阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年6月3日
収穫の時
マルコ4章26-29節

 先週は幸いなゴスペルコンサートを行う事ができました。
来会記名者は22名、アンケートに記入された方は、21名、アンケート記名は14名でした。イエス・キリストを受け入れたいと記入された方が1名おられました。
 福音を伝えるためのコンサートである事を覚えて、心を合わせて一つになり、祈り、魂のために執り成しつつ、伝道したことの結果であると感謝します。
 さらに来会されたお一人一人の確実な救いを祈り、フォローを続けて行きたいと思います。また、GGCが、ゴスペルソングを通して、さらに用いられるように祈っていきましょう。
 教会に賛美が満ち溢れ、喜びと平安の中に主イエスを中心として交わりがなされ、御言葉が語られ、素直な心で御言葉を受け入れるなら、救いの御業が起こされます。聖霊の働きを期待しましょう。
 さて、今日は蒔かれた種が収穫に至るという御言葉を聞きたいと思います。主イエスは、「神の国」についてお語り下さいました。
「人が種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」(マルコ4:27)とお教えになりました。イスラエルは温暖な国なので、春と秋に収穫の時を迎えることが出来ました。
 春には、大麦や小麦、秋には果物を収穫したのです。
秋の雨が降り、大地が潤された時に、種を蒔きます。収穫の前に春の雨が降って刈り入れの時を持つのです。
 主イエスは度々種まきの例えを話されました。大麦や小麦の種を蒔くことを思いながら話された事だと思います。
大地が潤されて種を蒔く。人が寝起きしているうちに種は芽をだして成長します。寝起きしてとありますが、人が何もしないという事ではなく、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Tコリント3:6)とあるように、植えたり、水を注いだりして懸命に作物の世話を欠かすことはありません。しかし、種が土の中でどのように成長していくのかは、人にはわかりません。わかるのは、「成長させて下さったのは神です」(Tコリント3:7)という事です。さらに「大切なのは、成長させて下さる神」であり、私たちは神のために力を合わせて働くである者ということなのです。
 私たちが蒔く種は、生ける種、福音の種であり、イエス・キリストというお方です。
種は蒔かなければ何も起きません。蒔かないのに、花が咲いたり、作物が実ることはありません。自分が蒔いたのではなくても、だれかが蒔いたものを刈り取ることはあるかもしれません。
 父なる神は、人が救われることに最大の関心をお持ちになり、またそれが御心です。そして、人は福音を聞き、信じる事によってのみ救われるのです。ほかの方法によっての救いはありません。
旧約聖書にヨナ書という預言書があります。日曜学校へ行ったことがある人は、だれもが知っている聖書の箇所です。
 主は、ヨナにアッシリアの都、二ネべに行き、神の言葉を語るようにと示されました。アッシリアは外国であり、いくら叫んでも悔い改めるとは思えませんでした。ヨナはかえって害を与えられると恐れ、タルシシ行の船にのって逃れていきました。ところが大嵐になり、船は砕けて沈みそうになりました。ヨナは船の人々から主から逃げてきたことが災いの原因とされて、海に投げ込まれてしまいました。
 主は、大きな魚を遣わして、ヨナを飲み込ませました。
ヨナは魚のお腹の中でしっかりと悔い改め、祈りをささげる事ができました。
「苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府(よみ)の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。・・・救いは、主にこそある」(ヨナ2:3、10)主が命じられると魚はヨナを陸地に吐き出しました。
 ヨナは二ネべに行き、神の言葉を大きな声で叫び、伝えました。二ネべの人々にとって聞きづらい事であっても、神の言葉を間違いなく伝えたのです。それは、「あと40日すれば、二ネべの都は滅びる」というメッセージでした。このことはヨナによる神の言葉の種まきでした。
 この神の御言葉が蒔かれた時、どのような事がおこったのでしょうか。
二ネべの人々は、悔い改めたのです。二ネべの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとったとあります。
二ネべの王が、この神の言葉を聞くと、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に坐し、とあります。
王は人も家畜も断食し、粗布をまとい各々が悪の道を離れ、その手から不法を捨てよと命じました。徹底的に悔い改める事を布告したのです。
イザヤ書55章には、「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば豊かに許してくださる」(55:6−7)とある通りの事が二ネべで起こったのです。
ヨナの叫ぶ声に、王から身分の低い者まで、真の神を信じ、悔い改めて、生き方を変え、滅びから救われました。
 ヨナは二ネべで用いられたことを感謝したのでしょうか。二ネべが救われたことに対して大きな不満を神に告げました。
「あなたは、恵みと憐みの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」と神に語り、生きているよりも死ぬ方がましです。と不満をぶつけました。
アッシリアが救いに預かるなど、神の言葉を叫びながら、ヨナには受け入れられないことでした。人の心の弱さと狭さが表されています。
頑ななヨナに、神はとうごまの木で日陰を造って下さいました。ヨナはこの日陰を大変喜びましたが、神は一夜にして枯れさせてしまいました。ヨナは照り付ける暑さにぐったりとなり、神に生きているより死ぬ方がましだと訴えました。神は「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」(ヨナ4:10−11)と教えてくださいました。ヨナは神の御心がやっとわかったと思います。
神によって大きく用いられたのです。
ヨナは救いの種を蒔き、人々は受け入れ、救われました。種が蒔かれなければ救いはありませんでした。
 人の心を変えて下さるのは、神と、神の御言葉によります。蒔かれた種がどのようにして芽生えるのか、成長するのか私たちにはわかりません。神のお働きなのです。豊かな実が実り、熟すると刈り取りの時が来ます。福音を蒔き、忍耐して手入れを怠りなく続けると、刈り入れの時がきます。ためらわずに鎌を入れるのです。
人を救う種はどのようにして持つことが出来るのでしょうか。「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させて下さいます」(Uコリント9:10)とあります。
 神は、種を蒔く人に種を与えて、増やし、その種が結ぶ実を成長させて下さると約束してくださいました。それは、慈しみが実らせる実です。
神の愛の種を慈しみをもって蒔いて行くときに、やがて刈り取りの喜びの時を迎えるのです。
 ヨナは自分の働きの結果を最初は喜びませんでした。しかし、後になって神の前に恐れおののきながら悔い改めたのではないでしょうか。
感謝しながら種を蒔き、その実が成長し、救われることを固く信じて、御業を待ち望みましょう。「種を与えてください、ますます蒔くことができますように」と日々祈りましょう。
神の同労者として用いられることを感謝しましょう。
豊かな祝福の中にあることを心から感謝しましょう。
わたしたちが福音の種を、イエスキリストを蒔くことによって、大きな救いの喜びの声が挙げられることを信じましょう。


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