阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年3月15日
わたしに良い事
ローマ8章26−28節_

 主イエスの救いにあずかった者は、数えきれない恵みの中を歩むことが出来ます。常に御言葉を信じ、主イエスに依り頼りながら歩むのです。
人は誰でも心の中に何かと不安を覚える事があります。御言葉は絶えず励ましを与え、信仰による勝利を約束しています。
主に委ねる事と主を信じる事ができるのは、クリスチャンの祝福です。
クリスチャンは、御言葉をしっかり握りしめる事と、祈る事によって霊的な成長をしていきます。
しかし、時には祈ることができないような状態に陥ることがあるかもしれません。しかし、祈るのです。
一人で祈るのではありません。そのような時こそ、御霊が執り成して下さるのです。御霊が神の御心に従って共に祈って下さる事を覚えたいのです。御霊がともに祈って下さいます。
そして、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように、共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)と続けられています。
これは、神がすべての事を最善にするために共に働いておられるという意味の御言葉です。
クリスチャンは、「神を愛する者たち」です。
かつては、真の神を知らず、神の愛も知らないような者でした。神を知らない時から、神は私たちを知っておられて愛して下さいました。
イザヤ書に、「あなたの贖い主 あなたを母の胎内に形づくられた方」とあります。また、詩編にも、「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」(詩編139:16)とあります。
全能の神は、私たちがまだこの世での歩みを始める以前に、知っておられ、愛して下さいました。神が造られたからです。
また、パウロは、クリスチャンを迫害していた自分が、「しかし、母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が」(ガラテヤ1:15)と記して、主イエスを宣教する者とされたといいます。
さらに、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前に、聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1:4)とも記されています。
私達は、この世に生を受ける前にすでに神に愛され、聖別されて神を褒め称え、神を愛する者として召されている事が分かります。
驚くべき神の恵み以外の何物でもありません。
このお方に幼子の様に寄り縋り、従っていくなら、すべてが最善にされるのです。
私達は、旧約聖書のヨセフの人生によって、教えられます。
ヨセフは、アブラハムの子、イサクの子、ヤコブの子供でした。
10人の兄たちがいましたが、ヤコブは、ヨセフを誰よりも可愛がり、特別な子として扱いました。
ヨセフも父の愛情を盾にして、兄たちの悪口を告げるような子でした。また、ヨセフは予見の夢を見る事ができました。父や兄たちが自分にひれ伏すようになると語ったので、余計に憎まれてしまいました。
ある時、父ヤコブは、ヨセフにシケムで羊の番をしている兄たちの所へ行って、兄や羊たちが元気でいるか確認して来るようにと遣わしました。
兄たちは遠くからヨセフを見て、殺害を計画しました。ここでヨセフを殺したら、あの夢はどのようになるのか知りたかったのです。ヨセフが死ねば、自分たちがひれ伏すことなど実現しないからです。
兄の一人、ルベンは、殺すことまでしないで、穴に投げ入れておこうと提案して、受け入れられました。ルベンは後から助け出して父の許に帰そう考えていたのです。
ヨセフは服をはぎ取られて穴に投げ込まれてしまいました。兄の一人、ユダは、エジプトへ下る隊商が近づいて来るのを見て、ヨセフを売ることを提案しました。兄弟たちがそのつもりでいる間に、別の商人が通りかかり、ヨセフを穴から引き揚げ、ミディアンの隊商に売ってしまいました。ルベンは驚きうろたえましたが、どうしようもありません。兄たちは、ヨセフの服に雄山羊の血を付けて父の許に返しました。ヤコブはヨセフが獣に襲われて死んだと思い、嘆き悲しんだのです。
エジプトへ売られたヨセフでしたが、主が共におられたので、すべての業が祝福されていました。ポテファルという侍従長の僕となって、その家の全てを任されるまでに信用されたのです。「主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された」(創世記39:5)とあります。
ポテファルの妻に陥れられて牢に入れられても、「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまくとりはかられたからである」(創世記39:23)とあります。
主が共におられて、ヨセフを祝福されていました。
やがて、ヨセフが不思議な夢の解き明かしができる事が分かり、ファラオの夢を解き明かしたことから、やがてエジプトの宰相にまで上り詰めました。
7年間の大豊作と7年間の飢饉を予見したのです。7年の間に食料をできる限り備蓄したエジプトは、大飢饉になっても全国どこにも食料がありました。
ヤコブはエジプトには食料があると聞き、10人の息子にエジプトに行って食料を買ってくるようにと命じました。兄たちはエジプトのヨセフの前にひれ伏しました。夢はその通りになりました。
ヨセフは食料を与えるが、兄弟の内一人をエジプトに残し、末の弟、ベニヤミンを連れてくるようにと命じました。
結局シメオンがエジプトに残ることになりました。ヤコブの許に帰った兄弟たちは、末の弟を連れてくるように命じられたことを話しました。ヤコブはヨセフもシメオンもべニヤミンも失うのかと嘆いたのです
しかし、飢饉はひどくなり、もう一度ベニヤミンを連れてエジプトへ行くことになりました。
ヨセフは弟に会って胸がいっぱいになり、兄たちも回心している事を知って、自分がヨセフであることを明かしました。
そして、「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45:5)と語りました。
命を救うために神はヨセフをエジプトへお遣わしになった。
ヨセフにとっても、兄たちにとっても、消えない傷のはずなのですが、その人間的な出来事の中に、見えない神の御手があったのです。やがて、父ヤコブもヨセフと再会します。もう会えないと思っていたわが子と対面するのです。
人は罪深く、他人を妬み、憎み、恨みます。ポテファルの妻のように、偽証して人を陥れたりします。
神はその人間の罪の中にも、豊かな憐みをもって、益に変える事が出来るお方です。
神は良い事をなさるお方です。神は最善をなさるお方です。
どのように罪深く弱い者でも見放すことなく、愛し続け、忍耐をもって支えて下さるお方です。
私達は、試みの中に苦しむことがあります。しかし、神は私たちを見放さず、最善を体験させて下さいます。
「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩編119:71口語)
何があっても、どのような時にも、良い事をしてくださる神を待ち望み、信仰によって勝利していきましょう。


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