阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年6月7日
「救われる者がさらに」 
使徒言行録4章1-4節

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、私たちの教会では4月19日からYouTubeでの礼拝が始まりました。現在は、非常事態宣言や休業要請も解除され、人々は日常を取り戻しつつあります。しかし、依然としてコロナウイルスの感染者は毎日報告されています。非常事態宣言中よりも、より一層の注意が必要です。祈りつつ最善を選択しての生活をしてまいりましょう。
教会では、本日から、朝のSSと、聖日礼拝を再開いたします。それ以外の集会、行事は当面の間休止します。速やかに元に戻るよう祈りたいと思います。自分や家族、同僚などの体調が悪い時、発熱しているときなどは、無理をして教会出席せずに、様子を見てください。必要なら受診をしてください。教会にもお知らせください。教会では、玄関での手指の消毒と、マスク着用をお願いします。受付にクリスチャン華人センターから寄贈されたマスクがありますので、お使いください。
また、礼拝時にメッセージを録画して、YouTubeにアップします。伝道に用いられるよう、祈ってください。
ペンテコステの日に聖霊が降り、弟子たち、そして、集まって祈っていた人々は聖霊に満たされました。ペトロ達は、何事かと集まってきた多くの人々に、主イエスの十字架の死、復活を宣言しました。
ユダヤ人たちは、メシアとしてこの世に来られた方を十字架に架けて、殺してしまった。しかし、主は三日目に復活されて、信じる者のすべての罪を赦し、永遠の命を与えてくださることを伝えました。
自分たちは、主イエスの復活の証人であることを力強く伝えました。
ペンテコステの日、3千人が悔い改めて、キリストを信じる者の群れ、教会が建て上げられました。主イエスを信じた人々は、喜びに満ち溢れ、賛美と礼拝、御業の中に交わりをしていました。その麗しいさまは、多くの人々に好意を寄せられ、仲間に加わる者が日々起こされて、一つにされていきました。
使徒3章に、ペトロとヨハネが神殿の美しい門で、生まれつき足の不自由な男の人を癒したという、有名な出来事が記録されています。神殿の壮麗な門の前で、一日中物乞いをしていた人がいました。彼は、ペトロとヨハネに施しを求めました。「何かもらえるのではないか、一日の糧の一部でももらえれば」と思いました。ペトロは、彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい。」(使徒3:4)と言い、さらに、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒3:6)と言って、彼の右手を取って立ち上がらせると、たちまち癒されて躍り上がって歩き出し、神を賛美し、ペトロとヨハネと共に神殿に入っていきました。
体の不自由な人は神殿に入ることはできませんでしたから、この人は生まれて初めて神殿に入ったのです。人々は、この人が毎日門のそばで物乞いをしていることを知っていましたから、大変な騒ぎになりました。
そして、ペトロとヨハネのところに一斉に集まってきたのです。
そこで、彼らは、この人が癒されたのは、自分たちの力ではなく、真のメシアである主イエスの癒しの業であることを伝えました。
ペンテコステの日に人々に主イエスの復活を証ししたように、ここでも、あなたたちは、ピラトが釈放しようとしていた方、「命への導き手」である方を拒んで十字架に架けて殺してしまった。しかし、神はイエスを復活させたと語り、「わたしたちは、このことの証人」ですと、語りました。
主イエスを十字架に架けてしまったのは、無知のためであったと伝えつつ、悔い改めることを教えました。
そして、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」(使徒3:19)と勧めました。
人は、「知らなかったのでこのようなことをした」という言い訳をします。しかし、教えられているのに、知らなかったとは言えません。主イエスの福音が伝えられているのに、「知らなかった」とは言えないのです。心を開かず、大切なこととも思わず、いつまでも「知らなかった」と言っているのは、罪なのです。
ペトロとヨハネが人々に主イエスの復活と救いを伝えていると、神殿の祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々がやってきました。
そして、この二人が民衆を教えていること、特にキリストの復活を伝えていることにいら立ちました。
サドカイ派とは。ダビデ王に仕えた祭司ツァドク(参考Uサムエル8:17)に由来します。サドカイ派は、貴族階級に属し、国を守ることが、個人の救いよりも大切と考えていました。サドカイ派の人々は、主イエスを認めようとはしませんでしたし、復活はないと主張するような人々でした。祭司は、人々の宗教的な指導者であり、神殿守衛長は大祭司に次ぐ力を持つ立場の人でした。
いずれにしても、当時の権力、権威をもつと考えられていた人々がやってきたのです。
ペトロとヨハネは逮捕されて、翌日まで牢に入れられました。すでに日没だったからとあります。午後3時の祈りの時から夕方、その日が終わるまで、この騒動が続いていました。
その騒ぎの中で、この日、キリストの福音を聞いて信じた人は男の人だけで五千人ほどであったと、記録されています。
生まれつきの足の不自由な人が癒されたことから、大騒動になり、ペトロとヨハネは議会に引き出されました。
議会には当時のそうそうたる議員が招集されていました。まず、ペトロ達に「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」(使徒4:7)と尋問しました。ペトロは、聖霊に満たされて答えました。「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」さらに、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:10、12)と証言しました。
主イエスこそ生きておられる救い主であること、この方による以外に救いはないこと、悔い改めて救い主を信じること、これこそが伝えるべきメッセージであり、福音です。
議員たちは、ペトロ達は「無学な普通の人」であることに驚きながらも、言い返すことができずに、今後イエスの名によって教えたり、話さないよう脅しました。
しかし、ペトロ達は、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒4:19、20)と言って、ひるむことはありませんでした。
神は、宣教のために機会を与え、人を用いられます。ペトロ達が美しい門のところで、足の不自由な男の人にわずかな金を与えても、救いにはなりませんでした。金銀ではない、真の救いを伝えました。
キリストにより、体の癒しと共に、最も大切な魂の救いを受けることができました。さらに、多くの人々に復活の主イエスを伝えて、5千人の人々が信じる機会が備えられたのです。
主イエスを伝える機会を逃すようなことがあっては取り返しがつきません。主は、私たちにも、主を証しする機会を、備えていてくださいます。
ペトロは聖霊に満たされて語りました。聖霊は今、私たちに臨んでくださいます。
私たちが、聖霊に満たされ続けることを求めるなら、聖霊に満たされ続けます。主イエスの救いを伝えようと願うなら、機会を備えてくださいます。時を逃がさず、福音を伝えるとき、主はすばらしい御業を現し、用いてくださるのです。
時の権力者の囲まれてもひるむことなく福音のために前進していった弟子たちと共におられた聖霊が、今私たちと共におられることを覚えて感謝します。聖霊に満たされて福音を伝えましょう。


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