阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年10月25日
「パン種の教え」
マタイによる福音書16章5-12節

 10月の最後の週を迎えました。今日も主を仰ぎましょう。礼拝の時を心から感謝致します。
私たちを御言葉によって養い、強くしてくださる方をほめたたえます。
険しい世の中を旅する私たちですが、その御手で常に支え、信仰による勝利を与えて下さり、今日まで歩んでくることができました。
溢れるばかりの恵みを感謝し、今日も御言葉を待ち望みましょう。
主イエスは人々を愛し、多くの御業を現されました。主イエスは、心と体を癒される救い主です。
主イエスは、五つのパンと二匹の魚で5千人を養われたという奇跡をなさいました。
また、マタイによる福音書15章32節以下には、七つのパンと小さな魚少しで、男の人だけで4千人が満腹したという奇跡が記されています。
主イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖の北西にあるマガダンという場所から、舟で向こう岸のカファルナウムに渡って行かれました。
弟子たちは、自分たちが食べるためのパンを持ってくるのを忘れていました。
主イエスが、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(マタイ16:6)と言われたので、パンを持ってこなかったために言われたのだと互いに言い合いました。
主イエスは弟子たちが、パンを忘れてきたことを互いに言い合っているのに気が付かれて、「信仰の薄い者たちよ」(マタイ16:8)と嘆かれました。そして、五千人のパンの奇跡、4千人のパンの奇跡のことを思い出させて、「パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか」(マタイ16:11)と教えられたのです。
そしてもう一度「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」(マタイ16:11)と言われました。
この直前に、主イエスを試そうとして、ファリサイ派とサドカイ派の人々がやってきました。
ファリサイ派とは、厳格に律法を守り、律法だけでなく先祖たちの言い伝えを守ることによって救われると考える人々でした。律法を守る自分たちは清い者であり、一般の人々とは違うという高慢さを持っていました。人々を見下し、自分を義とする高慢と偽善というパン種でした。    主イエスはファリサイ派について、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている」(マタイ15:8,9)とイザヤ書を引用して偽善者と呼んでいます。
サドカイ派は、モーセ五書だけに権威を認め、復活を受け入れようとしない人々で、上流階級や貴族に属する人々でした。当時の権力者たちと与し、権力志向が強い世的な人々でした。
普段ファリサイ派とサドカイ派は相いれない所があるのですが、主イエスに対して反抗するということについては一致していました。
彼らは主イエスに、「天からのしるしを見せてほしい」と願いました。それは、「あなたが神の子なら証拠を見せてほしい。証拠があれば信じよう」ということです。
主イエスは、「あなた方は、空模様を見分けることはできるのに、時代のしるしは見ることができない。ヨナのしるしのほかにはしるしは与えられていない」とお答えになって立ち去られたのです。
主イエスがこの世に来られたこと、主イエスの御言葉、主イエスの御業、それらの一つ一つがしるしであり、証しであるのに、高慢で信じようとしない者、見ようともしない者にはわからないのです。
マタイによる福音書12章38節以下にも律法学者とファリサイ派の人々が主イエスに「しるしを見せてください」(マタイ12:38)と言っています。ここでも主イエスは、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられていない」とお答えになりました。
ヨナが大魚の腹の中に三日三晩いたように、主イエスも三日三晩、大地の中にいることになる、十字架の死と三日目に復活されることについて示されたのです。主イエスは、十字架以外のしるしは必要ないと教えておられるのです。
この直後に主イエスはファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意するようにと教えておられるのです。
弟子たちは主イエスの言葉の真意がわかりませんでした。弟子たちはパンがないということが大問題で、心がいっぱいになっていたのです。
主イエスが、「まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか、また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか」(マタイ16:9、10)と言われたので、弟子たちはやっとファリサイ派やサドカイ派の教えのことだとわかりました。
ユダヤではパンを焼くとき、先に醗酵しているパン生地を少量新しい粉に混ぜてパンを焼きました。現代ではドライイーストなどという便利なものがあります。現代のパン種です。
聖書は、パン種は少量であっても大きな影響力を持つものとして教えています。
「あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか」(Tコリント5:6)
主イエスが十字架で罪を贖われたことで、主イエスを信じる者は罪というパン種を除いていただくことができました。
パン種は人の心の中にある罪を表しています。それはほんの少量であっても、大きく膨らみます。自分だけではなく周囲にも大きな影響を及ぼすことを教えています。だから、悔い改めによってパン種を常にきれいに取り除くこと、完全にパン種を無くしてしまうことが必要です。
主イエスが、罪を贖う過越の小羊となって下さったことを常に覚えているでしょうか。
「過越祭を祝う」とは、主イエスが十字架に架って下さり、罪を完全に赦して下さったことを祝い喜ぶことです。
主の十字架による贖いは何にもまして尊いものであることを覚えたいと思います
主イエスが注意するようにと教えられたパン種とは、心にある高慢であり、不信仰であると考えることができます。高慢な人は、主イエスの恵みを忘れてしまいます。
私たちは、数えきれない主イエスの恵みの中に生かされています。
魂には豊かな糧が与えられ、主イエスの平安と喜びに満ち溢れます。
聖霊の輝きに満ち溢れます。
私たちの内には、以前は聖霊が悲しまれるようなパン種(罪)がありました。しかし、主イエスは私たちを十字架で赦し、聖い御霊というパン種をいただく者とされました。
主イエスは天の国はパン種に似ているというたとえをお話になっています。興味深いたとえ話です(マタイ13:33以下)。
ユダヤでは一度に三サトン(約38リットル)のパンを焼いていたようです。この三サトンの粉に少しのパン種を入れると、大きく膨らみ、おいしいパンが焼けるのです。
主イエスにより、罪を許されて、聖霊に満たされた者は、小さな者にすぎなくても、天の国に大きく用いられるのです。
天の国とは、神のご支配のある所です。いま私たちが置かれているところです。
地の塩、世の光とされ、また、古いパン種ではなく、聖なるパン種をいただいた者として、主イエスの栄光と救いを喜び祝う者とされました。
この地に主イエスの救いと素晴らしさを伝え続け、輝きに満ちた救い、永遠の命について大きな影響力を持つ者として用いらることを感謝しましょう。

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