜びとされた生涯に変えられ、救いの光の中を最後まで歩まれたのです。
イエス・キリストを救い主として信じる者には、「そこでもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)とあるように、一切区別はありません。
神の愛が平等に注がれて、信じる者は皆救われるのです。救い主メシアの誕生、これが良い訪れ、福音です。
羊飼いたちは急いで救い主を求めてベツレヘムへ行きました。良いニュースを聞いて、すぐに出かけたのです。日ごろ、律法を知らず、守れない者として蔑まれていた羊飼いたちですが、神は一番先に彼らに救い主誕生を知らせました。どんなにうれしく喜ばしいかったことでしょうか。
神は私たち一人一人にも語りかけておられます。救い主はあなたのそばに、あなたとともに、あなたを愛し、守り導かれる。この方によって大きな救いの喜びがもたらされ、永遠の命が与えられると、語り続けておられるのです。救い主が家畜小屋でお生まれになったのは、人の心の一番汚い、貧しい所に来てくださるというメッセージです。
心を開き、この救い主イエス様を心の中にお迎えしましょう。それがあなたのクリスマスなのです。
救い主が誕生されてからしばらくの後、東の国の学者たちが不思議な星に導かれてベツレヘムへやって来ました。そして、黄金、乳香、没薬をささげて礼拝しました。
王にささげる黄金、祭司にささげる乳香、死の備えのための没薬、王であり、大祭司であり、十字架の贖いを成し遂げられた方にふさわしいささげものであったのです。真の王であられる方、私たちのために救いの橋を架け、常に執成して下さる大祭司、完全な贖いを成し遂げられた十字架、この方以外にメシアはいません。私たちは大きな喜びをもって良き訪れを語り告げていきましょう。


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