阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2019年7月21日
「委ねなさい」
詩編55編23節

 この世に生を受け、キリストに出会い、救われた事は何にもまして幸いな事です。なぜなら、永遠の命が与えられて常に主イエスの恵みの中を歩むことが出来るからです。
私達は、生きている限り試みに苦しむことがあります。しかし、神の御言葉により、正しい答えが与えられていることを感謝します。
聖書は、私達が信仰によって歩むように励まし、道を示しています。苦しい時にも魂がうなだれない様に励まして下さるのです。
私達は、人生の中で、何度も何度も深い淵の中にいるような思いをすることがあります。
信頼していた人に裏切られた、信用していたことが崩れ去ったなど、さまざまな事が起きてきます。
そのような時は、心が折れてしまうのです。この先どうして進めるだろうかと心が萎えしまう事もあります。
聖書は、もうだめなのです、行き止まりです。どうしようもありませんとは語っていません。
もうだめだと思う時、どうしたらよいのか正しい回答を与えて下さいます。その教えを信じて従う信仰がある時、導かれていくのです。
詩編55編18節では、悩む人が告白しています。「夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いて下さる」とあります。ユダヤでは、日暮れから一日が始まりますから、一日中苦しみ呻いているのです。
神は、苦しむ者の声を聞いて下さる神です。エジプトで苦しみの中にあったイスラエルの民は、助けを求めて神に叫び声を上げました。神はその嘆く声を聞かれて人々を省み、御心に留めてくださいました。出エジプトが始まるのです。
私達が苦しみの声を上げるなら、その声は既に神に前に届いている事を知らなければなりません。苦しみの最中から救い出し、平安に守って下さいます。
すべての重荷、思い煩い、罪を委ねる事が教えられています。「あなたの重荷を主に委ねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支えとこしえに動揺しないように計ってくださる。」(詩編55:23)
あなたの重荷とあるように、あなたにはあなたの重荷があるのです
それは、自分自身が負うもので、他の人と取り換える事はできません。
委ねるとは、お任せすることです。主は、最善をなされるお方であることを信じ、また、その全能の力を信じてすべてお委ねするなら、必ず支えて下さり、力と希望に満たして下さいます。
不安で仕方がない心に確信と平安が沸き上がるのです。さまざまな不安があるのですが、一番不安な事は命に関する事ではないでしょうか。
命が危ない時、恐れに満たされるのです。しかし、委ねる事が出来るのは素晴らしい事です。
ダニエル書には4人の少年の記事があります。バビロンに捕囚の民として連れてこられた者たちです。
異教の国で信仰を守る事はたやすい事ではありません。少年たちはネブカドネツァル王に仕えていましたが、真の神を信じ、偶像を礼拝することはありませんでした。
 4人の少年たちは、神から知識と才能をいただき、優れた働きをし、王様に近く使えるようになり、高い地位を得るようになりました。
ネブカドネツァル王は、高さが27mもある巨大な金の像を造りました。多くの高官が集められて盛大な除幕式が行われ、伝令によって当時の楽器である、角笛や竪琴、風琴、あらゆる楽器によって奏でられる音楽が聞こえたら、金の像にひれ伏して拝むように、もし拝まない人がいたら、直ちに燃える炉に投げ入れられると伝えられました。それで、音楽が聞こえると、すべての人は金の像にひれ伏して礼拝しました。
カルデア人がユダヤ人を中傷するために、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人が金の像を拝まないと王に伝えました。彼らは王の命令を無視し、王の神を拝まないと訴えたのです。ネブカドネツァル王は激怒し、3人を召し出しました。王は、わたしの神に仕えず、像をひれふして拝まず、ひれ伏さないのは本当か。わたしの像を拝むつもりならそれでよいが、もし拝まないなら直ちに燃える炉に投げ入れる、お前たちをわたしの手から救い出す神があるものかと通告しました。
命の危機です。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人は、「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル3:16−18)と答えたのです。
真の神は必ず救い出して下さいます。しかし、そうでなくても偶像礼拝はしませんとはっきりと答えました。
3人はこれ以上ないほど熱く燃やされた炉に服を着たまま縛られて投げ込まれました。あまりに熱いので、3人を引いて行った者たちが焼かれてしまったほどでした。ところがネブカドネツァル王は、炉の中に投げ込まれたのは3人なのに4人いるし、4人目は神の子の様に見えると言ったのです。
これ以上ないほどの試みの時、受肉前のメシアが共におられたのです。
燃え盛る炉の中にも救い主は共にいて下さるのです。驚いたネブカドネツァル王は、3人を炉から呼び出しました。彼らはなんの害も受けず、火の匂いすらありませんでした。
ネブカドネツァル王は、「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、・・・まことに人間をこのように救うことができる神はほかにはない」(ダニエル3:28−29)と言って、3人を高い位につけました。
真の神を信じ切り、委ねた信仰の姿勢は、燃え盛る炉の試練にも勝利し、ネブカドネツァル王の口をもって、真の神を称える言葉を引き出したのです。
真の神を信じるという事は、完全に信頼することです。神の言葉を信じる事です。
「ヤコブよ。あなたを創造された主は イスラエルよ、あなたを造られた主は 今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず 炎はあなたに燃えつかない。わたしは主、あなたの神 イスラエルの聖なる神、あなたの救い主」(イザヤ43:1−3)
十字架の贖いを完成された救い主、イエス・キリストが私達と共におられるのです。水の中、大河の中、炎の中を通るような恐ろしい、苦しい試練があっても、押し流されず、焼かれることはありません。必ず救い出して下さり、その体験を通して神の御名が崇められるのです。
私達の名前を呼ばれる方は、私達一人一人の魂の奥底までご存知のお方です。私達は、髪の毛の一本残らず数えられています。
救い主の御手にすがりながら、そして、委ねながら一歩一歩進むことが出来るのです。
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたのことを心にかけていてくださるからです」(Tペトロ5:7)とあります。
何もかも神にお任せできる生涯はなんと幸いな事でしょうか。
あなたは今、試練の中にありますか。恐れる事はありません。押し流されることもなく、焼かれることもなく、完全に救い出されるからです。試練の時、燃え盛る炉の中に救い主が共におられて、慰め、力強めて下さるのです。生きておられる方を知ることが出来るのです。
主に委ねる信仰によって日々を歩んで参りましょう。疑う事は敗北です。
勝利の信仰によって歩み続けましょう。


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