阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2017年7月16日
「真の神を知る」
使徒言行録17章22−26節

 パウロは第二回目の伝道旅行中、マケドニアに導かれました。フィリピから、数か所を経てテサロニケで伝道しましたが、ここで激しい迫害に会いました。ベレヤへ逃れ、そこからさらにアテネへと導かれていきました。宣教は迫害の中で進められていきました。
パウロはアテネで同行していたシラスとテモテが来るのを待っていました。パウロはアテネに多くの偶像があるのを見て、「憤慨」したとあります。(17:16)アクロポリスに建つパンテオン神殿をはじめ、町の角々に偶像があって、「知らない神に」と呼ばれる祭壇が多数あったのです。人々はそれらに香を焚き、願いが叶うようにと拝みました。日本でも、有名な寺には大きな香炉がおかれていて、それに線香をたてて、無病息災を祈りますが、2千年前のアテネも同じようなものでした。人が考える事は国と時代を超えて同じようなものなのです。
パウロはエピクロス派や、ストア派の人々とも話したのですが、彼らにはパウロの言っていることが理解できませんでした。パウロは、主イエスと復活について語っていたのです。福音を語ったのです。しかし、彼らは、イエスと復活(アナスタシス)という外国の神々について語っていると思いました。
彼らはなにか耳新しい事を聞きたかったので、パウロをアレオパゴスに連れて行きました。アレオパゴスとは、古代からアテネの議会が開かれるところでした。
パウロは、まずパウロが目にした「知られざる神」について話し始めたのです。アテネにはありとあらゆる偶像の宮や祭壇があったのですが、それでも足りずに、人々はもしも自分たちが知らない神々があって、それを祀ることをしなかったために、災いがあってはならないとそのような祭壇を作ったのです。
パウロは、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」(使徒17:22−23)と話し始めました。
パウロは、天地万物を創造された唯一の真の神について伝えなければなりませんでした。それで、あなたがたが知らずに拝んでいたのは、「世界とその中の万物とを造られた神」(使徒17:24)であると語りました。そして、この方は、すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださる神であると伝えました。この天地の創造主は、人が造った神殿にお住まいになどならず、また、何か足りない事があって、人に仕えてもらう必要などないお方であると語ったのです。人が神を求めさえすれば必ず見出し、すぐそばにおられるお方なのです。神を偶像のように考えてはならず、悔い改めて真の神、十字架に架かり、三日目に甦られたイエス・キリストを信じるようにと語りました。
アテネの人々は、パウロが今まで聞いたことのない新しい事を語ってくれると期待して耳を傾けたようです。イエスという名の神と、復活(アナスタシス)という名の神々の事を説明するのかと思いました。しかし、キリストの復活の話になると、あざ笑い、信じようとはせずに、その場を立ち去ったのです。パウロの証しさえアテネの人はなかなか受け入れる事が出来ませんでした。アテネの人々は真剣に真の神について知りたかったわけではなく、知識欲を満たしたくて、パウロの話を聞こうとしていただけでした。
偶像を祀り、拝むことには熱心であっても、天地万物を創造された真の神を求める事はありませんでした。2千年前のアテネも現在の日本もあまり変わらないのです。
先にイエスをキリストとして信じ受け入れた者は、ますます神を知る者でなくてはなりません。生きておられる神を体験的にいつも知ることです。神は生きておられる方であることを、常に証しするのです。
詩編100編は、神を崇め、礼拝の民として喜んで神の御前に進み出るという感謝を歌っています。3節には、「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。」とうたわれています。この創造主である神を知る者は、信じることから始まります。信じるなら、生ける神を知ることができるのです。神に造られ、神を知らなかった時でさえ守られ支えられ、導かれてきた。やがて主イエスによる救いを体験した時に、はっきりと真の神の存在を知ることができたのです。造られた方は、ご自分の民を責任をもって導き続けてくださるのです。ご自分の羊として常に養い続けてくださるお方です。
 八百万(やおよろず)の偶像があっても、それは人が作ったものであって、何の助けにもなりません。「袋の金を注ぎだし、銀を秤で量る者は 鋳物師を雇って、神を造らせ これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って生き 据え付ければそれは立つが そこから動くことができない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってはくれない」(イザヤ46:6,7)とあります。
金や銀で神の像を鋳造しても、なんの助けにもならないのは当たり前です。真の神は私たちのために道を備えてくださいます。三浦綾子さんは、婚約者を結核で亡くし、自分も結核を患い、結核性のカリエスで身動きできない7年間を過ごされました。希望も道もない暗闇の中にいたのです。しかし、イエス・キリストという真の神、真の光を心に信じ、この方の愛を知った時、どのような中にも神は道を備えてくださった、道はあったという証を「道ありき」に記しました。神は常に真の道を備えてくださっているのです。
アテネでパウロが真の神を伝えた時、あざ笑う者がいました。またこの次に聞こうと言って立ち去った人々がいました。しかし、何人かは信じたのです。「アレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」(使徒17:34)とあります。ペンテコステの日のように多くの人が信じたのではありませんでした。しかし、幾人かは信じたのです。尊い働きです。
現在、ギリシャの国教はギリシャ正教です。ハリストス正教会と言うのが正しいようです。正教会は、ローマカトリックの別れではなく、自らが初代教会を継続するものであると公言しています。パウロが語ったキリストの復活、永遠の希望をアテネの人たちはあざ笑ったのですが、その信仰の種は確かに実を結びました。日々共に歩んでくださるお方は、天地万物の創造主です。罪を完全に許し、永遠の命を与えて下さり、限りない愛に満たして下さる方です。今までもまたこれからも常に道を開いて下さり、私たちをご自身の栄光の御業に用いてくださるお方であることを信じ、この方の愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか理解し、計り知れない愛に満たされて進もうではありませんか。
私たちを通して神の御業が現れる事を信じましょう。 


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