阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年6月14日
「輝かしい勝利」
エフェソの信徒への手紙6章18節

 6月7日から再び教会での礼拝がささげられることを感謝します。
新型コロナウイルス感染防止のためにstay homeから、with coronaに状況が変化し、本当に注意深く生活していくことになりました。まだまだ感染は無くなりません。主の救いと癒しをなお祈ってまいりましょう。

主イエスを救い主と信じて、心に受け入れた者は主イエスの十字架の贖いにより、その罪が完全に許されて、新しい命に満たされて生きることができます。キリストの命に生かされるのです。
その心の内に聖霊が宿られ、その御心を聞き、導きに従うように変えられていきます。
また、祈ることを教えられ、神との交わりである祈りを喜びます。
聖書も祈ることを強く勧めます。
エフェソ6章10節以下には、すべてのクリスチャンが神の武具を身に着けて、信仰の戦いを戦うようにとあります。
パウロは、ローマの兵士の装備を頭に描きながら記したのです。信仰の勝利は祈りによるからです。
悪の諸霊、すなわちサタンは、キリストの救いの光から人々の目をそらせ、また、主イエスに従おうとする者、宣べ伝えようとする者の心の中に、失望や敵対という思いを与えて、その恵みから引き離そうと画策します。
信仰の戦いは勝利が約束されているのですが、そのためにはしっかりと備えをして戦う必要があります。神の武具を身に着けて戦うことです。
「真理の帯」、「正義の胸当て」、「平和の福音の履物」、「信仰の盾」、「救いの兜」、さらに「霊の剣」、すなわち、神の御言葉を取るようにとあります。真理の帯以下は防具ですが、霊の剣である御言葉は武器です。
しっかりとした備えをし、御言葉の剣で戦うなら、何も心配はありません。そして、祈ることが続いて教えられています。
「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェソ6:18)とあります。
祈りには、力が約束されています。全能の神の力です。
モーセがイスラエルをエジプトから脱出させて、約束の地までの旅が続く時、その旅は、戦いの連続でした。
出エジプト記17章には、イスラエルとアマレクとの戦いの様子が記されています。
ヨシュアが先頭に立ってイスラエルはアマレクと戦います。モーセとアロン、フルは、丘の上に立ちました。
モーセは手を上げて祈ります。すると、イスラエルは優勢になるのです。モーセが手を下げるとアマレクが優勢になるのです。モーセの手が疲れて重くなると、アロンとホルはモーセを石に座らせ、その両側に立って、モーセの手を支え続けました。
「その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた」
(出17:12)とあります。
イスラエルは勝利し、モーセは祭壇を築いて「主はわが旗」と名付けました。勝利の主を記念したのです。
アマレクは、当時シナイ半島にいた民族ですが、これからも、イスラエルと敵対することになります。アマレクとの最初の戦いに神は勝利を与えてくださいました。
戦いの先頭に立ったのは、ヨシュアです。ヨシュアは後にモーセの後継者となる人ですが、モーセはヨシュアに戦いの用意をさせ、「わたしは神の杖を持って、丘の頂に立つ」と伝えました。
モーセと、アロン、フルは丘の頂で祈り続けました。
この出来事から執り成しの祈りついて教えられます。
信仰生活は霊の戦いです。伝道することもそうであると考えることができます。
イスラエルがアマレクに勝利したのは、ヨシュアが強かったのではなく、生きておられるイスラエルの神の御手によるものでした。
地上でアマレクと戦う姿勢は、私たちの日常生活の中での信仰の戦いと考えることができます。生活の中で、主イエスの救いと恵みから引き離そうとする勢力との戦いがあります。信仰が眠っているような状態なら、何もおこらないでしょう。しかし、主イエスに従っていこう、人々に主イエスを伝えようとすると、たちまち妨げられることがあります。
その勢力は、強いのです。パウロは、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ6:12)
人の力では勝利は難しいと思います。だから、まず、「神の武具」を身に着けることと、神の御言葉、すなわち剣を取るようにという勧めがなされます。
そして、それだけではなく、どのような時も御霊によって祈ることが教えられています。
御霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして祈り続けなさいとあります。
祈りなしに戦いの勝利はありません。
さらに、私たちは、信仰の戦いを戦う者であり、また、丘の頂で祈る者でもあります。
クリスチャン生活の勝利は、丘の上の祈りなしには得ることができないことを覚えましょう。
神との交わりの場、祈りの場を持つことが、勝利の秘訣です。
手をあげて、神を礼拝し、御霊によって根気よく祈り続けるこがあってこそ、勝利することができるのです。
私たちは、時に丘の上で祈り続ける者であり、時には実際的な戦いの場で戦う者なのです。
私たちが実際に信仰の戦いを戦う時、丘の上では執り成しの手が挙げられていることを知る者です。反対に祈りの手を上げているときもあります。教会の交わり、クリスチャンの交わりは執り成しの交わりであることを覚えましょう。
クリスチャンは、祈りの力を知る者です。信仰がないと、祈っても一体それが何になるなどと考え、そのように言うことがあります。
人には力はありません。
ヘロデ王によって、ペトロが捕らえられて、もう処刑されるという時に、教会は何ができたでしょうか。
ペトロが捕らえられている牢獄を襲って取り返すことはできません。。時の権力者に嘆願してもだめなのです。牢にいるペトロのために、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(使徒12:5)とあります。世の力に無力であっても、力の神に熱心な祈りがささげられていました。ペトロは不思議な方法で救出されました。
時々私たちは、大きな問題を前にする時、「力がなくて祈ることしかできません」と言います。
信仰者は、「力はありませんが、祈ることができます」と言うべきではないでしょうか。全能の神が助けてくださるのです。しかも最善の結果をくださるのです。
聖霊に助けていただきながら、根気よく祈り続ける者でありましょう。
どのような場面でも主イエスを仰ぎながら、祈りましょう。
戦う者であるとともに、執り成しの祈りの手を上げ続けるものでありたいのです。
霊の目がいつも開かれていて、祈りの中に勝利を喜ぶ者となりましょう。
御言葉の剣で戦いましょう。「もし、神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」(ローマ8:37)
勝ち得て余りある勝利を与えてくださる方が共におられることを確信し、感謝をもって信仰の戦いを勝ち抜きましょう。


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