阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年7月1日
救いを受け継ぐ
ヘブライ11章7節

 今日から7月になって、今年も後半に入りました。今日まで守られてきたことを心から感謝します。日々、主の訓練を受けながら、主イエスを仰ぎ見ながら進んで行きましょう。
ヘブライ11章は信仰の章と呼ばれています。旧約聖書に登場する人々の名が、大勢挙げられています。
最初の人、アダムの子カインとアベルの名が4節にあります。創世記を読んで、なぜアベルは受け入れられ、カインは退けられたのかと首をかしげる人もあるのではないかと思います。
ヘブライ11章を読むと答えがありました。それは、アベルは信仰によって優れたいけにえを神にささげ、その信仰によって受け入れられたとあるのです。カインは地の作物を、アベルは羊の初子、それも肥えた初子を献げたと創世記4章にあります。献げものの種類が違うからという説がありますが、神が問われたのは、地の作物だからだとか、羊だからではなく、献げものをする人の信仰をであったということがわかります。
カインは、地の作物ができたことを感謝しましたが、それを自分自身を献げる思いで献げることができませんでした。無頓着に、献げておけばよいと思っていたのです。アベルは、自分の群れの中から肥えた初子を注意深く選び、自分を献げる思いで信仰をもって神に献げました。
神は心をご覧になる方です。ローマ人への手紙12章1節には、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」とあるように、礼拝は神に自分自身を献げることであって、アベルは神に心からの礼拝をささげました。
さて、ノアの出来事は、創世記6章以下にあります。
地上に人々が増え始めたのですが、人が心の中で悪い事ばかり考え、罪によって地が覆われてしまったことに神は心を痛められました。そして、大水を起こすことをノアに告げられたのです。
アダムとエバの時から罪が世に入り、人は罪を持って生まれてくるようになりました。常に悪い事ばかり考えるとは、自分の利益ばかり考え、人はどうなってもかまわないという心の事です。
自分の欲を満たすためには、人が死のうと生きようとまったくかまわないのです。それは、ノアの時だけではありません。依然として今もそのような世の中であることに変わりはありません。
ノアはどのような人だったのでしょうか。「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」(創世記6:9)とあります。
世の中にどれほど罪がはびこっても、ノアの心は神にむけられていて、世の中と妥協することはありませんでした。
ある日、ノアに神は地は罪のために滅びるが、箱舟を造るようにとお語りになりました。神は詳細な作り方とサイズを告げられ、ノアは、「すべて神が命じられたように果たした」(創世記6:22)のです。
ノアの信仰は、神がお語りになったことをそのまま信じて従う事でした。
いきなり箱舟を造れと言われても、それは大変な事でした。神が教えて下さった箱舟の大きさは、長さが120mから160mくらい、幅は21mから26mくらい、高さは13mから16メートルくらいで、船の中も細かく指示されています。クレーンもない時代、働くのはノアと、息子3名です。3階建ての船をもくもくと、また延々と作るため働かなくてはなりませんでした。
気の遠くなるような作業でも、ノアは、神の言葉に疑問を挟まず、不平や不満を口にすることはありませんでした。いったい、いつ大雨が降るのか、いったい、それは本当なのかなどと疑う事をしませんでした。
それは、ヘブライ11章にあるアブラハムの信仰に共通することでもありました。アブラハムは、約束の子が与えられるのを待ち望みました。アブラハムの子孫は、空の星のように、海辺の砂のようになり、多くの国民の父となるという神の約束を信じました。アブラハムは100歳になり、妻のサラも90歳になって、子が与えられるなど考えられないような年であり、状況になっていました。しかし、「約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。」(ヘブライ11:11)とあるのです。神が約束されたら、必ずそれは実現すると信じたのです。
ノアもそうでした。神の言葉は真実だと信じていたのです。神を信じる事は、神を恐れかしこむことです。神の言葉をいい加減にするなら、恐れかしこむこととはまったく遠いことになります。不敬虔ということです。
箱舟が完成してから、神はノアに家族と共に、また、動物と共に箱舟に入るように言われました。この時も、ノアは神の命じられるようにしました。(創世記7:5)
箱舟の戸は、神が閉じられたとあります。「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」(創世記7:16)箱舟の戸を閉じたのはノアではありません。主の手が戸を閉じられたのです。
ノアはどのくらいの年月を掛けて箱舟を完成させたのでしょうか。
120年とか100年とかいわれているのです。それくらいはかかったでしょう。創世記のこの時代、人はとてつもなく長生きでした。
ノアは950歳で死んだとあります。(創世記9:28)ちなみにアブラハムの生涯は175年であるとあります。(創世記25:7)
ヤコブの子、エジプトに売られたヨセフのころから今と同じくらいの寿命になっているようです。それでもヨセフは110歳の生涯ですから長生きといえます。(創世記50:26)
ノアの時代の人々にとっても、100年、120年はかなり長い期間です。箱舟を完成させる間に、ノアと同じように神に聞き従い、恐れかしこむ人はいなかったのでしょうか。ノアと息子たちが、何か大きなものを作っていることは多くの人が見聞きしたはずです。
ノアに、そのわけを聞いた人もあったはずです。ノアは神が語られた
言葉を伝えたでしょう。
やがて大水が地を滅ぼす、早く悔い改めて神に従えと語ったはずです。
100年も120年も助かることのできる時間があったのです。しかし、箱舟に入った人間は、ノアと、その家族だけでした。
主イエスはノアの出来事に言及しておられます。
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、天の父だけがご存知である。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだりしていた。そうして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった」(マタイ24:38)
主イエスが再び来られる時、ちょうどノアの時と同じようだと言われたのです。人々は日常の生活に心を寄せ、主イエスが来られることなど忘れていた。人々は日常生活に明け暮れていた。しかし、その時は来たのです。ですから、信仰の目を開き、眠っていないようにと主は教えられたのです。思いがけない時主イエスが来られる、その時眠っていないようにと教えておられます。
悔い改める時は十分に与えられていました。今も恵みの時、救いの日が続いています。救いの箱舟に誰でも入れます。
ノアの信仰は家族の救いの為であり、また、ノアの信仰は「世界を罪に定めた」ともあります。それは、ノアは信仰によって救いをうけましたが、その信仰は信じない人々の罪を明らかにするものでもありました。
救いの時が与えられていたのに、救いを受けなかったことを表します。
ノアは信仰によって義とされ、またその義を受け継ぐものとしての働きを担ったのです。
今、だれでも招き入れられる救いの船の戸は、大きく開かれています。主イエスキリストを救い主として信じ、受け入れるなら、永遠の救いにあずかることのできる素晴らしい救いの時です。
やがて神の手によって戸が締められるのです。私たちは大きな声で救いを告げるのです。神の義と恵みを受け継ぐものとして、大きな声で救いを叫びましょう。信仰は聞くことから、キリストの言葉を恐れかしこみ聞くことから始まるのです。


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