阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年9月9日
神を信頼する
ルカ8章22-25節

 今年は、6月の大阪北部地震、平成30年7月豪雨、台風20号、
21号と、さまざまな天災とも呼べることが続きました。そして、北海道で大地震が起こりました。日本全国に大勢の被災者がおられることに、心が痛みます。
この度の台風では、関西教区の諸教会にも被害があって、特に西宮アガペー教会は、前回高潮の被害に遭い、また、今回は床上2メートルの浸水がありました。
 私たちの教会も、昨年は会堂の屋根の修理をし、今年の地震や豪雨の後、さらに雨漏りを修理しました。今回雨漏りは大丈夫でしたが、ジョンストンホールの瓦が飛んでしまいました。また、駐車スペースの波板が破れ、吹き飛び、周囲がはがれて破損しました。
停電が一昼夜続いて回復した後、火災受信機の誤作動などがあって、少しづつ修理をしていかなければなりません。
 停電、断水が続いて大変だった兄姉もおられます。しかし、守られて無事で会ったことは、何より感謝です。
 さて、主イエスは、弟子たちに「湖の向こう岸に渡ろう」と言われました。主イエスと12人の弟子が乗れる、あまり大きくない舟で向こう岸へ行くのですが、弟子の多くはガリラヤ湖の漁師でしたから、舟をこぐのには何の差しさわりもありませんでした。
 主イエスは船の中で眠っておられました。ガリラヤ湖は周囲を山に囲まれ、その海面は湖としては世界一海抜が低いのです。山から突風が吹いてくることがよくありました。
 この時も、突然突風が襲ってきました。舟は水をかぶり、危なくなってきました。漁師であった弟子たちも経験したことのないほどの恐ろしい風でした。
主イエスは眠っておられたので、あわてて主を起こして、「先生、先生、おぼれそうです」と叫ぶように言いました。必死です。「私たちがおぼれてもかまわないのですか。こんな大変な時に眠っているなんて」という思いがありました。
 主イエスは起き上がって風と波をお叱りになりました。風と湖に「黙れ。静まれ」と言われたのです。たちまち湖は凪になりました。
そして、弟子たちに、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われました。 突風が吹き荒れ、暴風雨の中、舟に乗っていたら今にも沈みそうで、本当に恐ろしかったと思います。
このような体験の中で一体何を学ぶことが出来るのでしょうか。
それは、信仰が試されるのです。すべてが順調で、何事もなく向こう岸に着いたのであれば、信仰について考える事もなかったかもしれません。
私たちの信仰は、いざというときに現れるのです。
たしかに弟子たちは、主イエスに助けを求めました。この時、本当に主イエスを信頼していたのかどうかは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」という主イエスのお言葉と、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波もしたがうではないか」(ルカ8:25)という弟子たちの言葉に答えがあります。
 弟子たちは主イエスに助けを求めました。しかし、それは本当に助けて下さるのかどうかわからないけれど、とにかくイエス様を起こして舟が沈みそうになっている事を理解してもらおうと思っていたのです。
舟が沈みそうなのに、何をのんきに寝ているのかという不満もありました。 本当に主イエスを全能の神と信じているなら、慌てる事もなく、恐れる事もなく、落ち着いて委ねたことでしょう。
私たちの生活の中でも様々な嵐に見舞われることがあります。突然やってくる天災は避けようがありません。また、試練もあります。
そのような時、自分がどのように主イエスを信じているのかがわかるのです。
 弟子たちは、不信仰でしたが、主イエスは起き上がって助けてくださいました。主イエスは、信仰がないからと言って助けを求める者を見放すことはありません。信じる前から助けて下さるお方です。
主イエスは人生の主です。一人一人にご計画をお持ちになっています。
 熱田の船頭であった音吉は、まさか自分が聖書の日本語訳に携わるなどとは思ってもみなかったと思います。1832年、千石船が遭難し、黒潮に乗って北米まで流され、苦難の末助け出されても日本には帰れず、
1837年に発行されたギュツラフのヨハネによる福音書の日本語訳に用いられたのです。音吉が助けられ、福音のために用いられたのは不思議な神のご計画でした。
 使徒言行録27章には、ローマへ向かうパウロが暴風の為に難船したという記録が記されています。船には276人の人が乗っていました。14日間もアドリア海を漂流したのですが、パウロは、「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことはそのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」(使徒27:22−26)と励ましました。
船は座礁したのですが、マルタ島に泳いで上陸することが出来て助かったのです。パウロの言葉のとおり全員が助かりました。
ガリラヤ湖での弟子たちの体験や、海嶺の船乗りたちの遭難、パウロの難船のように、実際に命が危ういような体験を私たちもするかもしれません。地震や天災はあるのです。
また、さまざまな問題で悩み、苦しみ、今にも心が折れてしまうような事があるかもしれません。
自分では避ける事もできない、どうすることもできない、解決する力がないと、無力さに打ちひしがれる時があるのです。
その時こそ、主イエスがどなたであるかを知り、信じて、信仰の告白をするのです。「あなたは全能の神であり、私の主です。人生を導いて下さるお方であると信じます」と告白します。
「あなたを信じて、より頼みます」と告白する時、主イエスは、ご自身が救い主であることを確信させてくださるのです。
詩編46編は有名な詩編ですが、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。
万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。(詩編46:2−4、8)とあります。
また、11節には、「力を捨てよ、知れ わたしは神。」とあります。口語訳では「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」と訳されています。
「知れ」というのは、命令です。神の命令であるなら私たちは神を知るという事に従うのです。
 嵐や突風の中にいるようだと思う時、静まって神を知れという御言葉を思い起こす事ができます。全能の神が共にいまして助けてくださる事を体験するのです。
 私たちは、信仰と信頼を主イエスに置きます。それは何があっても揺らぐことのない確信です。
 私たちの信仰は、生活です。主イエスが共にいて下さること、私たちの人生という舟におられて、導き続けて下さっている事を確信し、感謝しましょう。
「災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも どうして恐れることがあろうか。財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。魂を贖う価は高く とこしえに、払い終えることはない。」(詩編49:6−9)主イエス・キリストは、十字架で贖いの業を完成させて、代価を払って下さいました。人が支払う事ができない贖いを成し遂げられて、救ってくださったのです。信頼と信仰を主イエスに置いて進みましょう。


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