阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年3月11日
「嵐の中でも」
ルカ8章22−25節

  ガリラヤ湖は突風で有名な湖です。ガリラヤ湖は海面より180メートルも低い所にあります。周囲は高い山や大地で取り囲まれていて、川が湖に注ぎ込んでいるので、これらの川に沿って山から冷たい風が運び込まれて、突風の通り道となり、嵐になってしまいます。そのような状況を、ペトロたちガリラヤ湖の漁師であった者は良く承知していたはずです。主イエスは弟子たちに、「湖の向こう岸に渡ろう」(ルカ8:22)と言われて舟に乗り込まれました。主イエスは乗り込まれるとすぐに眠ってしまわれたのです。日々神の国を宣べ伝えられ、群衆を教え、癒され、多くの働きをされて、疲れておられたのでしょう。
 別の福音書には、主イエスは艫(とも)で枕をして眠っておられたとあります。
ペトロや弟子たちに任せて安心して眠っておられたのです。
ところが突然突風が襲って、舟は水をかぶり、危ない状況になってきてしまいました。弟子たちは、湖の危険を良く承知していたのです。
 嵐になっても、主イエスは起きませんでした。舟の中は水浸しになって、激しい風に木の葉のように揺れ動かされて、今にも沈みそうでした。
「先生、先生、おぼれそうです。」(ルカ4:24)弟子たちは、眠っておられる主イエスの許に行き、主を起こして訴えました。弟子たちは、主イエスが嵐の中でも眠っておられるのが不思議で、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(マルコ4:38)とも言いました。弟子たちは、主イエスがこの大変な時になぜ眠っておられるのか、自分たちの身がこのような危険な状況にあるのにかまわないのかと、理解に苦しむ思いに陥ってしまったのです。
 主イエスは起き上がられて、風を叱り、湖に「静まれ。黙れ」と言われました。すると、風はやみ、凪になったのです。主イエスは弟子たちに、「なぜ怖がるのか」(マルコ4:40)と言われ、また、「あなた方の信仰はどこにあるのか」(ルカ8:25)と言われたのです。弟子たちは畏れおののき、「いったいこの方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」(ルカ8:25)と互いに言い合いました。
 私たちは、主イエスが私達と同じ舟に乗っておられることを知っているでしょうか。私たちが生まれてから召されるその時まで、私たちと常に共にいてくださるのです。
 私たちの日々の中に嵐が突然襲ってくる時があるでしょう。今日は3月11日ですが、7年前に東日本大震災が起きた日です。阪神淡路大震災を体験した私達ですが、その瞬間まで、大震災が起こるとは夢にも思わなかったのです。一瞬のうちに家族や友人を亡くし、家を無くし、住む所も何もかも変えていかなければならない人々が数知れずおられるのです。今もなおその傷は残されています。
 2年前には、熊本の大震災があり、大雨の被害がありと、いつ何時何があるかわからいのが人生です。
 いつ何があっても、主イエスは私たちの人生という舟に乗っておられることを忘れてはなりません。主イエスが共におられるなら、嵐はたちどころに凪に変えられるのです。
 人は恐怖を抱くものです。弟子たちは湖に沈むのが恐ろしかったのです。主イエスが与えて下さるのは、恐れからの解放です。主イエスがおられるところには平安があるのです。
新約聖書の難破船で有名な記事は、使徒言行録にある使徒パウロがローマへローマ皇帝に上訴するために出かけていった船旅での出来事です。カイサリアから乗船してローマへと向かったのですが、当時の船旅は危険と隣り合わせで、季節の風を誤ると航海は難しかったのです。ミラという所で船を乗り換えたのですが、向かい風のために船は進みませんでした。やっとクレタ島の「良い港」にたどり着き、季節的に航海は危険なので、パウロはここにとどまることを提案したのですが、パウロを護送する百人隊長はパウロの言う事よりも船長や船主の言う事を信用して、同じ島のフェニクスという港まで行って冬を越すことにしたのです。それほど離れていない場所への航海でしたが、間もなく暴風雨になってしまい、船は流されるままになり、積み荷を投げ捨てなければならないような状況になってしまいました。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとした」(使徒27:20)とあります。航海中の暴風ほど恐ろしいものはありません。今にも海の藻屑となってしまいそうなのです。助かる望みがないという状況になってしまいました。
そのような状況の中パウロは、「今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使徒27:22−26)と語って人々を励ましたのです。
14日間も漂流して食べる事もしなかった人々は276人であったとあります。パウロはその人々を元気づけ、食事をさせ、「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(使徒27:34)と励まし続けました。
パウロは絶望的な状況の中であっても、神が共におられて必ずローマへ到着できることを確信したのです。これがパウロの信仰でした。
その後、船は浅瀬に乗り上げて壊れたのですが、人々は泳いでマルタ島に上陸し、パウロが語ったとおり、だれもが助かったのです。
3か月後、この島にとどまっていたアレクサンドリアの船に乗って出航し、シチリアのシラクサ経由ローマに無事到着することができました。
恐ろしい状況の中でもパウロは必ず助かることを確信していました。決して失望することはありませんでした。
湖を渡る小さな船でも、外洋を航海する大型船でも、真の神が共にいてくださるなら、どのような危険からも守られて目的地に到着することができるのです。
真の神が共におられるとき、「髪の毛一本損なわれない」という事を体験することができるのです。
人生の暴風雨に巻き込まれて苦しむ時、主イエスが同じ舟におられることを忘れてはなりません。「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」と語ってくださるのです。誰にも奪う事の出来ない平安を与えて下さるお方なのです。さらに、「わたしがいるのになぜ、こわがるのか、あなたの信仰はどこにあるのか」とも言われるのです。
弟子たちは嵐が静められた後に、「いったいこの方はどなただろう」と顔を見合わせて語り合いました。
この方こそ、真の救い主、人生の主、罪の贖い主、生きておられる神であるイエス・キリストです。
「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので波はおさまった。彼らは波が静まったので喜び祝い望みの港に導かれて行った」(詩編107:28−30)
主は、神羅万象を治められ、私達の人生の主となられて、その望む港、目的地に導いて下さるとお方です。
この世の航海は大きな波の連続かもしれません。しかし、主イエスが導き続けてくださり、心の中の大嵐さえ凪に変えて下さるお方なのです。
ヤコブの手紙5章13節に、「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい」とあります。祈る、即ち主ご自身に助けを求めるなら、主イエスは答えてくださるのです。苦しみにあったことによって主イエスが生きておられる神であることを体験し、その御名を崇めることができます。嵐に遭ったことで主イエスを体験し、それが証となります。
そして、すべてが益とされ、さらに主の栄光が満ち溢れるのです。
人生を嘆いてはなりません。苦しみを厭う事があってはなりません。
どのような苦しみも、悲しみも、主は涙を拭って励まして下さり、決して無駄になることはないのです。
常に共におられ、同じ舟に乗って下さる救い主を求めて生きましょう。


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