阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年5月20日
ペンテコステ礼拝メッセージ 
力を受けて
使徒1章6-9節

 主イエスが復活されて昇天される時、弟子たちにエルサレムを離れないで、父なる神が約束された聖霊を待ち望むようにと、教えてくださいました。
主イエスが復活された後も、弟子たちの思いはイスラエルの国の復興という事でした。主イエスがローマ帝国の支配と圧政から救ってくれると期待したのです。ですから、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(使徒1:6)と質問しました。
神が選び、宝の民として下さった選民イスラエルが、いつまでも他国の支配のもとにあってはならないという強い思いがあったのです。
しかし、主イエスは、「父なる神が主権によってお定めになることは、あなたがたの知るところではない」という事と、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)というお言葉を与えて下さいました。そして、弟子たちの目の前で昇天されたのです。天使たちによって、主の来臨の約束があたえられました。
弟子たちは、主イエスの御言葉に従い、集まって心を合わせて祈り、待ち望みました。「主の復活の証人」(使徒1:22)となるべき者として、イスカリオテのユダの後任としてマティアが選ばれました。
五旬祭(ペンテコステ)の日にも、一同は集まり祈りを続けていました。この祭りは、過越の祭りの安息日から数えて50日目におこなわれるので、ペンテコステ(50)と呼ばれたのです。
主イエスは、弟子たちに「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)とお命じになりました。
当時の律法学者や、ファリサイ派の人々などは、ペトロたちを「無学な普通の人」(使徒4:13)と呼びましたが、弟子たちはペンテコステの出来事の後から大胆に主の証人として働き始めます。
ペンテコステの日に一同が集まり祈っていると、不思議な事が起こりました。激しい風のような音と共に、炎のような舌が一人一人の上にとどまったのです。
聖霊が臨まれ、聖霊に満たされた弟子たちは異言で語り始めました。
この出来事に驚いて大勢の人々が集まってきたのですが、何が起きたのか理解できずに、「新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざける者もいました。
 そこで使徒ペトロと11人が立ち上がり、ペトロは大きな声でこの出来事はヨエル書の成就であって、神からの聖霊が注がれたのであり、信じる者は誰でも救われるというすばらしい神のご計画が実現した事を語りました。主イエスの十字架の死と復活について、「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは今このことを見聞きしているのです」(使徒12:32,33)と大胆に語りました。
人々は心を打たれて、「わたしたちはどうしたらよいのですか」と聞きました。ペトロは、「悔い改めなさい。罪を赦していただきなさい。バプテスマをうけて祈ること、そうすれば聖霊に満たされます」と教えました。主イエスを救い主と信じ、主の十字架の死と復活を受け入れる者は誰でも救われると教えたのです。これが福音です。
しかも、この素晴らしい救いの教えは、「あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられてきるものなのです」(使徒2:39)と、ユダヤ人だけではなく、すべての国々に、すべての人々にもたらされたものであると力強く証ししました。
 その日に3千人ほどの人々がバプテスマを受けて教会を形成しました。彼らは「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2:42)とあります。
主イエスは、かねてより弟子たちに聖霊が与えられることをお話になっておられました。ご自分は去っていかれますが、決して孤児(みなしご)にはしないと約束されました。弁護者である真理の御霊を与えて下さり、永遠に共におられる方として教えてくださいました。(ヨハネ14:16,17)父、御子、聖霊の三位一体の神である聖霊が遣わされて、弁護者、すなわち慰め主、助け主、として、永遠に共にいて下さるという約束です。この方は、主イエスを証して下さり、主イエスの御言葉をことごとく思い起こさせて下さるのです。
 主イエスを信じる者に聖霊は宿って下さいます。主イエスを受け入れた者は、「聖霊が宿ってくださる神殿」(Tコリント6:19)であるとあります。聖霊は、信じる者の内に内住されるのです。ですから、自分の体で神の栄光を現わすようにと勧められています。
聖霊は、主イエスの御言葉をいつも思い起こさせ、悟らせ、正しい道に導かれるお方です。罪を示し、悔い改めに導かれるお方です。聖霊によって、主イエスの平安と喜びに満たされ続ける事ができます。
さらに信じる者は、聖霊に浸され、溢れる聖霊のバプテスマが約束されました。
 聖霊は力の神です。人は、神の栄光を現わすために創造されました。
「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らなければならない」(イザヤ43:21)人は、創造主である神の素晴らしさ、その愛、救いの尊さをどのように語るのでしょうか。
主イエスが棕櫚の聖日にエルサレムにお入りになって、人々に「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」(ヨハネ12:35)と教えられました。この時、議員である者の中にも、主イエスは確かにメシアであると信じる者が多かったのです。しかし、ファリサイ派をはばかり、公に信仰を告白することが出来ませんでした。なぜなら、神の誉よりも人の誉を好んだからだとあります。神の栄誉を語るよりも、自分の栄誉を無くしたくないと思ったのです。主イエスに対する信仰を言い表す勇気がありませんでした。人は、時に正しい事とわかっていても、従えないような弱さを持ちます。主イエスを信じたいと思っても、立場や人の目を気にして告白できない人も多くいるのではないでしょうか。
私たちは、そのような人々に、主イエスの復活の証人として遣わされていきます。信仰と勇気が必要です。それは、人の力で持つことができるものではありません。
弁護者、助け主、慰め主である聖霊に満たされ、力を受ける時、勇気と確信を持って主イエスを伝える事が出来ます。ペンテコステの力です。
この力は特別な人に与えられるのではありません。学んで得られるものでもありません。もうすでに聖霊は注がれているのです。神の一方的な愛によって聖霊が臨まれているのです。
私たちには、復活の証人となるための救いと力がすでに与えられています。もし、一人が主イエスを信じて神の許に立ち帰ることが出来るなら、「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」また、「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある(ルカ15:7、10)と主イエスは言われたのです。天において大きな喜びの声が沸き上がるのです。
キリストの証人、復活の証人とは、キリストご自身を体験として知り、その方を証しすることです。生きておられるキリストを聖霊は現わして下さいます。私たちは聖霊に満たされて、主イエスの救いがどんなにすばらしい事かを証しするために用いられるのです。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。」(エフェソ4:30)また、「“霊”の火を消してはいけません」(Tテサロニケ5:19)とあります。聖霊の満たしを求め続け、御心にしたがってキリストを証しし続ける事。これが聖霊の火を燃えたたせていくことになります。
聖霊の力によって主の復活の証人として用いられましょう。



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