阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2020年11月29日
「準備のできた民を用意する」
ルカによる福音書1章13-17節

 今年もアドベントに入りました。
クリスマス前の4週間は、アドベント(待降節)と言います。クリスマスを待ち望み、様々な備えをしていく時期ですが、本当に大切なのは霊的な備えをする時です。
クリスマスは神が人となられたという厳かな事実です。しかし、この世は楽しい、華やかなイベントとしてとらえてしまい、例年親しい者たちが集まって、イエス様不在のパーティをにぎやかに開くような時となってしまいました。
町に流れるクリスマスソングや、商業施設などの華やかなイルミネーションが人の心を誘います。
今年は新型コロナウイルスの感染が拡大して、人が集まるとクラスターの恐れがあるということで、教会も例年のようにはお祝いができません。ゴスペルコンサートはない、SSのクリスマスもない。楽しみにしているファミリークリスマスもありません。
しかし、静まって主イエスを待ち望み、信仰を顧みるという、幸いな時を、それぞれが持つことができると思います。
主イエスの母となったマリアは、御使いから神の子が宿るという受胎告知を受けます。マリアは戸惑いながらも、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と答えました。
ルカによる福音書を著わしたルカは、もう一つの出来事があったことを記しています。それは、バプテスマのヨハネの誕生についてです。
祭司ザカリアと、その妻エリサベトは、アロンの家系でした。二人とも信仰深い敬虔な人であったとあります。神の前に正しい人であり、非の打ちどころのない人であったと紹介されています。二人ともすでに年を取っていましたが子供がありませんでした。
祭司ザカリアは、くじにより、聖所に入って香をたくという役目にあたりました。民衆のために代表となって神の前に香をたくのです。民衆は外で祈っていました。その聖所でザカリアは御使いから大切なお告げを受けました。ザカリアは、御使いが香壇の右に立ったので、恐怖を覚えました。
御使いは、「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人となり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(ルカ1:13−17)と、語り掛けました。ザカリアは自分も妻も年を取っているので、どうしてそのようなことが分るでしょうと答えました。御使いは、直ちに信じることができないために、誕生が実現するまで口がきけなくなると告げました。外の民衆は、ザカリアがなかなか外に現れないことを不思議に思っていました。ザカリアは、身振りで示すだけで口をきくことができませんでした。
こうしてヨハネの誕生は予告され、果たして月が満ちてエリサベトは男の子を産みました。その子の名を親類たちは父親の名と同じザカリアと名付けようとしますが、母は「ヨハネ」としなければなりませんと言い、父も、御使いが告げたように「ヨハネ」と名付けるようにと字を書きました。すると、ザカリアは口がきけるようになり、神を賛美しました。
ヨハネは名家に生まれ、両親ともに立派な人でしたが、荒野で過ごすようになります。働きのための備えの期間でした。
主イエスが公の生涯を始められる少し前に、バプテスマのヨハネはその働きを始めていきます。
バプテスマのヨハネの働きとは、「荒れ野で叫ぶ者の声」の働きです。ルカ3章4節以下に、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」(ルカ3:4−6)と、イザヤ書40章が引用されている通りの働きです。
救い主が来られる前に、悔い改めて心を備えよと叫んだのです。
イスラエルの人々の霊的な状況はどのようなものだったでしょうか。
もちろんヨハネの両親のように信仰深い人たちもいました。しかし、神殿は商売の場となり、ファリサイ派や宗教的な指導者は厳しい掟をつくり、人々を正しく導くことができませんでした。
主イエスは彼らについて、「律法学者たちと、ファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(マタイ23:13)と嘆かれました。
「ものの見えない案内人」(マタイ23:16)とも言われました。
多くの人々は暗闇の中の状態で、光を見出すことができませんでした。飼う者のない羊のようでした。飼う者のない羊は生きることができません。
そのような中、救い主がお生まれになるのです。律法によって救われるのではなく、恵みにより信仰によって救われる新しい約束の到来です。
人々は心に渇きを覚えていました。
バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを授けていることを聞いた人々はヨルダン川に集まってきました。
ヨハネは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ3:2)と叫びました。
ヨハネは、人々に悔い改めを教えました。ユダヤ人は、自分たちは神に選ばれた民であって、アブラハムという父を持つ者たちだというプライドがありました。自分たちだけが天国に入れると思っていたのです。
ヨハネは彼らに「蝮の子ら」と呼びかけたのです。神の怒りは差し迫っていること、悔い改めにふさわしい実を結ぶことを教えました。ただバプテスマを受けるだけではなく、実際に生活を変えなければならないことを示しました。
悔い改める者は生き方が変わります。下着を二枚持っている者は一枚も持たないものに分けてやれ、食べ物も同じようにせよ。徴税人には規定以上取りたるな、兵士には人を脅して金をゆすり取ったり、だましたりするな、自分の給料で満足せよと、具体的に教えました。
道を整備せよということです。デコボコでゆがんでいる生き方を変えてまっすぐな、心を持つようにと教えたのです。
そして、救い主の到来を語りました。
「わたしより優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない」(ヨハネ3:16)わたしはあなたがたに悔い改めの水のバプテスマを授けたが、メシアは聖霊のバプテスマを授けられると教えました。完全な救いと命を与えてくださる方が、もうすぐに来られるのだから心を備えよと教えたのです。
バプテスマのヨハネはヘロデによって捕らえられ殉教しますが、神の使命を立派に果たしました。ヨハネほど偉大な人は現れなかったと、主イエスはヨハネについて語られました。
主イエスを救い主として信じる者は誰でも救われるという恵の時代の到来に、バプテスマのヨハネが遣わされ用いられました。
私たちが救われるために、誰が道を整えてくれたのでしょうか。イエス・キリストを伝えてくれた人々が必ずいたはずです。
ジョンストン宣教師のような人々、あるいはクリスチャンの友人、教会の人々などなどから、心の荒野に呼ぶ声を聞くことができました。
そして、悔い改めて救い主を心にお迎えすることができたのです。
何よりも尊い永遠の命をいただくことができました。
ヨハネは多くの人々を真の神に立ち帰らせるために、準備のできた民を備えました。
私たちは、クリスマスを前に、心を変えて救い主を受け入れ、天の民とされる魂のために、呼ばわる声として用いられるように祈りましょう。


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