阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年5月27日
賛美と感謝
コロサイ3章12-17節

 祈り備えて来たゴスペルコンサートの日になりました。
言うまでもなくゴスペルとは、福音であり、福音はイエス・キリストご自身を指します。
先日のイギリスのロイヤルウエディングで、アメリカのゴスペルグループが、「スタンドバイミー」という1961年のポピュラーソングを歌いました。この歌は、1980年代に作られた同名の映画に使われて再びヒットしました。有名なゴスペルグループが歌ったので、伝統ある王室の結婚式でゴスペルが歌われたと報道されていますが、ゴスペルグループがヒット曲をゴスペル風に歌ったのです。私のそばにいてくださいといった意味の歌で、結婚式にふさわしい曲なのでしょうが、神を褒め称えるゴスペルではありません。
結婚式が全世界に配信されたので、これがゴスペルだと思った人も多いかもしれません。また、さまざまなゴスペルグループもこの歌を歌っているようです。
ゴスペルという言葉があいまいに使われている中で、私たちはしっかりと信仰に立ち、救い主である真の神を賛美するという目的を忘れてはなりません。
パウロは、コロサイの信徒たちへ、「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺らぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました」(コロサイ1:21−23)と書き送りました。
主イエスの十字架の贖いにより、信じる者は誰でも罪赦され、神との和解がもたらされ、永遠の命に生かされる、これが福音の希望です。
かつては罪の中に滅びの道を進んでいた者が、イエス・キリストにより、永遠の救いを頂くことができた、これが神がもたらされた福音です。
その救いの喜び、感謝が、神にささげられ、神ご自身の偉大さ、素晴らしさを賛美する歌がゴスペルソングです。
救われた者は、「神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている」のです。(コロサイ3:12)ですから、「憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(3:12)また、主イエスがすべての罪を赦して下さったように、互いに赦し合うことが教えられています。
さらに、「愛を身に着けなさい」(3:14)と勧めています。
人には、神の愛、アガペーはありませんでした。人が持っている愛は、エロスの愛です。
 これは、自分の思いを満たすために求めていく愛です。自分中心になってしまう愛なのです。神の愛は、与える愛です。自分の思いを満たすのではなく、命を与える愛がアガペーです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)これがアガペーであって、信仰の成長とは、この愛を身に着けて行くことと言えます。
神の愛と平和に満たされること、これは救われた者の持つ特権です。
キリストの平和とは、誰も奪い去ることのできない平和です。神の国は、喜びと平和と義に支配されています。
さらに、いつも感謝することと、キリストの言葉を豊かに宿らせることが勧められています。
ヤコブの手紙には、「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい」(ヤコブ1:21,22)とあり、御言葉を聞くだけで行う事がなければその信仰は空しいと教えています。信仰の成長はありません。
キリストの言葉を豊かに宿らせるなら、御言葉を生きる事が最大の喜びになるのです。
キリストを中心とした交わりの中で、「知恵を尽くして互いに教え、諭し合い」とあります。「互いに教え、諭し合い」とあるように、主イエス中心にした交わりは、知恵の限りに御言葉を教え合う、諭し合うこと考えられます。リーダーは聖霊です。うるわしい霊の交わりの中に御言葉を分かち合い、その恵みを褒め称えることができるのです。
「詩編と賛歌と霊的な歌」によって、感謝して心から神をほめたたえること、これがゴスペルソングです。
詩編は文字通り詩編を歌いました。賛歌は神を褒め称える賛美歌であり、また聖霊の感動をもって信仰の賛美をささげ、「感謝して心から神をほめたたえなさい」(3:16)とあります。詩編と賛歌と霊的な歌と3種類の歌に分かれているのではなく、それぞれが神をほめたたえる歌なのです。ゴスペルソングなのです。
感謝して心から神を褒め称えるこそがゴスペルなのです。
主イエスを信じ従う者は、「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(3:17)と勧めがなされていることを覚えましょう。
口の言葉と行い、生活のすべてを主イエスの名によって行う事、これは、自分の全てをもって主イエスを現わしていくことです。主イエスの名によって生かされ、主イエスを現わす信仰生活であるという事なのです。すべてを主イエスの名によって父なる神に感謝する生活こそ、神の栄光を現わす信仰なのです。
主イエスの十字架の血潮により、心と唇を清められ、心からの感謝をもって、神を褒め称えること、これがクリスチャンの日々の生活であり、ゴスペルであることを覚えましょう。
今日のコンサートの中に、主イエスの臨在が豊かに現れ、感謝をもって賛美がささげられ、救いの御業があるよう、ゴスペル、福音が魂に届くように祈りましょう。


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