阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年5月31日
ペンテコステ礼拝メッセージ 
「私の証人となる」
使徒言行録1章8節

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、私たちの教会では4月19日からYouTubeでの礼拝が始まりました。現在、日本全国で非常事態宣言は解除されました。様々な場面で、元のような生活に戻す努力が進められています。しかし、新型コロナウイルスの感染が終息したわけではありません。感染に注意しながらの生活になります。人々の行き来が盛んになり、往来する地域が広がれば、感染も起きやすくなります。より一層の注意が必要になります。知恵をいただきながら、祈りつつ生活をしてまいりましょう。教会では、6月7日(日)から、朝のSSと、聖日礼拝を再開いたします。それ以外の集会、行事は当面の間休止します。速やかにもとにもどるよう祈りたいと思います。
主イエスは、弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
(使徒1:8)と告げられました。
主イエスは全世界の罪の贖いとして十字架で死なれ、三日目に復活されました。弟子たちに何度も復活されたご自身を表され、昇天される前に、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」と命令されました。弟子たちは、その御言葉に従い、とどまっていた家に集まり、祈り始めました。イエスの母マリア、また、イエスの兄弟たちも、心を合わせて熱心に祈りました。
やがて五旬祭の日になりました。それは、ギリシャ語でペンテコステ(50)という祭りでした。過越しの祭りの安息日から数えて50日目に行われるので、ペンテコステと呼ばれていたのです。
エルサレムで120名ほどの人々が祈り続けていました。
ペンテコステの日にも、一同は祈っていました。その時、主の約束の聖霊が降られました。
それは、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒2:2−4)と記されている出来事でした。約束の聖霊が降ったのです。
この時、物音を聞いて、大勢の人が集まってきました。外国に生活の拠点を持っていた、ディアスポラと呼ばれるユダヤ人たち、また、巡礼のためにエルサレムへやって来た人々もいました。
彼らは、自分の故郷の言葉で使徒たちが祈っているのを見聞きして、本当に驚きました。
そして、わざわざ自分たちの出身地を挙げました。15の地名が挙げられています。チグリス、ユーフラテス川流域にあった、パルティア、メディア、エラム、メソポタミア。トルコ半島にあった、カパドキア、ポントス、アジア(地方)、フリギア、パンフリア。ユダヤ(地方)、北アフリカのエジプト、リビア。ローマからの滞在者、クレタ、アラビアから来た人々がいました。
国々から祭りのためにエルサレムに上ってきたのです。遠い国で生まれて生活し、当然その地方の言葉を使う人々でした。彼らは、他国で生活していても、ユダヤ人として律法を守り、会堂を建て、安息日に集まっていました。
ディアスポラたちは、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」(使徒2:11)と語りました。
神の偉大な業とは、主イエスの十字架の贖い、この方を信じる者は罪赦され、救われ、永遠の命をいただけるという福音です。信仰によって義とされ救われるという、新しい約束の教えです。
神は、全世界の人々の救いのために、主イエスをこの世に遣わされました。主イエスは、ご自分が人々に仕えるため、十字架での贖いを完成するために歩まれました。だれでも、この方を信じるなら、救われる素晴らしい時代が到来しました。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(使徒2:21)のです。素晴らしい救いの時、恵みの時代を迎えたのです。
外国から来た人々、聖霊が降ったことを見聞きした人々は、何が起きたのか理解できずにいました。
使徒たちの様子を見て、「あの人たちは新しいぶどう酒に酔っている」(使徒2:13)と嘲る者がいました。人の心の頑なさはこのような反応を示すのです。神の偉大な御業が現れたのに、信じられませんでした。頑なさは大きな人の罪です。
ペトロは、他の十一人と共に立って、大きな声で話し始めました。ペトロは、主イエスが逮捕されて大祭司カイヤファの庭で裁かれている時、「あなたもあの人の仲間だ」と、三度も指摘され、その都度激しく打ち消したような人でした。
しかし、聖霊が降ったとき、立ち上がり、人々に力強く主イエスとその十字架、復活、救いを、声をあげて語りだしたのです。
ペトロは、詩編を引用しながら、「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです(使徒2:32、33)と語りました。
このように、人々に大胆に語った時、聞いた人々は心を強く打たれました。
聖霊が降ったことを信じる事が出来ないで嘲(あざけ)る者もいましたが、心を刺された人々もいたのです。
心を打たれた人々は、ペトロたちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」(使徒2:37)と聞きました。
すると、ペトロは、「悔い改めなさい。」と勧めました。悔い改めるとは、今までの生き方の方向転換をすることです。主イエスを救い主として信じることです。さらに、バプテスマを受ける事、主イエスにより、罪を赦していただく事。そうすればだれでも聖霊を受けると答えました。聖霊の約束は、ユダヤ人にも、遠くにいる者、すなわち異邦人にも、すべての者のためのものだと教えました。
ペトロは、まず悔い改めることを教えました。
救い主であるイエスを十字架に架けてしまったこと、それは本当に恐ろしい罪です。そして、人々は、自分が恐ろしい死に向かって歩み続ける罪人であるということさえ自覚していませんでした。
ペトロの説教を聞き、主イエスを信じ救われた者は、ペンテコステの日に3千人ありました。キリストを信じる者の群れ、エクレシアが建て上げられ、祈り、礼拝し、教えと交わりを熱心にしていました。教会が建て上げられたのです。
ペトロは、自分たちは主イエスの復活の証人であると証ししました。
証人とは、法廷で事実をそのまま証言することです。
主の復活と救いを証言する証人は、使徒たちの時代で終わったのでしょうか。そうではなく、いつの時代も福音を携えて証人として用いられる人々が続いて起こされました。
主イエスは、聖霊が降る時、あなたがたは力を受けると言われました。
その御言葉は今も変わる事はありません。主イエスは私たちを聖霊に満たして主の証人として遣わしてくださいます。
聖霊に満たされると自分の肉の力ではなく、聖霊の力により主の証人とされるのです。
生きておられる主イエスが私たちを聖霊に満たして、主の福音に用いて下さるのです。私たちには力はありません。聖霊は力です。そして、慎みと愛の霊です。
主イエスのために何をすればよいのか教えて下さり、私達の肉を砕いて、勇気と力に満たし、語るべき言葉も与えてくださいます。十字架のことば、救いのことばです。また、神の教会を一つにし、主の福音のために豊かに用いられる教会にして下さいます。
私たちはそれぞれのところへ遣わされています。そこが私たちの地の果てと考えることができます。
主イエスこそ唯一の救い主であることを、大胆に証言する者であるよう聖霊の満たしを祈りましょう。


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