阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年3月8日
心を合わせて
マタイ18章18-20節

 主イエスが復活された日曜の朝、集まって礼拝をささげられるのは、なにものにも代えがたいすばらしい恵みであることを、覚えたいと思います。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、人が集まることを自粛している状態が続いています。教会での集会が縮小されるのはつらい事です。しかし、このような時であるからこそ、私達は御心を求めて、心を一つにして前進できる事を信じます。
主イエスは、私たちに祈ることを教えておられます。主イエスは、マタイ18章18節で、「はっきりいっておく」と言われてから、教えておられます。
「はっきり言っておく」とは、主イエスが特に大切な事を伝える時、「アーメン、アーメン」と繰り返され、お教えになりました。
18節と19節にこのお言葉が使われています。
主イエスは、アーメンの後に、「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18:18)と言われたのです。
主イエスはこれらを弟子たち教ええておられます。18章の最初に、弟子たちがイエスのところに来て、とあります。そこで、主イエスはお教えになったのです。
主イエスは「地上で」というお言葉を3回使われています。この世でという言葉が分かりやすいかもしれません。
この世は、罪が覆い、悲しみや呻きが尽きません。次々と問題が起こり、右往左往(うおうさおう)するような事ばかりです。
主イエスは、その罪の世にあって、信じる者の群れ、教会は何をなすべきかと教えておられるのです。
「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18:18)
地上でつなぐとは、相手の罪を鎖でつなぐという意味です。それは、「あなたは罪人、あなたの罪を赦さない」と宣言することです。
すると、その人は、「天でもつながれる」とあります。天でも赦されないのです。
また、「あなたがたが、地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18:18)とあるように、信じる者の群れが、罪の鎖を解くなら、天でも解かれる、即ち赦されるとあります。大変な権威が与えられている事に驚くばかりです。
信じる二、三人が集まり、祈る時、そこに主イエスがおられる事にも驚きます。すばらしいイエスの権威によって祈れるのです。
主イエスは、赦すことについて教えておられます。
「もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」(マタイ6:14、15)とあります。
そして、18章21節以下で、ペトロが、主イエスに、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」とお聞きしました。主イエスは、「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」とお答えになりました。
七の七十倍とは、無限に赦しなさいという事なのです。
赦す事と祈る事とは無関係ではありません。人の罪を解く権威を与えられている者たちは、赦す者であるはずです。
主イエスは、「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19)と言われたのです。
二人が心を合わせて祈るなら、天の父は聞いてくださるのです。
二人とは、集会の最小単位と言えます。二人なら家庭でも祈ることが出来るのです。
でも、この二人が反目し合っていたら、祈ることはできません。赦し合い、和解することが祈りの条件と言えるのです。
二人、三人が主イエスの名によって集うなら、主はそこにいてくださいます。何と素晴らしいことでしょうか。
神は人に心を与えてくださいました。良心を持っています。しかし、生まれながらに罪を持ち合わせています。良心を持っているので、罪はないという事ではありません。
罪は生まれながらの自己中心であり、神に逆らう心です。救いの手が差し伸べられても振り払う高慢な心です。
なかなか心を合わせる事ができません。
二人の心はどのようにしたら合わせられるのでしょうか。
まず、自分自身が謙遜な心を持つことです。お互いを赦し、受け入れ合う事が必要です。主イエスが赦して下さったように互いに赦し合うことからすべてが始まります。
それは、御言葉を自分自身が受け入れ、従う事から始まります。
「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐みの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それは、キリスト・イエスにも見られるものです。」(フィリピ2:1−5)
この御言葉にあるように、キリストの謙遜に学びながら、互いに受け入れ合う時、神の御業を見ることが出来ます。
初代教会の特徴は、一つになる事でした。
心を合わせて祈る教会に、神は素晴らしい御業を現わされました。
「信者たちは皆一つとなって」祈りました。「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒2:46、47)とあります。
心を合わせて礼拝し、神を賛美する姿に人々は好意を持ち、救われて行ったのです。一致は、神の栄光を現わします。
今は、新型コロナウイルスの影響が全世界に及び、教会にまで及んでいます。私たちは、心を合わせて祈ります。
@  政府や上に立つリーダーたちが、正しい知識と知恵に基づいて、適切な判断がなされるように。
A  今こそ教会が栄光として立ち続ける。
 不安や恐れの中で生活している人々に、教会が世の光として、生きておられるイエス・キリストを伝え、希望と慰めを示し続けるように。
B  すべてのクリスチャンが心を合わせて祈り続けるように。

「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが思い切って大胆に神の御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし、聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」(使徒4:29−30)
教会が、クリスチャンが心を合わせ(ハーモニー)祈る時、神はすばらしい事を備え、思いに勝る答えをくださることを待ち望みましょう。


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