阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2019年5月19日
賛美の声
ローマ15章7-13節

 神様は、天地万物を創造された後、人を創造されました。アダムを造られ、その鼻に命の息を吹き入れられました。創世記には、「人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)とあります。
神の命の息を吹き入れられて、人は生きる者とされました。人が神に生かされていることは、さまざまな事で証明されます。
人は、パンだけでは生きられないので、魂の糧を求めます。
心の満足を求めます。春になると美しい花が咲きます。人々は花を求め、その香りを楽しみます。
また、さまざまなジャンルの音楽を好みます。クラシックから演歌まで、好みは様々ですが、音楽を楽しみ、歌を歌います。
絵画を好む人もいます。有名な画家の展覧会には大勢の人が押し寄せるのです。自分で絵を描く人も多いのです。
人は、舞台や映画も好きです。そこに映し出され、描き出される物語を楽しみます。
人が神に造られて魂があるので、花屋さんという店が成り立ちます。
そうでなければ、お腹を満たすだけのお店しか続かないでしょう。
また、人は宗教を作ります。多くの宗教があるのは、魂の救済を求めるよりも、現実の生活のさまざまな問題を解決したいという願いや、将来の生活が安定したものであるようにという、御利益を求めるところにあるようです。しかし、人は超越した存在がおられることを意識していなくても知っているのではないでしょうか。
神様は、アダムを創造され、生きた者としてくださいました。また、エバを造られ、エデンで共に生きるようにして下しました。ところが、人は罪を犯してしまいました。
神の言葉に従えなかったのです。たった一つの戒めを守ることができませんでした。
神は、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2:16)と命令なさいました。ところが、蛇に誘惑されて、いとも簡単に木の実を食べたのです。
体はすぐに死ぬことはありませんでした。しかし、罪のために神との交わりを絶たれてしまいました。人は罪のために、神と断絶し、死ぬ者となってしまいました。
エデンを追放される時、神は二人に動物の毛衣を与えて着せて下さいました。二人を守るために犠牲が払われました。キリストの贖いを思い起こさせられる出来事でした。
このようにして、人は神から離れたのですが、神は御手を差し伸べ続けて下さいました。
人の心に働きかけられ、預言者を立てて、御言葉を語り続けられたのです。やがてメシアが来られることを伝え続けてくださいました。
それで人々は、真の神を見上げ、賛美をもって褒め称えたのです。
人が神によって造られたことは、賛美をささげることで証明されるのです。賛美とは、言うまでもなく創造主である方を褒め称える事です。
神は全世界の罪の贖いとして、メシアを遣わされました。イエス・キリストは救い主です。
ユダヤ人たちは、異邦人が救われることはないと信じていました。自分たちこそアブラハムを父に持つ者、神の律法を持つ選民であると考えていました。
しかし、神は全ての人の救いのために、すべての人が神を褒め称えるために、救い主をお遣わしになったのです。
ローマの信徒への手紙は、信仰によって義とされることが記されています。行いによるのではなく、ただ主イエスの十字架の犠牲により人は救われるのです。そして、12章からは、救われた人はどのようにして生きていくのかが示されています。
主イエスが大切な事として最後まで教えられたことは、「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)ということでした。これが新しい戒めであると教えてくださいました。ですから、ローマ書でも、「互いに愛し合うことのほかに、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。・・・どんな掟があっても、隣人を自分のように愛しなさいという言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(ローマ13:8−10)とあって、隣人を愛する事は全ての戒めを全うするのだと教えています。
愛が現わされるところに神への賛美が生まれます。人を愛する事と神を愛する事とはつながっているからです。人を退けたままで、神を賛美することはできません。
私たちが互いに受け入れあい、愛し合うのは、神の栄光の為だとあります。(ローマ15:7)
主イエスは、神の栄光のために私たちを喜んで受け入れてくださいました。ですから、あなたがたも互いに喜んで受け入れ合いなさいとあるのです。
パウロは、旧約聖書の御言葉を引用しながらユダヤ人だけではなく異邦人も救われ、共に神を賛美することを記しました。
詩編67編はすべての民、国々が救いを知り、神を崇め、賛美し感謝するようにとうたっています。「諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民をみちびかれることを。神よ、すべての民があなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞってあなたに感謝をささげますように」(詩編67編5−6節)
全ての国が、すべての人々が、真の創造主を賛美しますようにと、感謝をもってうたっているのです。
また、メシアの到来をイザヤは預言しました。「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける」(ローマ15:12)。
メシアはダビデの家系から出現することは、旧約聖書で預言をされていました。エッサイ、すなわちダビデの父親、ダビデの家系から救い主が起こされ、異邦人はこの方、キリストに希望を置くという事です。
時が満ちてキリストがこの世に来て下さり、すべての者のために罪の贖いとして十字架に架かって下さいました。葬られて三日目に復活され、イエスを救い主と信じ、悔い改める者は誰でも罪が赦され、永遠の命を持つことができる。これが福音であり、神の御業です。
私たちは、この救いを喜び、感謝し、祝い、神を賛美します。
神は、希望の源です。私たちは、賛美の中に力をいただき、聖霊に満たされて喜びと平安を体験し続けるのです。
この世のさまざまな困難と試練に苦しむこともあるでしょう。しかし、賛美の中に主の臨在があります。賛美は勝利と希望に満ち溢れるのです。
賛美は唇の果実であり、ささげものです。ヘブライ13章には、「だからイエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。良い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」(へブル13:15、16)とあるのです。
私たちは神を褒め称え、賛美するために救われたと言って間違いはなにのです。神は賛美を受け入れてくださいます。
イエス・キリストによる贖いを感謝し、永遠の命の希望を喜び、この世に勝利する力は、賛美にあることを心に留めたいと思うのです。
「主を賛美するために民は創造された」(詩編102:19)創造の目的は賛美するためとあり、また、「主を賛美するのは死者ではない 沈黙の国へ去った人々ではない。わたしたちこそ、主をたたえよう 今も、そしてとこしえに。ハレルヤ」(詩編115:17、18)
生かされている今、心から神に向かい賛美をささげようと、御言葉は語り掛けているのです。
心から主を崇め、褒め称える時、神は喜んで受け入れてくださいます。
それは、技術ではない、信仰と心からの賛美です。
今も後も主イエスの救いと、その愛を心から賛美し、神と共に歩むことのできる、これ以上のものはない恵みを賛美しつつ歩み続けましょう。


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