阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年3月1日
信仰の祈り
ヤコブの手紙5章13-18節

  クリスチャンは天の父に祈ることを欠かしません。祈りによって霊の呼吸をして生かされています。
今日は、ヤコブの手紙の中から御言葉に聞きたいと思います。聖書にはヤコブという人が何人も登場しますが、この手紙を書いたのは、主イエスの弟にあたるヤコブです。ヤコブは手紙の冒頭で、「神と主イエスの僕であるヤコブ」と自分のことを言い表しています。
ヤコブは、マリアとヨセフの子ですが、最初、イエスをキリストとは信じていませんでした。しかし、主イエスの復活後、信じて使徒となりました。その後は義人ヤコブと呼ばれ、エルサレム教会の重鎮であり、常に祈りのために跪く(ひざまずく)ので、膝がラクダのこぶのようになっていたということが伝わっている人です。それほど敬虔な祈りの人であったという事です。
ヤコブの手紙は、信者がどのように信仰生活を送るのかを実際的に示している書簡です。
試練については、「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)と、記しました。試練はつらいものだと思います。苦しい思いをして、呻く(うめく)ようなこともあります。しかし、つぶやくことなく、不満をあらわすのでもなく、「この上ない喜びと思いなさい」と教えています。
なぜなら、試練によって信仰は鍛えられ、完全で申し分ない人になるからであると続けられています。忍耐することにより、キリストの満ち満ちた背のたけにまで成長するからです。
現在のコロナ新型ウイルスの問題も、日本を始め全世界の試練といえるでしょう。様々な拡大防止策が次々と発表されて、戸惑いながらも各要請に従う仕儀になってきています。尼崎市は市立の高校、中学、小学校、幼稚園、支援学校を3日から春休みまで休校することに決めました。
長い休みの中、子供さんたちや、各ご家庭の無事を祈って参りたいと思います。「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」(Tテモテ2:1)。この御言葉が迫ってきます。今こそ私たちが祈る時です。
 信仰とは、キリストを信じ、子供の様に素直に御言葉を信じて従う事です。御言葉は真実でそのまま受け入れるに足りるものです。
苦しんでいる人は、「祈りなさい」(ヤコブ5:1)と教えています。
苦しみに悩む時、誰かに打ち明けると心が軽くなることがあります。しかし、人には人を救う力はありません。その時は一時的に心が晴れたとしても、また雲に覆われてしまうのです。
苦しみの時は、「祈りなさい」という御言葉を忘れないで、神の前に静まって祈る事が大切なのです。
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(Tペトロ5:7)という御言葉を信じて、神に委ねる信仰によってのみ、神の平安に満たされます。
また、「喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい」(5:13)とあります。
心から神を崇め、神を賛美する事ができるのもクリスチャンの証です。
神様を褒め称えるのです。神を褒め称え、感謝をささげ、さらに恵みを受け、力を受けて成長するのです。
「主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい」(詩編33:1)という御言葉があります。
詩編33編は、32編から続いているようです。32編は悔い改めの詩編です。悔い改めた者が救いの喜びをもって神を賛美しています。
ですから、「正しい人」とは、神の前に罪を悔い改めて、救いの喜びに満たされている人と考えられます。
賛美は、主イエスの十字架の前に罪を告白し、赦していただいた救いの喜びの声を上げるところから始まるものでしょう。
永遠の救いを喜び、心から神を褒め称えるのです。
言葉だけではなく、信仰による心の喜びを歌うのです。
さらに、病気の時には、教会の長老を招いてオリーブ油を塗って祈ってもらいなさいと勧められています。
現在は、プロテスタントの教会ではオリーブ油を塗って祈ることはありません。オリーブオイルに力があるように誤解されるところもあります。  カトリックでは臨終直前の終油の秘跡として継承されているようです。
 医学や薬がどのように進歩しても、癒して下さるのは神です。
信仰による祈りは、癒しと、罪の赦しを与えて、その人を起き上がらせるのです。伏していた者が、病んでいた者が、罪の中にいた者が立ち上がり、新しい命に生かされます。
16節に、「互いに罪を告白し合い」とあります。ここで気を付けなくてはいけないのは、「罪の告白は神に対してすべきこと」です。詩編51編はダビデの悔い改めの詩編です。ダビデは、「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。」(:4口語)と告白しました。このように、神に対して罪を告白し、悔い改め赦していただきました。
罪を告白し合うというより、自分の弱さを言い表して祈り合うということが言えます。自分の罪によって、だれかが実害を受けていたら、その人と和解をする必要があるでしょう。神に赦された人は、人とも和らぎます。
クリスチャンは、互いにその弱さを思いやり、執り成すのです。「互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」(エフェソ4:22)とあります。
エリヤは、北王国イスラエルの最悪と言われるアハズ王の時に、大いに用いられた有名な預言者です。BC864年頃の事です。
偶像礼拝が盛んで、真の神への信仰は失われて行きました。エリヤは、そのような時にアハズの前に神は生きておられると宣言したのです。
エリヤは、いつも神の言葉に従って行動しました。ケリト川でカラスに養われた時も、サレプタのやもめの所に赴いたのも神の言葉によりました。
エリヤは、邪悪なアハズ王に、数年の間は露もなく、雨も降らないと預言しました。
バアルの預言者450人と対峙し、祭壇に火を下す生きた神を民に示したのです。やがて、大雨が降ることを告げて、その通りになりました。
エリヤはこのように、大きな御業のために用いられましたが、ヤコブは、「エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが」(ヤコブ5:17)と記しました。
大きな業に用いられた預言者も、わたしたちと同じ人であるといったのです。
エリヤが常に神の御言葉に従ったように、私達も内におられる聖霊の導きに従うなら、大きな神の業を見る事を約束しています。
御言葉は信仰によって従う時に、生きた証となります。神が生きておられ、御言葉が真理であることを体験するのです。
御言葉は、私たちに答えを与えています。
信仰によって祈る時、一つ一つの御言葉が私たちに迫り、神が生きておられるという確信を持ちます。
個人の生活の中での様々な試練があります。コロナウイルス感染は、南極大陸以外は。すべての大陸に広がったのだそうです。すさまじい感染力です。一週間前とは全く違った状況になってしまいました。
しかし、このような艱難によって、信仰に立ち帰り、生きておられる神を体験する時となる事を感謝して、待ち望むことができます。
エリヤが祈りによって、御言葉によって、勇気を与えられて用いられたように、私達も、私達の内にお住まい下さる聖霊が祈りに導いてくださり、勇気を与え、安心と安全の道を備えておられると、確信することができます。主イエスは、「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心をひとつにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:19)と言われました。
心を合わせ信仰の祈りをささげ、勝利に勝利を重ねていきましょう。


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