阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2017年3月12日
「あなたと共にいる」
使徒18章9―10節

  パウロは、3回にわたって伝道旅行をしました。第二回目の伝道旅行で、はじめてヨーロッパに福音が伝えられました。
パウロとシラスは、アジア各地で福音を伝えようとしたのですが、主の御霊にとどめらました。そして、トロアスに来た時に幻を見ました。それは、一人のマケドニア人が、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」(使徒16:9)と願う幻でした。
パウロは、この伝道旅行にシラスを同行していました。前回の旅行の途中で帰ってしまったヨハネを同行させないことで、バルナバと意見が分かれてしまい、バルナバはヨハネと共にキプロスへ行き、パウロはシラスと共に出発したのです。
パウロとシラスは幻の後、直ちにマケドニアにわたり、フィリピで伝道を始めました。そのときに救われたのが、紫布の女商人リディアと牢獄の看守の家族でした。
そして、テサロニケやべレアで伝道するのですが、ユダヤ人たちによって激しい迫害にあいます。特にテサロニケのユダヤ人たちは過激で、べレアまで押し寄せて来て妨害しました。そのために、パウロは急いでアテネへと逃れなければなりませんでした。アテネでも伝道し、アテネからコリントへ行き、コリントでシラスとテモテと合流することができたのです。ここでも「メシアはイエスである」と、力強く証しました。ユダヤ人たちの反応はひどいもので、反抗し、「口汚くののしる」(使徒18:6)というものでした。それに対してパウロは、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」(使徒18:6)と宣言しました。ユダヤ人が悔い改めて、メシアであるイエスを受け入れるようにと伝道したのですが、頑ななユダヤ人たちは悔い改めることができませんでした。そこでパウロは、異邦人伝道に導かれることになったのです。
パウロは、アジアでの迫害について、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失っていたと、告白しています。(Uコリント1:8)このような苦しさの中で、パウロが求めたのは死者を復活させてくださる神を頼りとすることでした。
「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」(Uコリント1:8−10)パウロは、神は助けて下さったし、助けてくださっている。またこれからも助けてくださると、確信していました。神を信じる信仰です。神は死者さえも復活させて下さる方であり、全能の神なのです。
神はまたパウロに、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしはあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒18:9)と幻で語られ励まされました。神が共にいてくださる事を信じる者は幸いです。必ず光に導かれることを知っているからです。パウロは1年半コリントで語り続けました。コリントの町は大変不道徳な町として知られていましたが、この町で多くの人々が救われ、教会が建て上げられていきました。
神は常に、恐れてはならない、私があなたと共にいると語られるお方です。
創世記にヤコブという人の出来事が記されています。アブラハムの子、イサクの子、ですからアブラハムの孫にあたる人です。イサクの妻、リベカにはなかなか子供が与えられませんでした。イサクは子供が与えられるように祈りました。祈りは聞き入れられてやがて双子が生まれました。エサウとヤコブです。この二人は外見も性格も違う双子でした。神は、母の胎内にいる時に「兄が弟に仕えるようになる」(創世記25:23)と、語られました。
やがてエサウは野を駆け巡って狩りを得意とする人となり、ヤコブは天幕で過ごすことが好きな人になりました。ヤコブは長子の権利という、大切な祝福の価値を知っていました。何にも代えがたいものであって、霊的な祝福も、すべての祝福も受け継ぐ権利だったのです。一方エサウは全く関心がありませんでした。お腹を空かして家に帰った時、ヤコブは料理をしていました。疲れて空腹であったエサウは、パンとレンズ豆の煮もので長子の権利をヤコブに譲ってしまいました。このことをヘブライの手紙には、「だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。」(ヘブライ12:16)とあります。これは不敬虔な人であってはならないという意味です。エサウは後になって涙を流して求めましたが、もうその機会はありませんでした。ヤコブはエサウに成りすまして父イサクから祝福を受けたのです。怒ったエサウは、父イサクの亡き後、ヤコブを殺すと心の中で考えていました。ところがそれが母リベカに洩れたのです。リベカは急いでヤコブを自分の兄、ラバンの元に逃がしました。ここに登場する人々は神の祝福の中にいるのですが、なんとも人間的で、皆罪深いのです。ヤコブも目が弱くなっていた父に兄エサウと偽ったのです。そのような者でしたが、はじめて家を離れ、ハランというリベカの実家に出かけていくことになりました。旅の途中、ヤコブは天の梯子を天使が登ったり下ったりしている夢を見ました。そして、神が傍らに立って、あなたと子孫にこの土地を与える。あなたの子孫は多くなり、祝福される。さらに、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28:15)と語って下さいました。
ヤコブは20年間伯父ラバンの元でさまざまな訓練を受けて、家族と共に多くの家畜を与えられて、戻ってくることになるのです。エサウとも和解できました。ヤボクの渡しで神と組打ち、砕かれてイスラエルという名を与えられました。
どんなに罪深くても、神は共にいてくださる方です。迫害や困難、死ぬ思いをするような時にも、神は共におられるのです。
私たちは、共におられる神をいつも覚えて慰めを得ることができます。神は御自身の御心を成し遂げてくださいます。
パウロに語られた神、ヤコブに語られた神は、私たちの神です。
常に励まし、慰め、力を与え支えてくださるお方です。私たちは弱くても、この方は力の神、全能の神、なんでもおできになる神なのです。
 この神を信じて、勇気をもって力強く歩みたいものだと思います。
心を救い主イエスに明け渡しましょう。心の重荷はすべて主イエスに委ねましょう。過去も現在も未来も、すべてにわたって守り続けてくださる方を心から賛美しましょう。


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