阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
母の日礼拝会
2017年5月14日
「立ち帰って生きよ」
ルツ記1章1−7節

 今日は、母の日です。私たちはみな母の胎から生まれ、育まれて成長しました。世の中は、母の日のプレゼント商戦で、プレゼントで感謝を表そうとしています。それは大変良い事なのですが、聖書はさらに良い道を教えてくださいます。
母の日は、1905年、アメリカのフィラデルフィアのアンナ・ジャービスという女性が、天に召された母親を記念し、母という存在を敬うという運動を始めたことから始まります。敬虔なクリスチャンであった母親を記念して、白いカーネーションを飾りました。1914年には、時の大統領によって、母の日が制定されたのです。
母の日だけではなく、日ごろから感謝を表したいと思います。
今日は、ルツ記を開きました。ルツ記には、ナオミという母親が登場します。もともとベツレヘム出身でしたが、飢饉(ききん)のために、夫エリメレクと、息子二人とともにモアブに移り住んだのです。故郷から見知らぬ外国に移り、心細かったかもしれませんが、それでも当初は家族4人で生活することができました。
ところが、まもなく、夫エリメレクが他界してしまったのです。他界した原因は何も記していませんが、ナオミと子供たちにとっては、辛い悲しい出来事であったと思われます。
 その後、二人の息子は、モアブ人の女性と結婚しました。ナオミにとって、うれしい出来事だったことでしょう。ところが、10年ほど後に、相次いで二人の息子、マフロンとキリオンも他界してしまったのです。ナオミにとって、ベツレヘムから移住して、15年位の間の出来事でした。本当に悲しみの極みのような体験をしたのです。
 そのころ、ナオミはベツレヘムでは、飢饉が治まってきたという事を聞きました。そこで故郷へ帰る決心をして、帰途についたのですが、息子のお嫁さん、オルパとルツも付いてきました。ナオミたちは、和やかな家庭であったことが分かります。
 ナオミは、二人のお嫁さんに、実家に帰るようにと諭しました。説得の末、オルパは泣き泣き帰って行きました。弟嫁のルツは、ナオミに縋り付いて離れようとはしませんでした。「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。」(ルツ1:16,17)と告白して、死別以外では離れることはないと言いました。モアブの女性でありながら、真の神を心に受け入れていた女性でした。二人は旅を続けて、ベツレヘムに着きました。この二人の帰還は、ベツレヘムの人々の間で、大きなニュースになりました。「ナオミさん」と呼びかけられると、「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを 主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い、(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ 全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(ルツ1:20−21)と答えたのです。
ナオミは、自分の境遇を嘆き、マラと呼ぶようにとさえ言うほどに苦しみのどん底にありました。
 試練が続くときには、このような言葉がでてくるのかもしれません。神様は私の事を忘れられたと思うようなことがあるかもしれないのです。主は、ナオミの事を忘れておられたのでしょうか。決してそうではありません。人の心では思い量ることのできない、大きなご計画をお持ちなのでした。当時の未亡人たちは、生活の術がありませんでした。ですから、人の畑に入り、許されている範囲で落ち穂を拾う事で生活しなければなりませんでした。丁度、大麦の刈り入れ時に帰ってきたので、ルツは早速落ち穂を拾いに行きました。
ルツは知りませんでしたが、ルツが落ち穂を拾った畑は、亡くなったエリメレクの一族である、ボアズという人の畑でした。
 ボアズは、ナオミとルツがエルサレムに帰ってきた事情を残らず知っていました。また、モアブの女性であるルツが、姑ナオミに尽くしていることも知っていて、落ち穂を拾うことについて、また、そのほかの事について、あたたかい配慮をしました。
ボアズはルツを、「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」(ルツ2:12)と祝福しました。
 やがて、正式の手続きを済ませ、ボアズはルツと結婚しますが、これはナオミの家を絶やさないようにするためでもありました。
ルツがボアズと結婚して、家を絶やさないようにするという考えられないことが起こったのです。神様の思いは人の思いをはるかに超えたものなのです。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている」(イザヤ55:8,9)とある通りです。
 「全能者が私をひどい目に遭わせた」と嘆いたナオミは、やがて、ルツが生んだ乳飲み子を抱き、養い育てました。人々から「この子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから」(ルツ4:15,16)と祝福されたのです。
神様の思い、計画は人の思いをはるかに超えた高いところにあります。ルツの子供は、オベドと名付けられ、その子がエッサイ、エッサイは、ダビデの父親になりました。この家系から、救い主がお生まれになるのです。
 モアブから帰る時には、何も持たず、失意のどん底でした。神様は、これからの事を具体的には教えられません。ルツがボアズと出会い、結婚し、メシアの遠い先祖に加えられるなどとはわからないのです。
 私たちがわかるのは、神が救いのご計画をもっておられて、私たちを喜ばせてくださるという事です。神を信じるという事は、「神に立ち帰る」という事です。今までは神を知らず、自分の好む道しか歩まなかった。自分の利益しか考えられなかった。目の前の事しか考えられなかった。救いの道から遠かったかもしれません。神は一人一人に救いのご計画を持っておられ、神に立ち帰らせて下さった。主イエスの十字架の贖いによって、永遠の命を与えてくださいました。遠い、異教の地、モアブから故郷ベツレヘムに帰ることができたのです。
 家族の救いを信じましょう。お母さんの魂のために祈りましょう。信仰を持っておられるお母さんのためには、さらに強い信仰に立つことができるよう、祈りましょう。
 私たちの生涯の全てに主の全能の御手がることを感謝し、十字架の救いを噛みしめて歩み続けていきましょう。


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