阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2017年7月2日
「主のために生きる」
ローマ14章7−9節

 今年も半年が過ぎ去りました。日々戦いの中にあっても、常に主イエスが共におられて、今日まで守り支えてくださる事を感謝します。私たちは、キリストを知らなかった時も、キリストを救い主として個人的に受け入れてからも、愛され続けていることを知っているでしょうか。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイ5:45)にある通りなのです。主イエスを信じてから、確かに守られ支えられていたということがわかるのではないでしょか。
先々週の土曜日には、三浦綾子読書会があり、海嶺を通して神の愛とご計画を学びました。海嶺は、三浦綾子さんの長編小説ですが、実話をもとにしています。1832年、宝順丸という千石船が熱田から江戸に向かう途中遭難してしまい、14ケ月も漂流して、北アメリカのフラッタリー岬に漂着します。乗組員14名の内11名は漂流中に死に、音吉、久吉、岩松(後に岩吉)の3名が生き残り、ネイティブアメリカンの奴隷として働くことになったのです。しかし、3名の事がイギリスのハドソン湾会社の知る所となり、助け出されて、ロンドンを経てマカオに送られ、マカオから日本に帰るという計画を立てていました。3人は、マカオでドイツ出身のギュツラフという宣教師の家に滞在することになりました。ギュツラフは、聖書を日本語に翻訳したいという望みをもっていたので、日本人3名と出会ったことに感謝しました。そして、ヨハネによる福音書とヨハネの手紙の翻訳を3人の手助けで1835年11月から始めて、1836年12月には完成したのです。ギュツラフ訳の聖書が初めての日本語訳の聖書でした。しかし、モリソン号で日本に送られた3名は、外国船打ち払い令のために入国できず、この聖書もこの時、日本に入ることはありませんでした。3名は日本に帰ってきたのに、入国できず、マカオや上海、シンガポールで生涯を終えたのです。
時が移り、1859年に、ヘボンという宣教師がギュツラフの聖書をもって来日しました。出版されてから、23年の月日がたちましたが、日本語訳の聖書はたしかに日本の伝道のために用いられることになったのです。禁教令はまだ続いており、外国人に対する危険もあったので、医師でもあったヘボンは、診療所を開きながら伝道しようとしていました。また、女子教育を始めて、後にフェリス女学院と明治大学の基礎を築いた人でした。
音吉たちは、自分では聖書を持って日本に帰ることはできなかったのですが、後に聖書は用いられ、いまだにギュツラフ訳の聖書と、誰もが知る所となっているのです。
人の人生には、何が起こるのか本当にわかりません。熱田の村で船乗りをしていた者がアメリカまで流され、マカオで聖書の翻訳に携わり、今に至るまでその名前が記憶されているとは、本人たちの知るところではなかったでしょう。
大変につらい人生であったのですが、後に音吉たちは洗礼を受けたとの記録があります。その人生の背後には確かに真の神の御手がありました。また、音吉は後に通訳として日本に入国し、激動の時代にかかわったのです。
神は、どのように小さな取るに足らない者の上にも御手を伸ばされ、ご自身の栄光のために用いてくださるという計画をお持ちなのです。神は誰一人として決して忘れる事のないお方なのです。
神は、その独り子イエス・キリストをお与えになったほどに人一人を愛され、慈しみを与え続けてくださいます。苦難があっても、試練があっても、神の御手が常にあることを知らなくてはなりません。神の愛を知る者は、ローマ14:7、8にあるように、「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」とあるように、自分はキリストに贖われて、キリストにあって生きる者であるという信仰があるのです。自分は確かにキリストのものであって、自分の存在は主のためにある事を確信するときに、感謝と喜びに満たされます。自分は自分のもので、自分の人生も自分のものだと考える時、魂の平安を持つことはできません。苦しいけれども、神の愛を信じる時に試練を乗り越え、試練は恵みであったと告白するに至るのです。
詩編119編71節には、「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」とあります。(口語)。新共同訳では、「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」と訳されています。「卑しめられる」とは、「見下されるとか、ばかにされる」といった意味があります。人にとって耐えがたい屈辱を受けたという意味にもとれます。しかし、それらの苦しい体験を通して、神の愛を知るようになったという事なのです。
主イエスは、大祭司の庭で、ばかにされ、嘲られ、唾をかけられ、たたかれても何も言われませんでした。全世界の救いのために十字架の道を進んでくださったのです。十字架で死なれ、復活された主イエスは今私たちと共におられます。
今日読んだローマ14章7−9節は、人を受け入れて、裁くなという教えの中で語られています。もちろん信仰の本質と違う事なら退けるべきことですが、些末なことで裁き合ってはならないと教えています。神が教えておられることは、互いに愛し合うということです。私たちが自分のためにだけ生きるとしたら、どんなに冷たい世界になってしまうでしょうか。争いながら、人を蔑み、退けながら生きるとは、苦しい事ではないでしょうか。
神の愛に生きるとは、主が十字架で示された真の愛を差し出すことです。自己中心からの解放です。私たちのささやかな人生を通してキリストの栄光が現れるのです。ヨハネ6章には、5千人の給食の出来事が記されています。大群衆がイエスの話を聞きたいと集まっていました。弟子のフィリポは、200デナリのパンでも足りないと言いました。アンデレが一人の少年を連れて来て、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と言いました。     少年は自分の食べ物を差し出したのです。少年にとっては大切なものだったでしょう。しかし、そのままなら食べてしまってなくなったのです。主イエスに差し出した時、大きな御業がなされたのです。私たちが私たちのままなら小さな者のままであるかもしれません。神の愛のために自分を差し出す時、大きな神の御業が現されるのです。生きておられる神のために自分を差し出す時に、神の栄光のために豊かに用いられることを体験として覚えましょう。

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