阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年5月17日
「わたしだ。恐れることはない。」
ヨハネ6章16-21節

 このところ、新型コロナウイルスの感染者が減少傾向にあり、尼崎でも感染者0の日が続いているようです。このような日々が続けば、非常事態宣言の緩和や、終了があるのではないかと、期待しています。しかし、気を緩めることなく、もうしばらく忍耐して主を待ち望みましょう。
さて、主イエスが、湖の上を歩かれたという奇跡は、マタイによる福音書、マルコによる福音書にも記されています。
男の人だけで5千人にパンと魚を与えて満腹させたという奇跡の後、主イエスは弟子たちを、舟で向こう岸のカファルナウムに向かわせました。他の福音書には、弟子たちを強いて舟に乗せ、カファルナウムに向かわせたとあります。ご自身は群衆を解散させ、一人、山へ退いて祈られたのです。父なる神に祈り、静まって御心を求める大切な時でした。
一方、弟子たちはどうしたかというと、まだ向こう岸へ着く前に強い風が吹き荒れて、湖は大変荒れ始めてきました。ペトロ達は、ガリラヤ湖の漁師でしたから、湖のことはよく知っていたはずですが、逆風で進むことができませんでした。
弟子たちは、夕方から夜が明けるころまで、漕ぎ悩んでいました。
そこへ、主イエスが湖の上を歩いて近づいてこられました。弟子たちは、恐れて叫び声をあげました。人が湖の上を歩くなど考えられません。
すると、主は、「わたしだ。恐れることはない」と語りかけてくださいました。主イエスは舟に乗ってくださり、無事に目的地に着くことができました。
ガリラヤ湖のことは何でも知っていたであろう、ペトロもアンデレも、その知識、技術と経験が、この時役に立ちませんでした。
それほどの突風だったのです。
時々、人は突然の突風、嵐に襲われることがあります。人生の嵐です。突然の嵐に、想定していなかったと誰しもが思います。
今、私たちが直面している新型コロナウイルスの問題もその中の一つと考えることができます。
私たちの生活を変えざるを得なくなってしまいました。人との接触を避けることが感染防止の最大の方法であって、今、教会はもとより、会社もテレワークが推奨されています。
しかし人は、社会の中で協力し合いながら生きていきます。ですから、他との交わりがなく、家にだけいるのは、精神的にも辛いものがあるはずです。
経済にも大きな影響が出ていて、生活面の不安も広がっていきます。
大嵐の向かい風です。進むことができません。
その嵐の中で、主イエスは御声をかけてくださいます。「わたしだ。恐れることはない」(ヨハネ6:20)
 日々の生活の中で突然の大嵐に襲われ、命の危険にさらされ、生き暮れてしまうとき、すでに助け主が近くにおられるのです。
主イエスの方から近づいてこられて、御声をかけてくださいます。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
私たちにとって、その嵐がどれほどひどいものであっても、主イエスは近づいてこられて、「恐れるな」と声をかけてくださいます。
出エジプト記を読みますと、イスラエルの人々がファラオの下で苦役に苦しみ、その叫びと呻きが神のもとに届いたとあります。
「神はイスラエルの人々を顧み、御心に留めた」(出エジプト2:25)
のです。イスラエルを約束の地カナンヘ導くための指導者として、モーセが神に召されました。モーセはイスラエル人でありながら、エジプトの王子として育てられましたが、逃亡してミディアンで羊飼いとなって暮らしていました。
ある時、神はモーセに語り掛けました。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」(出エジプト3:10)モーセは、「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」(出エジプト3:11)と、問いました。神は、「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト3:12)とお答えになりました。わたしがあなたと共にいることがしるしだ教えてくださったのです。これほど心強く素晴らしいことはありません。全能の神が共にいてくださるのです。
モーセは、イスラエルの人々のもとに行ったとき、「その名は一体何かと問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか」((出エジプト3:13)と、お聞きしました。神は、「わたしはある。わたしはあるという者だ。イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」(出エジプト3:14)とお答えになりました。
この後、モーセは神にいろいろ言い訳をしますが、兄弟アロンとともにファラオのもとに行き、出エジプトのために用いられることになりました。
この時、神がモーセにご自分を、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われたのと同じお言葉を主イエスは使われました。
主イエスは、「わたしだ。」「わたしはある、あるという者だ」と、言われたのです。永遠から永遠におられる神であって、ご自分の御心をなしとげられる、生きておられる神であることを宣言なさいました。
荒れ狂う湖の上で、ご自身が真の神であることを示されました。
主イエスは、「永遠の神である私があなたとともにいるのだから、恐れることはない」と、語り続けておられます。主イエスを舟にお迎えすると、風はやみ、舟は無事に目的地に到着しました。
私たちは、この救い主を心にお迎えし、絶対的な信頼を置くという信仰を持つ者です。
物事がすべて順調に進むとき、主イエスの御名を必死にお呼びすることは少ないのではないでしょうか。しかし、ひとたび嵐の中に投げ込まれると主を叫び求めます。
その時に、自分自身の信仰を顧みることができます。御言葉の数々を思い起こします。
「どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」(詩編121:3−8)
まどろむこともなく、眠ることもなく、すべての災いから守り、守ってくださる方が、私たちと共におられ、同じ舟に乗っておられるのです。私たちの人生の導き手となってくださいました。
これ以上安心なことはありません。
現実に、今嵐の中におられて、行き暮れて、目的地の明かりも見えない中にいるような方もあるでしょう。この嵐はいったいいつまで続くのだろう。もう沈んでしまうかもしれないと、恐れの中にいる方もあるかもしれません。
主イエスは歩み寄ってくださり、「わたしだ。恐れることはない」、「真の神である私があなたを救い、助ける、心配する必要はない」と、声をかけておられるのです。
主イエスの平安が私たちの魂を満たしてくださいます。平安な満たしの中に、現実の問題が少しずつ良い方向へと向かうことを体験することができるのです。
すばらしい救い主をほめたたえながら、日々御心を求め続け、主イエスの救いを語り続け、生きておられる救い主を告白してまいりましょう。
私たちの人生と信仰は、主イエスにあることをしっかりと確認し、あらためて救いの喜びに満たされましょう。


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