阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2019年12月22日
喜びの調べ
ルカ2章8-17節

 今年もクリスマスを喜び、お祝い出来る事を感謝します。
クリスマスの時期になると、クリスチャンでない方々もお祝いしたり、プレゼントを交換したりします。
誰でも、なんとなく嬉しい気持になるのが、クリスマスではないでしょうか
最初のクリスマスの夜の出来事を、聖書から見てみましょう。それは今から2019年も前の事でした。
ユダヤの国はBC1世紀から、ローマ帝国に支配されていました。時の皇帝アウグストゥスは、ユダヤの住民に住民登録をするようにという勅令を出しました。皇帝の命令には誰も逆らう事はできません。
ヨセフは、ダビデ王家の末裔でしたが、王家の輝きはすでになく、ガリラヤの小さな町ナザレで、大工として生活していました。
ダビデ家の本籍地はベツレヘムです。パンの家という意味のこの町で、住民登録をするために、すでに聖霊によってみごもっていた、許嫁の妻マリアと共に旅立ちました。
もし、皇帝が住民登録の勅令を出さなかったら、ヨセフもマリアもナザレに留まっていたでしょう。しかし、メシアはベツレヘムで生まれるという神の言葉が与えられていました。
「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。
彼の出生(しゅっしょう)は古く、永遠の昔にさかのぼる。」(ミカ5:1)
メシアはベツレヘムで生まれる事が約束されているのに、ナザレに住んでいるマリアが主の母とされるのです。ナザレとベツレヘムは200キロ以上も離れているのです。
皇帝の勅令は、ユダヤの人々にとってありがたい事ではありませんでした。ローマのために搾取されるための登録だったからです。
しかし、神のなさることは不思議で完全です。人の思いを超え、マリアとヨセフをベツレヘムへと導きました。
多くの人々が登録のためにベツレヘムへ来ていたため、町は混雑していました。多くはない宿屋は、宿泊する人でいっぱいになっていました。
果たしてベツレヘム滞在中に、マリアは男の子を産みます。客間ではなく、家畜小屋での出産でした。
幼子は布にくるまれて飼い葉桶に寝かされました。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と、ルカは説明しました。
ごった返しのベツレヘム、人々の関心は住民登録と、これからの生活の事でした。メシア誕生についての期待はなく、心にお迎えすることもなかったのです。
さて、羊飼いたちが、羊を守るために野宿をしていました。普通、羊飼いは、朝、羊を小屋から出して野原に連れて行きます。そして、夕方羊の小屋に帰って、羊飼いも夜は寝ます。ところが、この羊飼いたちは野宿をしながら一晩中羊の番をしていたのです。
彼らが番をしていた羊は、贖罪のために神殿でささげられる、傷のない特別な羊ではなかったかと言われています。
彼らは傷のない羊を守るという使命のために、注意深く羊のそばにいました。
大切な羊を守る羊飼いたちでしたが、彼らの身分は高くはありませんでした。一年中、注意深く羊の番をしているので、安息日ごとに会堂へ行くことはできません。また文字も読めません。律法を守れない人々と低くみられ、裁判の時に証人になることも許されないような人々でした。社会からは軽んじられる者たちだったのです。
羊の番をしていた羊飼いたちは、その夜、考えられないような体験をしました。天使が近づいてきて、主の栄光が周りを照らしました。羊飼いたちは非常に恐れたのです。しかし、天使は、すばらしいメッセージを伝えました。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:11,12)
救い主がお生まれになった。これは民全体の大きな喜びであり、飼い葉桶の中の乳飲み子こそメシアであると告げたのです。
この救い主は、やがてすべての人の罪の身代わりとして犠牲となられる「傷のない神の小羊」です。羊飼いたちはこの良い訪れを聞いたのです。
すると突然天使の大軍があらわれ、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)と神を賛美しました。天使の大合唱です。
羊飼いたちの反応はどうだったでしょうか。天使の大軍が天に去った後に、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主がお知らせくださったその出来事を見ようではないか」(ルカ2:18)と言って、ベツレヘムへと急ぎました。マリアとヨセフ、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てました。
メシアにお会いしたのです。羊飼いたちは、東から来た博士たちのような高価な贈り物は持ち合わせていません。
しかし、急いで行ってメシアを探し当てたのです。大切な羊はどうしたのでしょうか。羊を野においてもメシアにお会いしたかったのです。
メシアは家畜小屋に生まれ、救いの喜びの知らせは、野にいる羊飼いたちにもたらされました。
羊飼いたちは、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と聞いた時、大変な喜びに満たされました。人々が蔑むような者を神は覚えていて下さり、「あなたがたのために」、自分たちに救い主をお与えくださったことを知ったのです。
メシアの誕生は、羊飼いだけではなく、すべての人に対する救いの到来です。人々に救いのニュース、福音が伝えられました。
羊飼いたちは自分たちの見聞きしたことを人々に伝えました。すぐに福音が伝えられたのです。
「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ2:20)
クリスマスの夜、天使たちの大合唱がありました。そして、羊飼いたちの賛美があったのです。
賛美は、神の素晴らしさを褒め称える事です。私たちの口の言葉は何を語るでしょうか。主イエスの福音を聞き、この方を信じた者は、心に喜びと、口には賛美が溢れます。
羊飼いたちは、野にいて一晩中羊の番をしている時、何を思い、何を語ったでしょうか。早く朝になればよい、仕事は気を抜けないと思い、大変な仕事なので、苦痛や呻きがありました。徹夜で体力を要する仕事は大変なのです。喜んでする人はいないでしょう。しかも社会からは除外されていればなおさらです。
羊飼いたちは、天使のメッセージと、大合唱、メシアの誕生といった神の大きな御業を見、救い主にお会いした時、心が変わったのです。
羊飼いが戻るのは、いままでいた野の羊のそばです。また仕事は続きます。身分も変わりません。
しかし、彼らの心は神を崇め、喜びに満たされ、心から沸き上がってくる喜びの賛美をささげながら戻って行ったのです。救い主を心に受け入れる時、人は新しくされます。
暗闇の中を歩んでいた者が、真の光を見出し、生きる力に満たされ、困難な時も神に賛美を捧げる者となります。
主イエスの救いを受けても、同じ仕事をし、同じ家に住み、同じ環境の中にいても、救いの喜びは誰にも奪う事はできません。
羊飼いたちの賛美は、誰にも止める事はできません。私たちの救いの喜びは、誰にも奪う事はできません。
救い主誕生の良い知らせは、今や全世界に伝えられました。
この方を信じる者は、罪から解放され、新しい命に生きるのです。
だれでも救われる恵みの時代が始まったのです。
救い主を喜び、心にお迎えし、心からの賛美をささげて崇めましょう。
救いがもたらされた、その喜びを神に向かって歌い上げましょう。


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