阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年元旦礼拝
祈りの力
テモテへの手紙T2章1-4節

 2020年の朝を迎えました。今年も恵みの年であることを信じて前進していきたいと思います。
 今年は、テモテへの手紙T 2章1−4節の御言葉が与えられています。「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(Tテモテ2:1)という御言葉です。
 クリスチャンは、キリストの十字架により罪を赦されて、神の愛の中に生きる者です。永遠の命を喜ぶ者です。
2019年12月29日の礼拝でもお話ししましたが、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝する者とされたのです。キリストの贖いによって新しく造り変えられたのです。
テモテへの手紙を書いたパウロは、自分自身のことを証しています。
「以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐みを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です』」(Tテモテ1:13―15)
 熱心なファリサイ派であったパウロは、クリスチャンを迫害することが神の御心と堅く信じて、盛んに迫害をしました。ステファノが石で打たれて殉教する時も、その場にいて、石を投げる人たちの上着を預かったほどでした。
しかし、クリスチャンたちを捕らえにダマスコへ行く途中で、復活の主イエスにお会いして、回心したのです。ダマスコまで人に手を引かれて行き、三日の間、目が見えない中で、断食して祈りました。
アナニアによって按手された時、目が開き聖霊に満たされて、迫害する者から宣教する者に変えられました。
 そのような以前の自分の姿を思う時、「罪びとの最たる者、」口語訳の聖書では、「罪人のかしら」と訳されている、大変な罪人であったという自覚があったのです。
罪深い自分が救われたのは、このような自分でも救われたという、手本になるためであったとあります。
そして、救って下さった神にこれ以上ないほどの、賛美と栄光を捧げています。「永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉と栄光が世々限りなくありますように。アーメン」(Tテモテ1:17)
多く赦された者は、多く愛するという御言葉通りではないでしょうか。パウロは、エフェソで牧会する若い伝道者、また、自分の愛する弟子であるテモテを励まし、雄々しく宣教の戦いに励むようにと勧めたのです。
そして、祈りについて教えました。
 祈ることなしには、信仰の戦いは戦う事はできません。祈る者でなければ信仰を維持し、主イエスに仕えていく事はできません。祈りと御言葉なしの信仰はあり得ないのです。
私達は日常の中でどのような祈りをささげているでしょうか。祈りは生ける真の神との交わりであることを忘れてはなりません。
祈りは神との会話です。神の語りかけを聞くときなのです。
先ほど、アナニアと言う名前が挙げられました。この弟子は、聖書に度々登場する人ではありません。
パウロやペトロのように、宣教において大きく用いられたようでもないのです。しかし、神はアナニアに、パウロの許に行き、祈るようにと語りました
「アナニアよ」と呼びかける神に、アナニアは「ここにおります」と答えました。そして、神はパウロの許に行き、手を置いて祈るようにと伝えたのですが、アナニアはパウロがどんなにひどい迫害をし、ダマスコにもクリスチャンを捕らえるために来たのですと、お答えしました。すると、神は、パウロは宣教者として選んだ器である事、これからパウロが、大変な苦しみをもって宣教していく事を明かされました。
神との会話です。これが祈りであることを覚えたいのです。
私達は、神が私の名を呼んでおられるのを覚えましょう。
そして、神は私達にもご自分の用を語りかけてくださいます。そして私たちもお答えするのです。会話です。
第一に勧められている祈りについて考えましょう。
「願い」「祈り」「執り成し」「感謝」を、すべての人々のためにささげなさいとあるのです。この四つの言葉は祈りという中に包括されるのもので、切り離すことはできません。
私達には、さまざまな願いがあります。真の神に願いをささげ、生きておられる神の答えを待つことができるのです。
パンを求めるのに石を与える父はいない、魚を求めるのに蛇を与える父親はいない、ましてや天の父は良い物をくださる(参マタイ7:9、10)と約束しておられます。「あなたがたの天の父は、求める者に良いものを下さるに違いない」(マタイ7:11)
もし、私達が御心を離れた自分勝手なお願いをしたとしても、聖霊は、必ず正しい祈りに導いてくださいます。
祈りは、神を崇め、賛美し、自分自身を神に献げていく礼拝の祈りです。日曜日には礼拝をします。また、今、元旦礼拝をささげています、
礼拝とは何でしょうか。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)とあることは知っての通りです。
礼拝とは、私達が贖われて、神に属する者であり、私達の存在全てが神のものであることを告白し、献身する時です。
その告白が祈りとなり、祝福につながります。主イエスの十字架によって贖われた者は、以前のような世の広い道は行くことはできません。
常に神を礼拝し、祈りながら救いの道を歩きます。
執り成しとは、自分のために祈るのではなく、他の人の救いのために祈ります。
自分の家族の救いのために真剣に執り成しの祈りを続けましょう。
求道中の人々のために救いを祈りましょう。すべての人の為に祈りましょう。病気の癒しを求めて祈りましょう。執り成しの祈りです。神は最善の答えを用意されます。
そして、感謝を忘れてはいけません。
クリスチャンは、すべての事に感謝します。
無理やり感謝するのではなく、キリストの十字架によって罪が赦され、永遠の命に生かされていることによって、感謝が心の奥底から沸き上がって来るのです。聖霊による感謝です。
感謝をささげる時、確信と喜びに満たされます。
救いの喜びと感謝をもって神に近づきます。
神は、私達にこれらの祈りをささげる信仰生活であり、教会であることを望んでおられるのです。
そして、そのような祈りは、私達の信ずるイエス・キリストにある品位を保ち、落ち着いた平和な生活を送らせます。
権力者から、富んでいる人、貧しい人々、社会の片隅にいる人々、すべての人々のために祈ることが神の求める所です。
地上での生活が守られる事、そして、主イエスの十字架の贖いにより、魂が救われて、神と共に歩む人生が始まるようにと、すべての人の為に感謝をもって祈る年としましょう。
神は必ず答えて下さいます。豊かな祝福が注がれることを感謝します。


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