阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2018年12月23日
クリスマス礼拝メッセージ
救い主の誕生
ルカ2章1-7節

 救い主のご降誕を心よりお祝い致します。クリスマス礼拝をささげられる恵みと特権を感謝します。
 神は、その愛の現れとして、独り子を世にくださいました。一番大切な存在を、罪にまみれた世に遣わされたのです。
 アダムとエバの時以来、人は罪の中に生まれ、罪の中に死んでいきました。生まれてまもない幼子は、罪汚れのない存在として受け入れられます。それは、まだ、世の罪に染まっていないということが出来るのですが、成長するにしたがって心の中に罪も育って行きます。
 大人は子供に意地悪をしてはいけない、ウソをついてはいけない、盗むことはもちろんいけない、素直に正直に人に対して優しく生きるようにと教えます。
 しかし、いじわるや嘘は教えられなくても自然にできるのが人間です。
いじめもなかなかなくなりません。それは、心の中の罪の問題なのです。
聖書に、「義人はいない、一人もいない。・・・彼らの目には神に対する恐れがない」(ローマ3:10、18)とあるように、罪のない人間は一人もいません。はっきりと罪のない人は誰一人いないと指摘しています。
 車を運転する人は、ヒヤリとすることがあるのではないでしょうか。
信号無視をする人、自転車、車、なぜそんなに急ぐのかと思います。
交通ルールをなぜ守れないのかと思います。また、飲酒運転は悲惨な事故につながることが分かっているのに、なくなることがありません。
これらは、人の自己中心のあらわれの一つ、罪の表れなのです。
 そのほかにも、人は神ならぬものを造り出し、それを拝み、自分の神とするといった、真の神が忌むべきことを平気で行います。
 それらは、ペトロの手紙にある、「先祖伝来のむなしい生活」(Tペトロ1:18)であり、罪の生活なのです。
 罪を認めず、罪の中に平然と居続けるなら、人は滅びに向かわなければなりません。
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)とあるように、神は、滅びに向かうすべての者のために、賜物として、主イエスをくださいました。
 救い主は、ダビデの家系からユダのベツレヘムで生まれる事は、旧約聖書で預言されていました。
ところが神は、ガリラヤのナザレに住むおとめマリアに天使を遣わされて、救い主誕生が告知されたのです。
 結婚前のマリアは、思いがけない告知に大変驚きましたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と、お答えしました。マリアは救い主の母になることを受け入れました。それは、信仰によるものでした。
夫となるヨセフは、ダビデの家系でしたが、王家の栄華はすでになく、ナザレで大工をしていました。ヨセフも戸惑いつつ、しかし、信仰によって救い主誕生を受け入れました。
 ところが、ガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムまで、140キロも離れています。救い主はナザレで生まれる事はありません。
一方、東方の学者たちは、メシアがお生まれになったことを不思議な星によって知りました。故国からエルサレムのヘロデ王の宮殿に向かい、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ2:2)と告げました。ヘロデは王位を奪う存在が生まれたのではないかと不安に思って、宗教指導者たちを集め、メシアはどこで生まれるのかと調べさせました。彼らは、ミカ書に、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」(マタイ2:6)とあり、ヘロデに、ベツレヘムでお生まれになることが預言されていると伝えました。ヘロデは東方の学者たちをベツレヘムに送り出しました。学者たちは、星に導かれ、ベツレヘムでメシアをひれふして礼拝し、贈り物をささげました。そして、夢でヘロデのもとに帰るなと示されたので、別の道を通って帰国したのです。
さて、メシア誕生のその頃、時のローマ皇帝アウグストゥスから、人口調査の勅令が出されました。人々はみな自分の本籍地に戻って、住民登録をしなければなりませんでした。
 ヨセフもダビデ家の本籍地であるベツレヘムへ、臨月のマリアを連れて出かけました。
 もう出産がまじかいことは分かっていたのですが、はたしてマリアはベツレヘム滞在中に赤子を産みました。赤ちゃんは、布にくるんで飼い葉おけの中に寝かせました。
それは、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:7)とあるように、住民登録のために来た人々で町は膨れ上がり、もともと少ない宿屋に泊まることが出来なかったのです。
 赤ちゃんが生まれる時に、求められることはどのようなことでしょうか。まず、清潔な環境です。清潔な部屋、産湯、産着、布団などなどが用意されるのが常識です。母親も、新生児も安心して休める環境が大事なのです。普通の人が泊まる部屋がなく、家畜小屋での出産になり、家畜のえさをいれる飼い葉おけがベビーベッドの代わりになりました。
 神の独り子の誕生は、低く、貧しい姿をとられました。
そして、救い主の誕生を知らされた羊飼いの訪問と礼拝を受け、数週間後には先ほどお話しした東方の学者たちの訪問を受けました。学者たちのプレゼントは、「黄金」「乳香」「没薬」でした。
 黄金は、世界の王を表し、乳香は祈りの対象者であり、また、神から油注がれた者、即ちメシアを意味するのです。また、没薬は、高価なものですが、誕生祝いにはそぐわないものなのです。なぜなら、葬りの為の薬であり、香料であったからです。
ベツレヘムでお生まれになった赤子は、全世界の王であり、メシアであり、十字架の贖いの為の死と復活が象徴的に表されていました。
 私たちは、このクリスマスの出来事を通して、神の救いのご計画を覚える事ができます。
ユダヤの人々にとって、人口調査は迷惑以外のなにものでもありませんでした。ローマ帝国の属国として搾取され、国としての誇りも持つことが出来ません。仕事も休み、何日もかけて遠くの本籍地まで出かけ、税金を支払うための登録をし、何も良い事はありません。
 しかし、神はこの事をとおして、ナザレから旅をしてきたマリアがベツレヘムで出産するように、計られました。神の言葉はその通りになるのです。
 私たちの生活の中でも、理不尽な事、理解に苦しむような事、また、人から苦しめられるようなことがあるかもしれません。
神様は、そのような中にもご自分の救いのご計画を持っておられて、それは私たちには考えつかないような大きなものなのです。ローマ皇帝の人口調査さえも用いられました。
 神のご計画は本当に不思議なものです。
「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(Tコリント2:9)という御言葉があります。イザヤ書64章からの引用ですが、神の救いのご計画は、人が思い浮かべたこともないような方法でなされるという事なのです。救い主を世に人として誕生させて、十字架で全世界の罪の贖いを成し遂げられるなどと、いったい誰が考える事ができたでしょうか。神は成し遂げてくださいました。十字架により完全な救の道を備えてくださいました。
私たちの人生にもご計画をお持ちであり、神の栄光を現わすために、その苦しみさえも用いられることを覚えたいのです。
 救いがすでに与えられている今、私達は神の愛を思い、自らの人生を考え、救い主誕生を心から喜ぶ者でありたいと思います。この方によって生かされ、守られ、赦されつづけている人生なのです。
今、私達はメシアである方を、心の中心にお迎えし、自らの救いの感謝と、御業を崇めたいと思います。全世界の主となられた方の誕生と神のご計画の素晴らしさを褒め称えましょう。  


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