阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年8月26日
救いのために
使徒16章25−34節

 パウロは、第二回目の伝道旅行で、初めてヨーロッパへと導かれました。トロアスで、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と願うマケドニア人の幻をみました。
パウロとシラスは、直ちにマケドニアへと渡って行きました。「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(使徒16:10)確かな確信を得ました。
パウロたちはアジアで伝道しようとしたのですが、聖霊にとどめられていました。それはマケドニア伝道の為だったのです。
私たちも進もうと思う道が閉ざされるような時がありますが、主イエスには御計画があることを思い、とどまって良く祈ることが大切です。
伝道は、聖霊の御業で、聖霊は先々導いて用いてくださいます。
マケドニアのフィリッピで、パウロはさまざまな人に出会います。
最初に川べの祈り場で出会ったのは、紫布の商人、リディアでした。紫布は、ある種の貝から取れる染料で染め上げる布で、非常に高価でした。王侯貴族の権威をあらわす布なので、一般の人が使用することはありませんでした。その特別な布を扱う商人であったリディアは、裕福な上流階級の婦人でした。
リディアは、神を崇める人であったので、パウロの話を注意深く聞き、さっそく心が開かれ、信仰を持ち、家族と共に洗礼をうけました。そして、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊り下さい」(使徒16:15)とパウロたちを招待しました。
次に出会ったのは、占いの霊に取りつかれている婦人の奴隷でした。
この奴隷は、人々の求めに応じて占いをして、主人に多額な利益をもたらしていました。パウロたちに付きまとい、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」(使徒16:17)と、幾日も叫び続けました。この奴隷の言っている事は正しいのですが、パウロは、御霊の働きではない、異なる霊、悪霊の口からでる言葉であることが分かっていました。
この奴隷の叫ぶ声で人々が集まって来ても、伝道の妨げになるだけであることが分かっていたのです。
昔も今も世の人々は、お金を払ってでも将来の事や、幸、不幸などの原因などを知りたいと占いに心を引かれるのですが、聖書ははっきりと禁じています。
申命記18章9節以下には、イスラエルが約束の地に入ったら、その国の「いとうべき習慣」を見習ってはならないとあります。占いや口寄せ、そのたぐいのものを主は嫌われるのです。「あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者(ぼくしゃ)や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない」(申命記18:13)と、お命じになりました。
パウロは、叫び続ける奴隷に困り果て、とうとう「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(使徒16:18)と命じると、たちどころに癒されたのです。解放され癒されたのです。
この女性がその後どのようになったのか、聖書は記していませんが、もう占うことはできませんでした。
ところが、主人たちは自分たちの利益を得る道が無くなってしまったので、憤然として、パウロたちを訴え、役人に引き渡しました。
役人は、パウロとシラスを捕らえて何度も鞭打ち、牢に投げ込み、一番奥の牢に足かせをかけて閉じ込めたのです。逃亡を防ぐためでした。
ローマの鞭打ちは残酷な拷問で、死に至るようなこともありました。40回打ったら死んでしまうので、40に一つ足りない39回で終わらせるのでした。ローマ市民には鞭打ってはならないという決まりがあったのです。
主イエスの導きを信じてマケドニアに渡って来たのに、さっそく迫害のただ中に入れられてしまいました。
パウロたちは、落胆したのでしょうか。パウロはコリントUの手紙で40に1つ足りない鞭を受けたことが5度あると記しています。(Uコリント11:23)
しかし、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない」(Uコリント4:8)と、イエスの命がこの体に表されるための苦難だと記しました。
痛む体に足枷を付けられて牢に入れられたら、人は何を思うでしょうか。早く解放されたい、傷の手当てをして欲しい。それよりも、不当に逮捕されている自分の名誉はどうなるのかなどと考えて、呻き(うめき)苦しむのではないでしょうか。
真夜中頃パウロとシラスは賛美し、祈っていました。囚人たちは、賛美に耳を傾けていました。神への心からの賛美は、人の心にも働きかけるのです。
苦しみに意味のないものはありません。必ず意味があって、神の栄光に繋がる事をパウロは知っていました。そして、いかなる時にも神を賛美し、その賛美が力となることも知っていました。
私たちは、逆境であっても、悲しみの中にあっても、試練であっても、だからこそ神を賛美する信仰を持ちたいと思います。
その後に大きな地震がありました。牢屋の戸はすべて開きました。囚人をつないでいた鎖も外れてしまいました。囚人たちは逃げようと思えば逃げられる状況でした。
驚いたのは牢屋番でした。目を覚ましていて囚人たちを見張らなければならないのに、眠っていたのです。あわてて起きたのですが、牢屋の戸が全部開いていたので、囚人は皆逃げてしまったと思い、自殺しようとしました。囚人を逃がすと死刑という厳しい決まりがあったからです。
 パウロが自害してはならない、囚人は誰一人逃げずにここにいるからと大声で伝えました。
 牢屋番は震えながらパウロとシラスの前にひれ伏して、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」(使徒16:20)と尋ねました。二人は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)と声を揃えて答えました。
真夜中にも関わらず、また、傷の手当てもしないまま、パウロたちは牢屋番とその家族全員に、イエス・キリストとその御言葉を伝えました。
その後、打ち傷を洗い、家族全員がすぐに洗礼を受けたのです。
 一晩で家族全員が主イエスを信じる者とされ、洗礼を受けたのです。
もし、パウロたちが牢屋に入らなければ、牢屋番の家族の救いはなかったかもしれません。少なくとも、この夜洗礼を受ける事はなかったでしょう。捕らえられていた囚人たちも釈放された後、この夜の不思議な出来事を心に深く留めて、求道し、救いに導かれたのではないでしょうか。
 牢屋番一家は、パウロたちに食事を振る舞い、神を信じる者になったことを心から喜びました。たった一晩で救いを受け、永遠の命を喜ぶ者にされました。
 パウロとシラスはフィリピに導かれて、富豪の商人リディアとその家族、占いの霊から解放された奴隷、牢屋番とその家族という様々な人々に出会い、福音を伝えました。
 地位も仕事も生活も異なる人々でしたが、主イエスの福音が届けられました。パウロは翌朝、釈放の通知を受けましたが、ローマ市民であることを伝え、上位の役人が釈放すべきだと伝えました。役人はローマ市民である者を鞭打ったことを詫び、町から出るようにと願いました。
パウロたちは、すでに家の教会になっていたリディアの家に行き、信仰の励ましを与えてから、フィリピを出発して伝道旅行を続けました。
 ヨーロッパに初めて福音が伝えられ、フィリピに教会が建て上げられたのです。 私たちも、福音を伝えようとすると、さまざまな妨害があるかもしれません。しかし、そこには神の不思議なご計画があり、苦しみがあっても、急転直下、救いの御業があるのです。困難を恐れずに、神が共におられることを信じ、遣わされるところで、救いを伝えましょう。家族が救われ、子供たちが救われ、さらに救いが外に向かって拡大していくために、わたしたちが今ここにあることを感謝しましょう。


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