阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2019年12月1日
闇に輝く光
ヨハネ8章12節

 今日から主イエスの御降誕を待ち望み、クリスマスに備えるアドベントが始まりました。。クリスマスは救い主の誕生をお祝いする喜びの時です。
単に喜ぶだけではなく、主イエスの到来が何のためであったのか、立ち止まって考える時でもあります。
クリスマスというと、世の中では、テーマパークへの誘いや、パーティーなど、人の喜びを求める傾向が強いのです。
 この時に、真のクリスマス、主イエスを伝えられるのはクリスチャンだけです。本当のクリスマスを語るクリスチャンであるよう、備えましょう。
夏至(げし)を境に、1日ごとに日暮れが早くなって、今年は12月22日が冬至です。今は夕方5時ごろには暗くなってしまいますが、冬至を過ぎると少しずつ日が長くなり、1月下旬ころには、ずいぶん夕方の日差しが残るようになってきたと実感するようになります。
 主イエスは、御自分のことをさまざまな言葉で示して下さいました。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)とあるように、「わたしは世の光」と宣言されました。
ちなみに、ヨハネによる福音書によれば、7つの言葉でご自身を現わしておられます。
「わたしがいのちのパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35)
「はっきり言っておく。わたしは羊の門である」(ヨハネ10:7)
「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは、良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:10,11)
「わたしは、復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)、
「わたしはまことのぶどうの木」(ヨハネ15:1)
というように、主イエスは、世の光、命のパン、羊の門、良い羊飼い、復活、命、道、真理、まことのぶどうの木としてご自分をお示しになりました。
どの御言葉も救いと命に溢れています。この方によって救いを頂くことが出来ると確信できます。
主イエスがご自分を「世の光」と言われた時、その直前に事件がありました。
律法学者やファリサイ派の人々が、姦通の場で捕らえられた女性を連れて来て、主イエスに、このような場合、律法によれば石打の刑が相当だが、あなたはどのように裁くかと質問しました。
それは、「イエスを試して、訴える口実を得るため」(ヨハネ8:6)だったとあります。
もし、主イエスが「許してやりなさい」と言ったら、律法に背く者として断罪するし、もし、「律法の通りに」と言ったら、愛がないと非難するつもりでした。
 主イエスは、何も言わずに黙って屈みこんで、地面に何か書いておられました。彼らがなおもしつこく尋ねるので、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)と言われました。そして、また地面に何かを書いておられたのです。すると、年長者から立ち去っていき、人がいなくなってしまいました。
主イエスは身を起こして、「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」(ヨハネ8:10)とお聞きになりました。「主よ、だれも」とお答えすると、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)と御声を掛けて下さいました。
ファリサイ派たちの糾弾に、「罪を犯したことのない者」から石を投げよと言われた時、人々の心が騒いだのです。
自分の心の中の罪を思う時、他人を裁く事はできないと思い、そして、この場から立ち去っていきました。
この女性は、主イエスの赦しを頂きました。しかし、「これからは、もう罪をおかしてはならない」といわれたのです。ここで赦されたから、またもとの生活に戻って良いとは言われませんでした。
罪から離れて、新しい歩みを始めるようにと、主イエスはチャンスをくださいました。
闇から光へと導き出された一人の女性と考える事ができます。
人は誰でも生まれながらの罪を持ち、罪の中に生きていきます。人間関係がうまくいかない、家族の中に争いがある。国と国とが争うなど、いつの時代も争いが続いて行きます。
誌上相談で80代の女性が、90代の女性に無視されてつらいという相談をしていました。
90代の女性がプレゼントしてくれたアクセサリーを受け取ったものの、自分には合わないと思ったので、身に着けなかったら、それが気に入らなくて無視されたという事でした。
ほほえましい位の問題ですが、本人にとっては本当につらく苦しい問題なのでしょう。
ここにも人の自己中心を見ることができます。差し上げた方も、受け取られた方も自分の思いが中心になっていて、相手の心をくみ取ることが出来ないのです。相手が悪いと互いに裁きます。
これが闇の中を歩くという事なのですが、なかなか分かりません。
自分の心の罪が分からないので、いろいろな事につまずきます。暗闇の道は方向が分からず、大きな穴が開いていてもわかりません。
解決がつかず、和解もできずに苦しむのです。
闇は罪です。
クリスマスになると、ロウソクに光を灯します。イルミネーションも輝きます。これは、世の光である救い主イエスを表すのです。
暗闇の中を歩む時、そこに光を見出すなら闇はもう闇ではなくなります。
闇が深ければ深いほど光は輝きます。
アメイジンググレースという賛美歌を知らない人はいないくらいです。この曲を作ったのは、ジョン・ニュートンという奴隷船の船長から、英国国教会の牧師に転身した人でした。
人を品物としか扱わなかったジョンですが、22歳の時、大嵐に遭って船は沈みそうになります。この時救いを求めて祈りました。
奇跡的に難破を免れ、命拾いした彼は、これをきっかけに少しずつ変えられて行きます。
自分の罪を悔い改めて、牧師となり、英国の奴隷貿易廃止のために奔走するようになりました。
彼は、「今まで多くの危険、労苦、わなから守られて今日ここまで来ることが出来た。これはただ神の大きな恵みによるのです。この恵みは、私を天の我が家まで導いてくれるでしょう」と語りました。
主イエス・キリストの救いを受けて、暗闇から驚くべき光へと招かれた人の確信です。すべては恵みによる。そして、恵みは自分のふるさと、天の我が家まで続いているという告白です。
救いの確信を得た者の平安と確信に満ち溢れています。
世の光としてこの世に来られた主イエスは、十字架により罪の贖いを成し遂げてくださいました。主イエスこそ命の光です。主の十字架こそ救いの光です。
この救いと恵みはわたしたちが天に帰るまで満ち溢れるのです。主イエスこそ真の光、私たちを罪の中から導き出して、光へと変えて下さるお方であることを覚え、褒め称えましょう。



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