阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年5月13日
母の日礼拝メッセージ
信仰の家庭
Uテモテ1章3-7節

 パウロは、エフェソ教会で福音のために働いている、若い伝道者テモテに手紙を送りました。パウロは第二回目の伝道旅行の時、リストラという町でテモテと出会い、伝道旅行に同行させました。
フィリピ、コロサイ、テサロニケのそれぞれの教会あての手紙、フィレモンへの手紙の冒頭には、パウロと同時にテモテの名前が記されています。パウロと共にいつも福音のために働いた弟子でした。パウロはテモテを「信仰によるまことの子テモテ」(Tテモテ1:2)、「愛する子テモテ」(Uテモテ1:2)と呼んでいて、大変信頼し、しばしば必要のある教会に派遣しました。
パウロはこの手紙を書いた時、ローマの獄中にあったと思われ、自分が世を去る時が近づいたことを予感していました。
愛弟子テモテにどうしても伝えておかなければならない事を記して送った、最後の手紙であり、いわば遺言状のような手紙でした。
それは、テモテだけではなく、主イエスの十字架によって罪を贖われ、永遠の命を頂いたすべての人に対する励ましと勧めであることを知ることが出来ます。
長い間パウロとともに福音のために働いてきたテモテですが、彼はエフェソの教会を守るようになりました。
パウロは、暗い牢獄にいましたが、テモテのために「昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし・・・」(1:3)神に感謝しているとあります。また、「わたしは、あなたの涙を忘れることが出来ず」(1:4)ともあります。
テモテはパウロと別れる時に、涙を流したのかもしれません。長い間苦楽を共にし、自分を導いてくれたパウロと別れる寂しさと、もしかしたらこれが地上での別れかと、涙を流したのです。パウロはそれを忘れる事が出来ませんでした。
テモテは、この手紙を受け取り、自分のために祈り続けてくれているパウロがいるという事を改めて心に留める事が出来ました。また、パウロも捕らわれの身であっても、祈るというというすばらしい働きを続けていました。
祈りは境遇や、距離、時間を超えて神に届くものです。真剣な執り成しは必ず聞き届けられるのです。
主イエスが、私たちのために祈り、執り成してくださっていることを知っているでしょうか。私たちの弱さや罪深さを知っておられて常に執成して下さっています。
「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(ヘブライ7:25)
主イエスは、私たちの涙をご存じであり、執り成され、完全に救って下さるお方です。十字架によって完全な救いを頂いたことを心から感謝します。
パウロは、ぜひテモテに会って喜びに満たされたいとも書きました。(4:9以下)パウロにもう時間はありません。パウロは手紙の最後に急いでトロアスに置いてきた外套と、書物、羊皮紙に書かれた旧約聖書を持って、冬になる前に来てほしいとテモテに願っています。
テモテがパウロのもとに行けたかどうかはわかりません。もし、パウロに会う事が出来なかったとしても、やがて、主イエスのみもとで再会し、喜びで満たされるのです。永遠の命の喜び、天の御国の喜びです。パウロもテモテもどのような働きに励んだのでしょうか。「キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝える」(1:1)事でした。
主イエスを信じ、従う者は、永遠の命の中に生かされる、これが福音です。
テモテは、ユダヤ人の母親とギリシャ人の父親を両親に持っていました。そして、リストラとイコニオンの信者の中で大変に評判の良い人でした。好意をもって受け入れられていた人でした。
ペンテコステの日に聖霊が注がれ、信じる者の群れがおこされて、教会が建て上げられました。救われた者は、共に集まり、礼拝をささげ、喜びをもって賛美し、主イエスにある交わりを続けました。その姿に、民衆全体は好意を持ち、日々救われる者が加えられたのです。主イエスを中心とした聖霊による麗しい交わりは、多くの人々の心を捉えるのです。
テモテはどのような信仰をもっていたのでしょうか。1章5節には、「純粋な信仰」とあります。二心のない混ぜ物のない信仰です。このような信仰は、愛をもたらす信仰であるとあります。(Tテモテ1:5)
愛を実とする信仰こそが、純粋な信仰なのです。
このような信仰はどのように育まれたのでしょうか。使徒言行録16章のテモテは、すでに「弟子」であったとあります。信仰をもっていました。パウロはテモテの偽りのない信仰を思い起こして感謝しているのです。このような信仰はテモテの家庭で養われました。純粋な信仰は、「まず、あなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています」(Uテモテ1:5)とあります。おばあさんと、おかあさんの名前が記録されて、その信仰が称賛されています。
パウロの第一回目の伝道旅行の折、イコニオンや、リストラでも大変な迫害を受けながら伝道をしました。リストラで生まれつき足の不自由な人を癒したことから、リストラの人々はパウロとバルナバをギリシャ神話の神々、ゼウスとヘルメスと思い込み、礼拝と犠牲をささげようとしました。異教が浸透していたのです。驚いた二人は、「わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です」(使徒14:15)と言って真の神を伝えました。
やっとの思いで群衆が犠牲をささげるのを止めさせたのですが、ユダヤ人たちがイコニオンやアンティオケアからやって来て、パウロに石を投げつけて、死んでしまったと思って町の外に引きずり出したのです。そのような大変な迫害の中にも信じる者たちがおこされ、ロイスとエウニケも信仰に導かれました。パウロは帰りにもリストラやイコニオンを訪れ、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ましました。テモテの家は、一歩も退かない信仰に生きた家族、家庭であったのです。
私たちの家庭の中には主イエスがおられます、主イエスを中心にお迎えしている家庭である事、これこそが第一の事となります。
父親や母親の祈る姿を見て育つ子供は幸いです。日々家庭で信仰の言葉を聞くことができる子供は幸いです。
主イエスの愛と十字架の愛の御業を聞くことが出来る子供は幸いです。この世でどのように素晴らしいと思われるものを受けても、永遠の命がなければ空しいのです。
テモテが祈られていたように、わたしたちも夜も昼も祈られています。
主イエスによって永遠の命が与えられています。主イエスによって純粋な信仰が与えられています。ですから、再び神の賜物を燃え立たせるようにとあります。いつも燃え上がっているようにと勧められています、
神の聖霊は、「おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊」です。
神の御霊は、私たちの内に働いて下さり、迫害されても、物事がうまく進まなくても、命が脅かされても、臆する事なく、神の力に満たされ、愛に満たされ、何が正しい事なのか、何が神の御心かをわきまえられる様に、整えて下さいます。人に、家庭に本当に必要なものはイエス・キリストによる救いであり、永遠の命であることを思い起こしましょう。それはなくてならぬ唯一のものです。
今日は母の日です。家庭の中で父親が執り成しの祈りをし、母親が執り成し、また、子である者が執り成しして祈り合う家庭であるなら、麗しい愛の実を結ぶことができます。そして、その家庭から地域へ、職場へ学びの場へと、聖霊の働きが広がっていきます。まさに信仰の家庭はテモテを送り出したように、主イエスの御業に用いられ、多くの実を豊かに結びます。


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